北海道型鉄道模型を楽しむ

北海道の鉄道大好きな車両掛がノンビリとやってる、夕張鉄道を中心とした鉄道模型製作のブログです。(旧 夕張炭鉱鉄道の建設)

石炭上屋の製作(その3)

2010-06-06 23:12:27 | ストラクチャー

小屋組みや柱などの基本構造がむき出しになっているので、棟上げするまで相当に試行錯誤しました。寸法の狂いをごまかせないので、かなり慎重に進めました。

前面にズラリと並ぶ柱と方杖の組み合わせは、図面をコピーした上で、透明プラ板をのせて、その上で角材を組み立てるいつもの工法です。しかし、全長で34センチ余りにもなるので、なかなかの難物です。とくに横梁の角材が1.5ミリと細かったため、柱をつけて行くたびに、木工用ボンドの水分のために微妙に反り始めて、水平と垂直を出すのに苦労する羽目になりました。なのでいつものように嫌気も差してほったらかしの時間も長くなりました。そんなこんなで、しばらく写真を撮るのをわすれていたので、途中の記録がありません。

ようやく棟上げが終わった段階で喜んで写真をとったので、それをお示しします。この時点で昨年の12月初旬。設計終了から半年もたってしまいました。

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柱の土台の部分は1.5ミリ角材のまわりにプラ板を貼り付けて表現しました。この土台は実に目立つものなので、質感を優先して木材は使わないことにしたのですが、木の角材とプラの角材を継いだ形にすると直線を出す自信が全くなかったので、こういう手間のかかる方法にしました。都合22本作ったので、これにかなりの時間を要しました。

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もう一つのポイントは本線側からみると裏側の面にある屋根の張り出し部分の支え壁です。見事に羽目板が貼りつめられていますので、バルサ板を土台にして、STウッドを辛抱強くはり重ねていきました。これも手間がかかりましたね。そのほか、羽目板壁ですが、実際は柱に羽目板を張っただけ構造なので、そうしようかと思ったのですが、前面の柱組みに苦戦したため、サボりたくなっていさみやの方眼紙にSTウッドを貼り付けるだけにしました。なので、裏側からは羽目板が見えず、意味不明の板張り様構造になっていますが、塗装すれば気にならないだろうと多寡をくくりました。

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最後に上から小屋組みの様子お見せします。これだけ慎重にやったつもりでも、なんとなく歪んでますね…、屋根の寸法も微妙に間違えたみたいで、この後屋根を作るのに苦労することになりました。

最近、模型作りとは「悩み」と「嫌気」と「見切り」と「後悔」の繰り返しであると悟り始めています。


石炭上屋の製作(その2)

2010-06-06 00:16:28 | ストラクチャー

前回、日本木造建築の基本とか、偉そうなことを言いましたが、もちろん私に大工の心得はありません。建物の基本構造はTMSの1977年10月から12月号に連載された「標準的日本式木造建築物の様式とその表現」という平田克良氏の記事によっています。実はこの時期(大学受験のための浪人時代でした。)に鉄道模型趣味をスタートさせて、TMSの定期購読を始めた頃でした。平田氏はすでにストラクチャーの秀作を次々とTMS誌上に発表していましたが、この記事はその集大成ともいえるものでした。この記事の作例として出ていたトタン葺き屋根の雑貨屋の実に平凡でさりげない風情に、心をわしづかみにされたものです。まだNゲージをいじり始めた頃だったので、ハイレベルの完成度に圧倒され、嘆息ばかりでしたが、いずれレイアウトを作るときにはこんなストラクチャーを取り入れたいと決心したものです。

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この記事の中に「実物の様式」という項があり、小屋組みや窓枠、羽目板の作り方などが解説されていました。この記事のおかげで、尺貫法による日本建築の基本を学んだのです。

誰でもそうだと思いますが、この趣味ではビギナーのころに受けた感動や衝撃を結局最後まで引きずるものです。おなじ10月号に掲載されていたNMRA77年大会のレポートも衝撃だったですね。鉄道模型はおもちゃじゃないと確信したものです。11月号と12月号には77年鉄道模型作品展の発表と講評がありました。この作品群も凄かった!今見返すと、のちに大きく影響を受けた作品や今も活躍するマスターモデラーの名前がたくさん見つかります。そうそうその筋の人ならすぐに分かる「生駒銅山軌道」も出てました。かの有名なRMの丸編さんです。

なんだか甘酸っぱい気分になってきました。