ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

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【TOURING - おんな城主の里の巻 -】

2019-04-20 | TOURING

Webーyoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

満開の桜も
山間部へと移り始め、
少しばかり
"山道"が恋しくなる
季節となりましたので、
"桜"を追いかけつつ
山道を流しに出掛けました♪

東海環状は"松平IC"を降り、
県道39号線(岡崎足助線)に入り、
追分交差点より
国道153号線(三州街道)へと合流♪
道の駅「どんぐりの里いなぶ」を抜け
稲武交差点を左折し、
国道257号線に入り向かったのは...。
恵那市上矢作の
"たまごや喫茶らんらん"さん♪
自家養鶏場直営(安藤養鶏場)の喫茶なので、
新鮮たまごを使用した料理で人気のお店♪

流石は養鶏場直営店だけに
サービスで"ゆで卵”が食べ放題なので、
ツーリング途中に訪れるライダーも多数♪
但し...
"ゆで卵"の食べ過ぎには
注意が必要です(笑)

今回は久し振りに
"オリジナル"のオムライスを
いただきました♪
"たまごや喫茶らんらん"さんは、
朝8時より営業しているのですが、
am10:30-までは"モーニングタイム"。
オムライス等の食事をされる方は
入店時間にご注意下さい。
...とは言え、
ランチ開始時間の
am10:30-には駐車場も座席も満タン(汗)
人気店ならではのこととは言え
悩ましいところではあります...。

"たまごや喫茶らんらん"さんで
昼食を楽しんだ後は"岩村"へ。
岩村(岐阜県恵那市)とは、
八百年余年の歴史を持つ三万石の城下町として、
今も城山に本丸をはじめとする石垣を残す
日本百名城のひとつ岩村城跡をはじめ、
重要伝統的建造物群保存地区に選定された
歴史の町並み(岩村本通り)等
数多くの旧跡を有する、
情緒あふれる史跡観光の町です。
- 岩村観光協会HPより -
桜を求め
岩村城址公園(藩主邸跡)へ向かうと、
岩村城太鼓櫓の
"枝垂れ桜"が満開でした♪
「岩村城太鼓櫓」
江戸時代初期、
時の藩主"松平家乗"が、
平和な時代となり
城主が城の山頂に住む必要がなくなったとして、
城の麓に藩主邸を造営。
以後その場所は政治の中心としての
機能をはたす一方、
"太鼓櫓"が設けられ城下に時を知らせた。
時を知らせる為の櫓は
藩主と領民の心の絆となり、
非常時には太鼓を乱打し
領民にそれを知らせたともいわれている。
現在の太鼓櫓は
ふるさと創生の1億円によって
平成元年から平成2年にかけて復元され、
今では岩村のシンボルとなっている。
- 恵那市観光協会HPより -



藩主邸跡の城址公園は見所多数♪
岩村城歴史資料館(内部撮影不可)や
紹介した"太鼓櫓"の他、
"知新館"の正門等々が見学できる。
「知新館」
岩村藩校(知新館)は、
元禄15年(1702年)に
松平乗紀(のりただ)によって創立された。
美濃においては最初の藩校で、
全国的にみても藩学としては古く
10指に入るといわれている。
創立当時2万石の小藩でありながら
文教政策に重点をおき、
有能な藩士の育成を図られていた点は
注目に値する。
知新館の知新とは、
孔子の論語"温故知新"からとったもの。
城址公園には知新館の正門が移築される。

「佐藤一斎(さとう いっさい)」
-人づくり・心そだては まちづくり-
佐藤一斎は、
「この人物が居なければ、
日本の夜明けは無かったかも知れない」と
言われる江戸時代後期の"儒学者"。
門下生には、
佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがおり、
一斉の著書である「言志四録」は
幕末の西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬などに
大きな影響を与えたと言われている。
城下町には一斎が残した名言が書かれた
200枚もの木板が家々の軒下に掲げられている。

岩村城址公園にある
"斉藤一斎翁像"の銘版は
元内閣総理大臣小泉純一郎氏が
"揮毫(きごう)"したものである。
小泉氏と佐藤一斎との縁(関係)は、
在任中の国会答弁で、
「少(わか)くして学べば壮にして為(な)す有り、
壮にして学べば老いて衰えず、
老いて学べば死して朽ちず」と、
一斎の言志四録の「三学戒」を引用し、
生涯学習の大切さについて
発言したことによる。

岩村城址公園より
岩村城跡(本丸)までは800m。
しかし岩村城は、
日本三大山城...
攻略する(登る)には少し骨が折れました(汗)
「日本三大山城」
江戸時代の城の中で
日本一標高が高い場所に築かれていた
山城が"岩村城"である。
天守閣が残るお城の中で
最も標高が高いところにある
"備中松山城(岡山県)"、
麓と本丸の標高差が最も高い
"大和高取城(奈良県)"とともに、
"日本三大山城"と呼ばれ広く知られています。
また、
日本城郭協会が認定する
日本百名城に認定されているのは、
岐阜県では"岐阜城"と"岩村城"のみである。

登城口より少し登ったところに、
"下田歌子勉学所"が復元されている。
「下田歌子勉学所」
明治から昭和にかけて
日本の女子教育の先駆者で歌人であった
"下田歌子(本名:平尾 鉐)”が勉学に勤しんだとされる
勉強部屋(父の書斎)を復元したもの。
歌子の家系は代々学者で
藩校知新館の教授を務めていた。
江戸期には女子は藩校で習い事が出来なかった為、
歌子は祖母から読み書きの手ほどきを受けました。
その才は驚くことに5歳で俳句・和歌を詠み、
8歳で漢書を理解したと言われています。
明治から昭和の女子教育の先駆者としての
基礎を養ったのがこの勉学所と言える。 


『春月』
たまくらは
花のふぶきに うづもれて
うたたねさむし
春の夜の月
ーーーー
「下田歌子(しもだ うたこ)」
宮中に女官として仕えていた歌子は、
ある時、
春月とお題を賜りこの歌を詠んだ。
この春月は、
平安歌人の作品と比べても
少しも遜色のない秀歌と讃美を集め、
昭憲皇太后から
"歌子"を名乗るが良いとのお言葉を頂き、
歌子と名乗るようになった。
<歌子銅像>
岩村町の偉人十傑の一人、
そして岐阜県の郷土に
輝く先人にもなっている"下田歌子"。
下田歌子生誕150周年記念として、
平成15年11月3日に
"下田歌子勉学所"敷地内に
銅像が立てられた。

下田歌子勉学所の向かいには、
弁天池を見下ろす形で、
"三好 学"博士の像が建つ。
この日は、
桜の研究の第一人者である
"三好博士像"を
満開の桜が美しく飾っていた。
...これ出来過ぎダロ♪
「三好 学(みよし まなぶ)」
-環境があって そこに人間が存在する-
三好学は、
明治・大正・昭和時代の植物学者・理学博士である。
日本の植物学の基礎を築いた人物の一人。
特に"桜と菖蒲"の研究に関しての
第一人者として知られ、
殊に"桜博士"とも呼ばれた。
また、
天然記念物の概念を日本に広めた先駆者であり、
希少植物の保存活動に尽力した。
ワシントン市への"桜の苗木"の贈呈に
深くかかわっていたことや、
アインシュタイン博士の日本への訪問の際に
学士院の接待委員長を務めて
歓迎したことなどはあまり知られていない。

ここから
本丸へと続く登城道は一気に険しさを増す...。
"山城(岩村城)"をライディングシューズで
登るのは正直キツイものがある...(汗)
登城道各所の説明は下記のリンク、
"岩村観光協会HP"内の
"女城主の里いわむら"にて詳しく説明されているので
そちらをご覧下さい♪
<初門>


<一の門>


<土岐門>


<畳橋>


<追手門・三重櫓>


本丸まで石段・がれ場等々の
足下の悪い急な登り坂つづく...。
流石に"山城"攻めは身体に堪える(笑)
疲れた身体を城壁に"芽吹いた"
美しい花々が癒やしてくれた♪


<霧ヶ井>
"岩村城"を象徴する場所なので説明を♪
霧ヶ井は、
岩村城が"霧ヶ城"と言われるもととなった井戸。
敵が城を急襲した際に、
この井戸へ城内秘蔵の
"蛇骨"を投げ入れると、
忽ち霧が立ち込め城を覆い隠したと云う
伝説が言い伝えられている。
蛇骨は"二の丸"の宝蔵に収蔵されており、
虫干(むしぼし)をした記録が残されている。



<八幡神社>
HPには"八幡神社"の説明が無いので少しダケ...。
中世の城主"遠山氏"の氏神で、
始祖"加藤影廉(かげかど)"を祀る。
明治5年(1872年)に山麓の現在地へ移転した。
入口に鳥居が建ち、
中段には別当寺である"薬師寺"、
最奥部に拝殿と本殿、八幡櫓があった。
棟札から永正5年(1508年)には
神社があったことが分っている。


<六段壁>




<本丸>
「おんな城主おつや」
1185 年(文治元年)、
源頼朝の家臣"加藤景廉"が遠山荘の地頭となり、
景廉の長男景朝が岩村城を築き"遠山氏"を称しました。 
戦国時代末期、
城主の"遠山景任"が病没し、
養子として迎えていた
織田信長の五男"御坊丸"がまだ幼少であったため、
その夫人(織田信長の叔母)が実質的な城主として、
領地を治めていました。
いわゆるおんな城主"おつやの方"です。 
おんな城主は大変聡明で美しく、
領民に慕われていたそうです。 
1572 年(元亀 3 年)、
武田信玄の24将のひとり"秋山虎繁(信友)"が侵攻。 
おんな城主は自ら采配を振るい、
信長の支援を待って籠城作戦に出たがしかし、
この時、
信長は長島の一揆などで前に進めずにいた。
籠城は3ヶ月にわたり、城内の食糧も不足 して来たところ、
虎繁から女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。 
おんな城主は苦渋の末、
城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し"開城"。 
その後の数年間、
おんな城主は虎繁とともに城の普請や城下町の守備に勤しみ、
平和な日々を 過ごしました。 
しかし、
御坊丸は信玄のもとへ人質として送られてしまい、
岩村城も乗っ取られてしまったことに信長は黙っていませんでした。 
1575 年(天正 3 年)、
長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、
武田と織田の勢力が逆転し、
信長の嫡男"織田信忠"率いる織田軍が攻め入りました。
この時も半年に及ぶ籠城で城を守りましたが、
武田の援軍も望めず、
信長からの条件を呑み開城。
その条件とは、
領民を守り"おんな城主と虎繁の命を守る"という約束でしたが、
信長はこれを反故にし"夫妻は磔刑"に処されたのでした。


登城で疲れた身体を癒やしに、
"岩村城下町"へ...♪
「岩村城下町」
岩村町の岩村本通りは、
平成10年4月に商家の町並みとして、
岐阜県で3番目、
全国では48番目に国(文化庁)の
重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
岩村は江戸時代に東濃地方の政治・経済・文化の
中心として栄えた城下町で、
保存地区は城下町の町家地区として形成された町の形態と
近代の発展課程を伝える町家群が
周辺の環境と一体となった東濃地方の商家町として、
特色ある歴史的景観を良好に伝えています。
現在も、
保存地区内では地元の商店街として商いが営まれており、
人の息遣いが感じられる生活感のある町並みが
来訪者を穏やかな空気で包んでくれます。
保存地区内には、
木村邸・土佐屋・勝川家・柴田家・上町まちなか交流館といった
旧家が一般公開(一部施設は有料)されており、
当時の面影に触れることができます。
- 城下町ホットいわむらHPより -




岩村に訪れる際には
私はいつも"松浦軒本店"さんに立寄ります...♪
「松浦軒本店」
創業 寛政8年、
和菓子作りを生業とする。
屋号を"横屋"と称し、
辰蔵を代々襲名。
明治に至り
"松浦軒本店"と名乗る。
七代210余年...
江戸時代に長崎より伝わった、
ポルトガル伝来の
"カステーラ"の製法を守り作り続けている。


温かいお茶と一緒に
伝統製法で作られた"カステーラ"の試食ができ、
散策で疲れた身体を優しく癒やしてくれます♪
この日は、
"端午の節句"も近いということで
"柏餅"をいただくことにしました。


岩村の城下町(西町商店街)は、
NHK連続テレビ小説"半分、青い"の
ロケ地として選ばれた場所でもある...。
※劇中では"ふくろう商店街"として紹介される。



町の至る所に
ドラマの番宣ポスターが貼られる...。



西町商店街には
出演者の皆さんがお店に訪れた際に撮影した写真や、
撮影の様子を記録した写真が数多数展示される。

写真を眺めながら
ふと...木戸に目をやると、
手作り感が満載の
"うんま!"い五平餅マップを発見(笑)
精巧にできた模型と詳しい説明が
...なんとも素敵♪
私のお気に入りの五平餅店が
岩村にも出店していたので、
五平餅を食べに向かうことに♪

「加登宇酒店」
本業は酒屋さんなのですが、
"あまから岩村店"の暖簾も掲げる♪


五平餅といっても
お店によって味も形も様々なもの...。
個性溢れる中部地方の郷土料理でもある
五平餅を探究してみる...
というのも楽しいのではないでしょうか♪

このままでは
グルメ紀行的なブログと勘違いされてしまうので(笑)
一応はオートバイを扱うブログとしての
体裁を整える為に、
"太鼓櫓と満開の桜"を背景に
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を撮影した
画像を載せておくとしましょう♪

最後は、
NHK連続テレビ小説"半分、青い"の
主題歌で"シメ!"

星野源/アイデア【Music Video】
...
つづく日々を奏でる人へ
すべて越えて届け

では
Thanks for coming!
Webーyoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪

【関連記事】
【TOURING - 妻籠宿の巻 -】<2018年6月8日更新>

【関連資料】
【たまごや喫茶らんらん】-恵那市上矢作の喫茶店(食べログ)ー
【岩村観光協会】-岩村観光協会HP-
【え~な恵那】-恵那市環境協会HP-
【ホットいわむら】-城下町ホットいわむらHP-
【松浦軒本店】-岩村城下町の和菓子店-
【あまから本店】-恵那市の五平餅店(食べログ)-
【連続テレビ小説「半分、青い」】-NHKドラマHP-


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。

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2 コメント

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Unknown (たけ)
2019-04-21 16:42:48
まだ上海にいます
撤収作業=7年分のアカが多く作業ははかどっていません
オートバイに乗ってお出かけ良いですね
私も撤収作業をしながら、戻ったら○○と考えていますが
まずは、新しい生活を立ち上げる事で一杯です

仕事も同じ会社ですが、浦島太郎状態でまるで転職したかのようです・・・・トホホ



ではまた
返信する
Re:たけさんへ (ヨッシー)
2019-04-22 18:32:52
コメントありがとうございます♪

海外赴任お疲れ様でございましたm(_ _)m
出国するまで...
気を抜かぬ様にして下さいね。
某国は危ないでしょうから...(汗)

戻られまして
生活が落ち着かれましたら、
いつものお店で飯でもしましょう♪

"浦島太郎"でも良いじゃないですか!
心機一転頑張って下さい。
この国には自由がありますよ♪
(実際には自由...の様なものですが(笑))
仕事のストレスも
今まで溜まりに溜まったフラストレーションも
爆発させて楽しんでしまいましょう。

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