北海道型鉄道模型を楽しむ

北海道の鉄道大好きな車両掛がノンビリとやってる、夕張鉄道を中心とした鉄道模型製作のブログです。(旧 夕張炭鉱鉄道の建設)

石炭上屋の製作(その5) ウエザリング

2010-06-11 21:51:35 | ストラクチャー

石炭上屋もウエザリングを終えて、ひとまず完成です。

機関区の出発線のわきに建っているので、機関車の煙りを浴びてかなり煤けています。ウエザリングブラックとパステル、さび色塗料で表現してみました。

完成は今年の1月3日です。

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この一枚の角度は、内部の様子もよくわかっていい感じです。内側の羽目板を省略したこともあまり気になりませんね!(自己満足?)いろんな角度で見ていただきました。

撮影しているうちに盛り上がったので、禁断の一枚を

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後方に見える建物たちと合わせて、こんな並びのセクションを、実は今作っているのです。

完成したら、わが「錦沢の4姉妹」と「鹿ノ谷の8兄弟」も一層生き生きとするのではないかと、最近わくわくしています。


石炭上屋の製作(その4)

2010-06-08 23:52:31 | ストラクチャー

車両工作用方眼紙で屋根を作り、トタンを表現するためレンガ状の切り込みをカッターで入れて仕上げました。屋根の峰には真鍮アングルを万力で鈍角にしてから貼り付けました。

いよいよ塗装です。今回は屋根のトタンの色に悩みました。

ある実物雑誌にのった貴重なカラー写真から、この上屋のトタン屋根が赤く塗られていたことが分かりました。ただ、相当に煤けているので、正確な色合いが判然としません。でもあまり原色っぽい赤ではないような気がしたので、特急色の赤2号を塗ってみました。まあ、ストラクチャーの塗装で迷ったら、暗い色を選ぶと失敗が少ないと信じていますが。でも、塗りあげてみると、まだ鮮やか過ぎるような気がします。結局後のウエザリングでごまかすことにしました。

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羽目板の塗装はプラ用塗料のウッドブラウンです。また、後ろにある入口らしき戸板は、資料の白黒写真から考えて、白塗りにしました。

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塗装が終わったのち、正面にズラリと並ぶ雪止めを作りました。本体は角材で、つり固定の鉄棒は黒染めした0.3ミリ真鍮線です。上の雪止めを貫通させてから、下の雪止めにさしこんで固定しました。この鉄棒は屋根の峰からつりさげられているので、屋根の峰にヒートン型に丸めた真鍮線を植え込んで、フック状に曲げた雪止めの鉄棒をひっかけて固定しました。

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この雪止めがズラリと並んだ石炭上屋の写真はたくさん残されていて、鹿ノ谷の印象の一角をなしていますので、手抜きはできません。

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最後に、機関車を引っ張り出して、雰囲気を味わいます。また悦に入って、この日は終わってしまいました。今年の正月のことです。


石炭上屋の製作(その3)

2010-06-06 23:12:27 | ストラクチャー

小屋組みや柱などの基本構造がむき出しになっているので、棟上げするまで相当に試行錯誤しました。寸法の狂いをごまかせないので、かなり慎重に進めました。

前面にズラリと並ぶ柱と方杖の組み合わせは、図面をコピーした上で、透明プラ板をのせて、その上で角材を組み立てるいつもの工法です。しかし、全長で34センチ余りにもなるので、なかなかの難物です。とくに横梁の角材が1.5ミリと細かったため、柱をつけて行くたびに、木工用ボンドの水分のために微妙に反り始めて、水平と垂直を出すのに苦労する羽目になりました。なのでいつものように嫌気も差してほったらかしの時間も長くなりました。そんなこんなで、しばらく写真を撮るのをわすれていたので、途中の記録がありません。

ようやく棟上げが終わった段階で喜んで写真をとったので、それをお示しします。この時点で昨年の12月初旬。設計終了から半年もたってしまいました。

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柱の土台の部分は1.5ミリ角材のまわりにプラ板を貼り付けて表現しました。この土台は実に目立つものなので、質感を優先して木材は使わないことにしたのですが、木の角材とプラの角材を継いだ形にすると直線を出す自信が全くなかったので、こういう手間のかかる方法にしました。都合22本作ったので、これにかなりの時間を要しました。

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もう一つのポイントは本線側からみると裏側の面にある屋根の張り出し部分の支え壁です。見事に羽目板が貼りつめられていますので、バルサ板を土台にして、STウッドを辛抱強くはり重ねていきました。これも手間がかかりましたね。そのほか、羽目板壁ですが、実際は柱に羽目板を張っただけ構造なので、そうしようかと思ったのですが、前面の柱組みに苦戦したため、サボりたくなっていさみやの方眼紙にSTウッドを貼り付けるだけにしました。なので、裏側からは羽目板が見えず、意味不明の板張り様構造になっていますが、塗装すれば気にならないだろうと多寡をくくりました。

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最後に上から小屋組みの様子お見せします。これだけ慎重にやったつもりでも、なんとなく歪んでますね…、屋根の寸法も微妙に間違えたみたいで、この後屋根を作るのに苦労することになりました。

最近、模型作りとは「悩み」と「嫌気」と「見切り」と「後悔」の繰り返しであると悟り始めています。


石炭上屋の製作(その2)

2010-06-06 00:16:28 | ストラクチャー

前回、日本木造建築の基本とか、偉そうなことを言いましたが、もちろん私に大工の心得はありません。建物の基本構造はTMSの1977年10月から12月号に連載された「標準的日本式木造建築物の様式とその表現」という平田克良氏の記事によっています。実はこの時期(大学受験のための浪人時代でした。)に鉄道模型趣味をスタートさせて、TMSの定期購読を始めた頃でした。平田氏はすでにストラクチャーの秀作を次々とTMS誌上に発表していましたが、この記事はその集大成ともいえるものでした。この記事の作例として出ていたトタン葺き屋根の雑貨屋の実に平凡でさりげない風情に、心をわしづかみにされたものです。まだNゲージをいじり始めた頃だったので、ハイレベルの完成度に圧倒され、嘆息ばかりでしたが、いずれレイアウトを作るときにはこんなストラクチャーを取り入れたいと決心したものです。

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この記事の中に「実物の様式」という項があり、小屋組みや窓枠、羽目板の作り方などが解説されていました。この記事のおかげで、尺貫法による日本建築の基本を学んだのです。

誰でもそうだと思いますが、この趣味ではビギナーのころに受けた感動や衝撃を結局最後まで引きずるものです。おなじ10月号に掲載されていたNMRA77年大会のレポートも衝撃だったですね。鉄道模型はおもちゃじゃないと確信したものです。11月号と12月号には77年鉄道模型作品展の発表と講評がありました。この作品群も凄かった!今見返すと、のちに大きく影響を受けた作品や今も活躍するマスターモデラーの名前がたくさん見つかります。そうそうその筋の人ならすぐに分かる「生駒銅山軌道」も出てました。かの有名なRMの丸編さんです。

なんだか甘酸っぱい気分になってきました。


石炭上屋の製作(その1)

2010-06-02 22:30:57 | ストラクチャー

このブログを始めてから、1週間を過ぎましたが、色々な方に見ていただいて、コメントまで頂戴して、本当にありがとうございます。おかげ様で、模型に対する意欲が俄然湧いてきています。精々励んでこのブログの更新も続けたいと思っています。

機関庫の完成までお話しましたが、完成したのは昨年の5月5日でした。久々の完成に喜んで、間髪いれずに設計を開始したのが、石炭上屋です。

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石炭上屋は、夕張鉄道の鹿ノ谷車両区のかの有名な給炭塔の隣に建っている建物で、給炭塔に供給する石炭を貨車から下ろし、一時的に貯蔵し、ベルトコンベアーで給炭塔の元へ運ぶための上屋です。機関車がこの上屋の前で待機する様子を写した形式写真がたくさん残されています。ろくな写真は手元にないので、一部が写っているのでごまかします。写真の右側に少し映っている奴です。実は、あるベテランモデラーの友人から、この上屋の四方向の写真を戴いてあったので、設計の苦労は少なくて済みました。この場を借りて、改めて御礼を述べます。(見てるかな?)

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ストラクチャーの設計では、写真から実物の寸法を割り出す必要があります。なぜなら、実物の設計図など残っていないからです。したがって、設計の上で色々辻褄合わせが必要です。とくに、割り出した寸法が、写真によって微妙に異なるので、日本式木造建築の寸法の原則に照らして決定していきます。さらに、それで設計しても、車両模型を前に置いて違和感が出ないような細工も必要です。で、結局、設計には20日ほどかかってしまいました。

設計してから、改めて気付いたのですが、何せ中身がガランドウな構造ですから、柱や小屋組みはすべて丸見え!機関庫の経験を生かしてまとめるとしても、相当に苦労しそうです。

さてまとまるのやら…