「ねぇ。ねぇったら。聞いてるの? わたしのお父さんとお母さんがね…あ、それ!」
びっくりしたことに、その人はわたしが見覚えのあるカメラを手にしていたのです。どうして見覚えあるかって。それは、わたしがかってに持ち出して、お花をとろうとしたときに、うっかり落として、角をきずつけたことがあったから。お父さんはやさしいから、だめだぞ、俺の商売道具を持ち出しちゃあと言って、軽くこつんと頭を小突かれるだけで、それ以上、やみくもに叱ったりしなかったのです。
「写真機、好きなのね?」
「え、あ、うん。カメラ、お父さんがね、仕事でつかうから」
「だったら、教わらなかったの? 人間が写真機で覗いてはいけないものがあるって」
「覗いてはいけないもの?」
「そう。ひとつは太陽」
「そうなの? お星様やお月様は見てるのに、お陽様だけがだめなの?」
「そう。絶対に赦されない。紛いものの瞳であれを見ることは赦されるはずがない」
「じゃあ、もうひとつは?」
「もうひとつは…あなたの中心」
その人は、わたしのちいさな胸のまんなかにレンズを押し当てたまま、そう言いました。
そのときになって、はじめてわかりました。この人が、女の子だったということ。しかも、どちらかというと、格別にきれいな子だったに違いないってこと。
「そんなとこ、覗けないよ」
「いいえ。姫子なら見れる」
「見ると、どうなっちゃうの」
「見ないほうがいいの。空っぽのガラスの水槽を覗きこむようなものだから」
「空っぽの水槽?」
「何もないガラスの水槽を覗きこむと、いろんなものが歪んで見える」
「そうかな?」
わたしが無邪気そうに笑っていたのを見てとると、その人は、なぜかしら、とても悲しそうな顔をしてしまったのです。そして、彼女はわたしの耳に、とても美しい声で、こうささやいたのでした──「覚えていて悲しむより、忘れて笑う方がずっといい」。
この世界では、いいことも、悪いことも、水の流れるようにあっというまに通りすぎていく。写真に残すのは、覚えているためだけじゃない。記憶を選り分けて、忘れておくためでもあるんだ。だから、わたしはずっとそうしてきたのです。でも、ふと、こう考えてしまうのです。都合の悪い想い出を隠すために消しゴムが身を粉々にしていくように、わたしがそれを行いつづけたとしたら、いったい、「わたし」は最後にどうなっちゃうんだろう?──って……。