どうも、今回の記事は全く私的な内容です。
久しぶりに体重を測ってみたら、以前より2キロ増えてました。最近運動不足だったとは思います。
ショックだったのが体内年齢で、実年齢よりも3年ほど高く、体脂肪についてもやや肥満状態と診断されてしまいました。
運動量を増やしていくことにします。
どうも、今回の記事は全く私的な内容です。
久しぶりに体重を測ってみたら、以前より2キロ増えてました。最近運動不足だったとは思います。
ショックだったのが体内年齢で、実年齢よりも3年ほど高く、体脂肪についてもやや肥満状態と診断されてしまいました。
運動量を増やしていくことにします。
どうも、今回の記事では格闘ゲームキャラの国籍について語ります。
鉄拳7の新キャラが、ポーランド首相の女性という設定のようです。ポーランド国籍というのは、格闘ゲームではけっこう珍しいですね。
さて、鉄拳、バーチャファイター、ストリートファイター、KOFなどの格闘ゲームのキャラクターって、だいたい国籍が設定されていますね。
個人的に、フィクションといえど、もう少しリアルな設定のキャラを増やして欲しいと思います。
具体的にいうと、複数の国籍を保持するキャラとか、反対に無国籍のキャラとか、存在しても良いのでは?ということです。
そもそも、国籍の設定は必要か?という疑問もありますが、とりあえず、その話は置いときましょう。
そういえば、鉄拳シリーズには日本国籍を捨てた三島一八というキャラがいますね。彼のようなキャラも良いのですが、それとは別で、生まれたときから無国籍の難民みたいな設定とかどうですかね。
リオ五輪では、難民の選手が大会に参加しました。紛争に巻き込まれ、命の危険から逃れてきた選手たちです。五輪を通じて、彼らの存在を知ったとか、途上国の紛争の問題に関心を持った、という人もいるでしょう。
格闘ゲームのキャラクターも、そのような、現実の問題を社会に認識させる役割ができるのではないかと思います。
どうも、今回の記事では、漫画「タイガーマスク シャドウオブジャスティス」を読んで思ったことを述べます。
タイガーマスクなのでプロレス漫画かなと思っていたのですが、あまりプロレス要素はなさそうです。貧困・格差が拡大した近未来にて、超人たちが闘うという話です。なんとなく、アメコミのX-MENみたいな感じでしょうか。
舞台となる社会には、タイガーズネスト(つまり虎の穴)という組織が存在します。彼らは、アザーズという超人的な能力を持つ者たちを従え、裕福な都市部における治安維持を行なっています。
アザーズには、タイガーズネストの配下となり表向きはヒーローとして認識されている者と、自らの能力を悪用するクリミナルアザーズが存在します。タイガーマスクは、元タイガーズネストのアザーズですが、ヒーローたちともクリミナルたちとも異なる立ち位置です。
タイガーマスクは、自らの正体を隠しながら、スラム街にある孤児院に勤めています。その中で、人身売買の対象となった貧困層の子どもと出会います。
この物語の舞台となる社会では、合法で行われている人身売買が存在するようです。タイガーマスクは、その子どもの救出に向かうわけですが、合法的に行われている売買を妨害するのは犯罪になってしまうと止められる場面があります。
さて、当然、現実では人身売買は犯罪です。人身売買の非道さについては、言うまでもないでしょう。人権侵害の極みです。
ですが、このように感じる人もいるのではないでしょうか。「合法であれば問題ない。むしろ売買を妨害したタイガーマスクは有罪になっても仕方ない」というふうに。
現実社会でも儲け主義が蔓延し貧困や格差が拡大する中、正義とは?あるいは、善とは?という問いに答えることが難しくなりつつあるのかもしれません。どんな正義も、それぞれの正義として尊重されるべきだ、どっちもどっちだ、という所謂中立的な立場が好まれるような気がします。どんなことにも本来、善も悪もないのだというニヒリストもいるでしょう。
そういった人は自らが売られる立場になっても、仕方ないことだと受け入れるのでしょうか。
どうも、今回の記事ではビデオゲームの普及について思うことを述べます。
スポーツのアジア大会の種目として、Eスポーツが正式に採用されることとなりました。近年、ゲームがEスポーツとして、社会的地位を高めつつあります。
かつて、ゲームは有害なものとして、バッシングの対象となったこともありました。「ゲーム脳の恐怖」などのような、エセ科学が蔓延したこともありました。
ゲームが市民権を獲得しつつあること自体は歓迎すべきことです。しかしながら、ゲームが他のスポーツと肩を並べるくらいに普及するには、まだ課題があります。
当然ですが、ゲームはある程度プレイできる環境が整っていないと、競技をはじめることができません。スポーツは誰もが公平に参加可能であるべきで、例えば野球選手が途上国の子どもたちに野球道具を配ったり、ルールを教えたりしていますね。ゲームも同様に、企業が無償でゲーム機を貸し出すなり、ゲームセンターを作ったりすべきなのです。
もちろん、これらは企業の利益には直結しません。ですが、ゲームの普及を目指すなら、ゲームが公的な存在になるには、誰もがゲームをプレイできる社会にならなくてはなりません。その責任は、各ゲーム会社、そしてゲーマー全員が、背負っているのです。