ファイプロとプロレスと私

抵抗の文化

どうも、今回は抵抗の文化について。

 

6年前の記事ですが、ノーベル賞作家の指摘です。

「「日本には抵抗の文化がない」 福島訪問したノーベル賞作家が指摘」(https://www.huffingtonpost.jp/2016/11/29/svetlana-alexievich_n_13295940.html)

 

「福島で目にしたのは、日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がないことです…全体主義の長い文化があったわが国(旧ソ連)でも、人々が社会に対する抵抗の文化を持っていません。日本ではなぜなのでしょうか」

 

日本には、なぜ抵抗の文化が根付かなかったのでしょうか。

私の記憶が正しければ、ある時期までは抵抗の文化って日本にもありましたよ。

 

たとえば、高度経済成長期には、労働争議って珍しくはなかったですね。

ちなみに労働政策研究・研修機構によれば、争議件数が最多だったのは1970年代中頃(https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0702_01.html)。

この時代は他にもベ平連とか中ピ連とかありましたね。

沖縄の反米軍基地運動とか、部落解放運動などの反差別運動とか、今も続いているものも無いことはないです。

 

しかしながら私の周囲には、こういった労働運動や市民運動に参加していた人は皆無に等しいですね。

抵抗できない大人たちを見て育った若い世代も、当然ながら抵抗の術を知りません。

抵抗の手段や経験の継承、蓄積が、非常に乏しい。

 

私たちにとって重要なことは、具体的な抵抗の方法を学習し実践することなんですが。

それは何か特別なことをするのではなく、普段からできることで良いんじゃないかと。

例えば学校や仕事を全員でサボるとかね。

全員で同時にやることが重要で、バラバラにサボってはダメです。

さっそくですが明日、仮病でズル休みしましょう。二度寝すると気持ちいいですよ。

何かあっても私は一切責任を負えませんので、あしからず。

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