ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

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2015-01-30 | magazine(雑誌紹介)

Web yoshy'sGarageへようこそ♪管理人のヨッシーです(^^)ニコ

雑誌入荷のご案内です


☆RACERS Volum31
HONDA[NT5] NXR750
初めて直面するサハラの現実
それでも勝ち続けた"砂漠の女王"
[THE SCENE from scenes]
'86-'89パリダカ4連覇の轍
[TECHNICAL REVIEW]
たった1レースのために壮大なプロジェクト
砂漠に特化した780㏄水冷Vツイン

「Rallye Paris-Dakar(パリ-ダカール・ラリー)」
美しきサハラ砂漠を激走するMachine。
MachineもRiderも
そしてStaffさえも激しく消耗する
「世界一過酷なMotorSports」。
それがこの競技だった。
TV画面からでも
その過酷さは想像できたほどであり
その競技内容が過酷であればあるほど
スタート(France/Paris)~ゴール(Senegal/Dakar)までの
12000kmの距離を走りきること
そのものに重みを感じたものだ。
僅かな者だけが
生き残る事が許されるSurvivalRaceだからこそ
最終日に行われる
完走者全員が横一列になり
Senegalの海岸からDakarまで走る
「VictoryRun」は感動をした記憶がある。
VictoryRunと言っても
相当の距離があったのだが(笑)
素晴らしき冒険。
最高の達成感。
それらRallyの魅力が凝縮された
最高峰の競技だからこそ
名称もコースも変更されてはいるが
今もなおダカール・ラリーは続けられているに違いない。

1986年1月14日
「Rallye Paris-Dakar」の父(Thierry・Sabine)は
自らが操縦するHelicopter事故で帰らぬ人となる。
この事故は
確かTVニュースでも放映されて
私も驚いた事を記憶している。
世界中のRallyFanは
これで「パリダカは終わった」と感じたに違いない・・・
されど
RACERSに書かれている
Thierry・Sabineの言葉がそれを許さなかった。
何とも感動的な言葉なのだが
これは是非RACERSをお買い求めいただき
書籍に書かれた内容と共に
その言葉の重みを感じて欲しいと思う。
そしてもうひとつ
彼が残した言葉がある・・・
「私にできるのは"冒険の扉"を示すことだ
扉の向こうには、危険が待っている
扉を開くのは君だ
望むなら、連れて行こう」-Thierry・Sabine-
そう!
これが「Rallye Paris-Dakar」という競技なのだ。


A Fistful of Trophies-Off-road rally racing

Realyoshy'sGarageの本棚に
ご紹介した冊子を置いておきますので
美味しいコーヒーでも飲みながらご自由にご覧下さい

では
Thanks for coming!
Web yoshy'sGarageはライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪

 



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