陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の滸(ほとり)」(十)

2009-09-15 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女



「ここの川にはごみひとつ落ちてやしない。この水だって平気で飲めちゃうんだぞ」

手のひらですくった水をうまそうに飲み干しながら、真琴がつぶやく。
「おいしい、おいしい」とごくごくと喉を打ち鳴らし、ぷはぁ、と酔っぱらいのような暑苦しい息までついて、つれない友の気を引こうとする。指先を広げては零れていく雫をいたずらに投げつけてやったのに、姫子ときたらまったく鈍いのか、こちらに振り返ろうとしない。さらさらと足もとを流れる水のせせらぎだけが、姫子には聞こえる。姫子はすっかり無心になっていた。

「かわいい女の子でも写りゃあいいのにな」

真琴がそれから二、三の言葉を投げかけたらしいが、姫子には聞こえなかった。
少しだけ声のトーンを甲高くした真琴の声は、水面に反射してふわりと舞いあがり膨張したように聞こえた。だが、それはすぐに、大きな広い流れに吸収されてしまった。
ちぇ、とわざとらしく大きな舌打ちすらお見舞いしたのに、姫子は動じない。真琴はしまいには何も言わず、ぷすん、とくすぶったようなため息を洩らした。

写真資料は姫子に任せきりになって、真琴はその現地の環境をくまなく観察して、せっせとノートに書き込んでいった。
川のあちこちをしらみつぶしに調べ回すうちに、真琴にも、ただの水の流れと思いなしてきた川に対して、えもいわれぬ愛着がふくれあがってきた。川の流れに身を任せる魚の俊敏さだとか、水の冷たさや重たさといった物理的なものに興味があった真琴は、そのとき、目に見えるがままの景色を一幅の山水画を眺めるような心持ちで捉えはじめたのだった。

川というものは、海にはない独特の魔力があった。
そのはじまりを追い求めようとして、いつのまにか、人を高いたかい頂へと誘ってしまう魔力が、川にはあるのだった。まるで水の神が人間もしくは生きものすべてに甘く濡れた糸を垂れているかのように、川はどこか大陸の割れ目から人間の知らないうちに湧きいでて、世界を分断しながら流れている。いつか、そのはじまりを誰かが突き止めることを願っているかのように、川は枯れはてて消えてしまうことはない。古代の文明が大河の近くで発達したのも頷けるかな、川は豊かな暮らしを人間に与えてきた。川を眺めつくして小一時間もそこにとどまっておれば、古代人の川にこめた畏敬の念が胸にうずいてくるのだ。

真琴は、はたして、この川のもつ、あまりに清らかすぎる水を流しているがゆえの魔力につかれてしまったのだろうか。
この川のはじまりの一滴が湧きあがる源流を訪ねてみたくなって、足はおのずと上流へと向かっていった。この長い川をたどっていく。脊椎の骨がひとつか、ふたつばかり増えて、魚の背筋のようにぴんとまっすぐに伸び立ったような、すがすがしい気持ちがしてくるのだった。

真琴はひたすらひたすら前へ前へと歩む。
百メートル、二百メートルという見通しのたつ距離よりも、さらにさらに長く遠い、そして複雑にうねったその川筋を。定められたゴールというもののない未知の領域をめざし、真琴の視線ははるか向こうへと伸びていった。




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