goo blog サービス終了のお知らせ 

ファイプロとプロレスと私

オリンピックについて

どうも、今回の記事ではオリンピックについて語ります。

 

一度、延期された2020年東京五輪ですが、今年の開催も殆ど不可能な状況になりつつありますね。どういう形で中止が決まるか、それとも再延期されるかはまだ分かりませんが。

 

現代のオリンピックは19世紀末から開始しましたが、少なくとも1930年代あたりからは五輪が国威発揚の場となり、選手たちが国家の道具として利用される状況が生じています。

さらに、1990年代くらいから、スポーツ全体が露骨な商業主義に取り込まれてしまいました。オリンピックも、スポンサー企業の都合に振り回されています。

 

スポーツって、人々の暮らしを豊かにするために存在するべきだと思うんですよね。それが現代では、国家や企業のための道具となってしまっていると言わざるを得ないでしょう。

国家や企業に甘い汁を吸わせてもらっている輩はそれでいいのでしょうが、そうでない人間にとっては全くありがたくない。それどころか、スポーツがナショナリズムの蔓延や企業の傲慢を助長することになり、結果的に多くの人々の生活が破壊されていくことになりかねない。

 

もちろん、現代のスポーツにも良い面はありますし、オリンピックでの選手たちのプレーを見たい気持ちも分かります。ただ、やはり現在の形でのオリンピックは、スポーツ精神に反しているでしょう。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「スポーツと社会」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事