先週日曜日放送の「グレートサミッツ・マッターホルン」、良かったですね!
その余韻が醒めないのか、はたまた30年に一度の猛暑で熱当りしたのか、
性懲りもなくマタマタ昔の写真を持ち出してしまいました。
でも、何度見ても、マッターホルンは見飽きない山ですね!
リッフェル湖の逆さマッターホルン (1993年7月)
スネガからのパノラマ (1998年1月)
ツエルマットの三ツ星ホテル“PARNASS”からのマッターホルン (1999年1月)
このホテルは、前年滞在中のリサーチで、教会の塔とマッターホルンのマッチングが
ベストと思われたので、メールで予約し1週間滞在しました。
(左)ロートホルンから (右)ゴルナーグラードから (2001年3月)
(左)クライン・マッターホルンから (右)イタリア側のチェルビニアから (2001年3月)
ツエルマットから左側に回り込むほど、マッターホルンの形が醜くなって行きます。
スネガ・ロートホルン方面から眺めるマッターホルンが、一番秀麗な姿と言われています。
スペインのカタルーニャ自治州議会は、「闘牛は動物の残酷な取り扱いにあたる」として禁止するすることを、
スペイン本土で初めて可決した。 との新聞報道がありました。
私もカタルーニャ自治州議会の決定には全面的に賛同します。
1996年4~5月にかけて、初めてスペイン旅行をした時、闘牛についてH.P.で記した私の感想文を下記します。
メリハリのあるステップ、繊細な手の動き、鮮烈なリズムのギター、哀切を帯びたカンテ(歌)、
私にはフラメンコのどれもこれも堪らなく好きです。
けれども闘牛は好きになれません。
まず馬に乗ったピカドールが槍で突いて牛を弱らせる。次にバンデリリェロが出て来て、牛の背に飾り銛を撃ち込む。
そして、ようやくマタドールが登場し、赤い布で牛を翻弄して最後に剣でとどめを刺す。
一匹の牛に何人もの人間が寄ってたかって嬲り殺しをしているようで、私の趣味には合いません。
これは文化の問題なので、私達がどうこう言えることではありませんが!
ただ、牛を弱らせてからでないと、人間は牛と対等に勝負できないのも事実のようです。
セビーヤで闘牛のテレビ実況中継を見ていたところ、マタドールが牛に跳ね上げられて場外に運び出された。
この時は「闘牛士も本当に命がけなのだなあ」と実感しました。
フラメンコと闘牛に共通しているのは、背筋をシャキッと伸ばし、やや反り気味に踊ったり
牛の突進を捌いたりする姿です。この姿勢には本当に惚れ惚れします。
ロンダの闘牛場にて (1996年5月1日撮影)
7月23日、スイスの氷河特急脱線事故で、日本人観光客に死傷者が出ました。
楽しみにしていたスイス旅行で、亡くなった方のご冥福をお祈りします。
多くの日本人にとって、スイスは憧れの国です。
御多分にもれず、私ども夫婦初めての海外旅行もスイスでした。
長時間のフライトが辛くなってきたので、そろそろ海外旅行も打ち止めにしようと考えていました。
そして最後の海外旅行も、やはりスイスと考えていた矢先の事故に、ショックを受けています。
初めてのスイス旅行 (1993年7月 サンモリッツ駅から氷河特急に乗車)
車内で買ったお土産の列車プレート(プラスチック製)
昨日(16日)のBSジャパンで、「スイス絶景の旅」が放映され、画面の素晴らしさに目が釘付けになりました。
1993年から2001年の間に5回のスイス旅行をしていますが、あらためてスイスの魅力を再認識しました。
2年後に、結婚50周年,私の喜寿,家内の古希と三重記念(三重苦?)が来るので、
最後の海外旅行は、絶対にスイスだと家内は息巻いています。(その頃には足腰が立たなかったりして!)
アイガー北壁
ルツェルン湖とレマン湖を結ぶ “ゴールデンパス・クラシック列車”
シャトーデーの国際熱気球フェスティバル
9/17の朝日新聞に「あなたが最も行きたい世界遺産は?」い云うアンケート結果が発表されていました。その順位は(丸数字は私の行った所です)
1.マチュ・ピチュ(ペルー)、②.万里の長城(中国)、③.グランド・キャニオン(アメリカ)、④.モン‐サン‐ミシェル(フランス)、⑤.ピラミッド(エジプト)、6.アンコール(カンボジア)、7.タージ・マハル(インド)、8.ナスカの地上絵(ペルー)、⑨.ヴェルサイユ宮殿(フランス)、10.ガラパゴス諸島(エクアドル)、11.グレート・バリア・リーフ(豪州)、12.九寨溝(中国)、⑬.カナディアン・ロッキー(カナダ)、⑭.フィレンツェ(イタリア)、⑮.レオナルド・ダ・ビィンチ「最後の晩餐」があるマリア・デッレ・グラツィエ教会(イタリア)、⑯.アントニ・ガウディ作品群(スペイン)、17.アウシュヴィッツ強制収容所(ポ-ランド)、⑱.バチカン市国、⑲.ヨセミテ国立公園(アメリカ)、20.カッパドキア(トルコ)
20位までの中で、11箇所も行っていたとは我ながら驚きました!でも、燃油サーチャージがこれほど高くなっては、残りを消化するのは絶望的です。
万里の長城(’82/3) グランド・キャニオンの日の出(’07/11)
モン‐サン‐ミシェル(’06/12) スフィンクスとピラミッド(’02/3)
ヴェルサイユ宮殿の庭園(’06/12) カナディアン・ロッキー(’94/2)
フィレンツェ歴史地区(’85/5) ガウディのサグラダ・ファミリア教会(’96/4)
バチカン市国サン・ピエトロ寺院(’95/11) ヨセミテ国立公園(’07/11)
ツアーは全食事付きでした。広東料理、羊のしゃぶしゃぶ、宮廷料理など色々な食事がでましたが、北京に来たらやはり北京ダックでしょうね!
4日目の夕食は、100年の歴史を誇る老舗“全聚徳烤鴨店”の北京ダックでした。26年前にもこの店で食べましたが、客層は特権階級だけの感じでした。今回入った店は新しくできた支店のようで、客層も大衆化して所得水準が高くなっている事が窺えます。その一方、その夜のNHK海外放送で見たNHKスペシャル「激動中国」には、農村地帯の貧困の様子が報じられていて、激しい格差の実態に考えさせられました。しかし、格差の問題は他人事ではなく、日本でも真剣に考えなくてはならない問題です。
3日目の夕食は、宮廷料理でした。店の看板は、清朝のラストエンペラー溥儀の実弟“溥傑”の書です。溥傑は書の大家としても有名でした。
明朝と清朝の約500年に亘り皇城としてきた紫禁城が、1949年新中国誕生以降、故宮博物院として公開されています。南北960m,東西750mの敷地内に大小60以上の殿閣、9000余の部屋があり、外側は幅50mの堀で囲まれています。
なにしろ広大で、夢中になって写真を撮っていましたら、グループを見失い迷子になってしまいました。
故宮の国宝級の財宝の殆どは、蒋介石が台湾に持って行ってしまったので、「美術品の鑑賞なら台北の故宮博物院の方が良い」と現地ガイドが言っていました。
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天安門に続いて故宮の正門である「午門」がある。中国最大の木造建築物「大和殿」は修復工事中でした。
観光二日目は、4箇所の名所巡りをしました。この他2箇所の土産店に寄ったので、各場所での見学時間は1時間弱しかなく、忙しい観光でした。
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『盧溝橋』
盧溝橋というと、私の世代では日中戦争の戦端となった場所と言う忌まわしい思い出しか浮かばないのですが、1192年創建の歴史ある石橋です。
マルコ・ポーロもこの橋を渡っていて、東方見聞録に「世界中これほど見事な橋は見たことがない」と書いています。
また、月見の名所でもあり、乾隆帝の書になる「盧溝暁月」の碑が橋のたもとに立っています。
『周口店北京原人遺跡』
周口店は北京の南西50Kmにあります。1929年12月2日ここで北京原人の頭蓋骨が発見されました。しかし、日中戦争のさなか行方不明となり、いまだに発見されていません。
観光初日の午前は、頤和園,鳥の巣(オリンピック会場),明の十三陵の見学でした。
’82年3月に出張で来た時、殆どの名所は見ているのですが、その当時と変りはありませんでした。しかし、街の様子は様変わりです。自転車の大群が自動車の大群になり、人々の服装も人民服からお洒落な服装になり、平屋だった街並みも高層ビル群の林立に変化しています。
26年も経っているのですから当然なのでしょうが、文化大革命が終わったばかりの世相からはこれほどの変化を遂げるとは、その当時は予想も出来ませんでした。
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頤和園:清朝末期に西太后(中国三大悪女の一人と称されている)が、海軍予算を流用して修復した。日清戦争で、清の海軍があっさり敗退したのは、これが原因と言われています。
H交通社の「とっておき北京5日間」というツアーを利用して、北京にある6ヶ所の世界遺産巡りをして来ました。
スキーシーズン真盛りなのに、全日空直行便,DXホテル4連泊,全食事付で37,800円という激安価格に飛び付いてしまいました。このところの海外旅行は、行きたい所ではなく、旅行代金で決めている傾向があり、我ながら情けなくて恥ずかしい!
冷凍餃子,大気汚染,黄砂などややこしい問題が山積の中国関係ですが、やはり世界遺産は素晴らしく大満足の旅でした。
ただ、低価格のツアーでは土産店に立ち寄る回数が多く、その分観光の時間が短くなるのが難点です。私達は絶対にミヤゲは買わない決心をしていたのですが、それでも1万円位は無駄使いをしてしまいました。殆どの人は10万円位は使っていたようです。現地旅行会社は、そのバックマージンを当てにして下請けしているのでしょう。
機内食の箸袋にはパンダの模様、ケーキもパンダの顔
北京空港の荷物受取台 出口には旅行会社が委託した現地ガイドが待ち構えています
2月28日から5日間の北京旅行に行って、本日帰りました。
旅行の報告は行程順に明日からアップする予定です。帰路、ラッキーにも機上から富士山が良く見えました。
北京空港を離陸するNH956便
レンズの焦点距離84mm(35ミリカメラ換算)で撮影
レンズの焦点距離300mm(35ミリカメラ換算)で撮影
あっと云う間に帰国日になってしまいました。この日はモーニングコール3時、ホテル出発4時で、ラスベガス空港からサンフランシスコ空港乗り継ぎで日本に帰ります。
前夜のオプショナルツアーに参加した人は、ホテルに戻ったのが夜中の1時半頃なので、一睡も出来ず不満タラタラでした。
今回の観光中は、連日快晴続きで現地ガイドもこんなことは珍しいと驚いていました。私達の日頃の行いが良い所為だと自画自賛しました。
サンフランシスコ空港12:00発JAL001便
さらばサンフランシスコよ!
さらばゴールデンゲート・ブリッジ!