陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「偶像の下描き」(十三)

2010-12-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


書店の外へ出ると小雨がぱらついていて、ひと影を忘れた歩道はドット絵のように斑に染まっていた。
入口のドアの人口芝生のマットで止まって鞄から傘を出そうとしたその合間に、おぼろげに淡い桜いろの影ができた。さっきの少女が傘を広げて、親切にも駆け寄ってくれたのだ。傘を差すとよくわかるが、彼女は自分よりも頭ひとつ分は背が高かった。

「ありがと。二度目の親切だね」
「いえ、こちらこそ」

明るく笑む少女に、私は買い物を差し出した。
少女の目が驚きに開かれていた。だが、私のほうもしまったと思った。コミックスを包んだ紙袋に雨滴が当たって、かすかに滲んでいたのだ。滲み出した狐いろの紙袋から、うっすらと表紙が透けていた。表紙は水を弾くだろうが、中身はふやけてかすかに波打っているかもしれない。

「レジでビニール袋に入れてっていえば良かったな。ごめん」

私の口のなかでつぶやくようなか細い謝罪も聞くことなく、少女の興味は紙袋の中身に惹き付けられていた。サイズと厚みを手で確かめて、おもちゃを与えた子どものように、にわかに満面の笑顔になった。

「あっ、これ、さっき言ってたレーコ先生のおすすめ漫画ですね。わたしも保存用と、読書用と、千歌音ちゃんへのプレゼント用で三冊買ったんですよ。今度ね、マコちゃんへの布教用に買おうと思ってて。あ、マコちゃんていうのは、私のルームメイトで。貴女も買ってくれるなんて嬉しいな」
「そう? そんなに嬉しいもの?」

私は、引きちぎるように紙袋から本を取り出した。
新聞紙のように軽く破れていく袋は、ぺりり、と小気味よい音がした。その音を聞くと、自分の胸の奥に張りついていたものも、剥がれていくような爽快さを覚えた。幸いなことに、本体は懸念したほどには濡れていなかった。

ビニール製のカバーに浮いた細かい水の粒を、ていねいに親指で拭った。
そういえば、漫画家になってから、コミックスをこんなに丁重に扱ったことなんてなかった。売れ残りのコミックスが、自宅には段ボール積みで残っていて、見るのすらうんざりしていたのだから。

「おなじ作品を好きな人が増えるのって嬉しいですよ、もちろん」
「そうね」

ふふと、含み笑いをした。
そう、あの作品のいちばんのファンは他ならぬ自分自身。たとえ世界中の誰からさげずまれたとしても、いちばん愛してる作品だと言える。そしてこの私以外に熱狂的なファンがいてくれたことも。

「貴女、お名前は?」
「えと…、来栖川姫子です」

私がその少女の名を尋ねたのは、今日の日の親切を記憶に刻み込むためなどではない。
本来ならばこの日に果たさねばならないお勤めを、本来のその場所から遠く離れたこの場所で、気まぐれにも行おうとしたに過ぎないのだ。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」






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