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追悼、中村真一さん(四人囃子オリジナルメンバー)

2011-06-12 17:27:00 | music
先月5月25日、四人囃子の初代ベースプレイヤーの中村真一さんが、くも膜下出血のために急逝されました。
今月頭に訃報が届いたのですが、1週間前に四人囃子オフィシャルサイトに情報が出るまでは信じられない気持ちのままでいて、その後も日記にアップする余裕がなかったけど、このことに触れずにいることも出来ないので遅ればせながら追悼の日記をアップします。

私が四人囃子のステージを初めて観たのは、72年、URC主催のフラワートラベリンバンドのコンサートの時。
レコードデビュー前の初期の四人囃子、そしてその後の数年間、URCのコンサートを中心にオリジナルメンバーのステージを何度か体験する幸運に恵まれました。
中学高校生当時、ロックコンサートに行くことには親が厳しくて都内コンサートにはほとんど足を運ぶことができなかったのだけど、その代わりに地元浦和で安全バンドと四人囃子を何度も生で体験することが出来た、今から考えるとなんと贅沢なことだったのだろうと思います。
目の前で観た彼らの演奏にあこがれベースを弾き始めた、10代半ばのそのきっかけが無ければ私はこの年までベースを弾き続けることはなかったでしょう。
四人囃子ではアルバム一枚を残して一線を退きましたが、90年代以降は四人囃子メンバーとのイヴェント出演や彼のルーツのビートルズ、ホリーズなどのカバーバンド、Orange notesでのライブ活動も続けていて、最後にお会いした昨年10月のライブでも大二さんとの鉄壁のリズムセクションで最高の演奏を聴かせてくれた。
私は、93年の目黒公会堂でのイヴェント、2000年以降のURCのイヴェントで何度か同じステージに立たせてもらったりセッションする機会がありました。
親しく話す機会は長年なかったのですが、昨年の1月のイヴェント時に、元安全バンドの相沢友邦と私の演奏を観てからは「今度一緒にライブやりたいね」という声をかけてもらって、いつかそういった企画も立てたいと考えていたのに、叶わぬこととなってしまった。
彼のメロディアスなフレーズとグルーブ感、そしてコーラスハーモニーを大切にするスタイル、またレコーディングは彼の脱退後セカンドアルバムでされましたが、四人囃子のコンサートでは欠かせない「なすのちゃわんやき」は彼の作曲でありその緻密な構成力などすべてに才能あふれる人でした。
こんなに早く別れが来るとは、思っていませんでした。
本当に、残念です。

訃報を聞いてからずっと、「おまつり」の彼でなければ表現できない素晴らしいベースラインが、頭に響き続けています。
真ちゃんとの出会いに感謝して、これからも音楽を続けていきます。
ありがとう。
どうぞ、安らかに。

http://www.4nin.com/

http://urawarocks.net/
(URCサイトに、追悼のページとともに2003年の映像がアップされています。)

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コメント
 
 
 
Unknown (yuji_hendrix)
2011-06-17 13:14:05
残念です。今あらためて『'73 四人囃子』聴き直しています。
私は四人囃子といえばオリジナルしか興味はありません。中村氏脱退後のものも聴きましたが、埃を被った状態です。

海外でもそうですが、ロックの歴史が短い日本は創世記から活躍していた方々が、ここ最近天に召されることが多いように感じます。

故人のベースプレイを忘れることなく、いつまでも胸にしまっておきます。
 
 
 
Unknown (よっちゃ)
2011-06-17 13:21:13
yuji_hendrixさん、コメントありがとうございます。
ここ数年、60歳前後あるいは50代で急逝されるミュージシャンや関係者が相次いでいて、やりきれない思いです。
四人囃子は、一昨年に初代のマネージャー岡井嗣明さんを同じくも膜下出血で亡くしたばかり。
メンバーの無念さを思うと、とても辛いです。
 
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