陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日曜写真館 九枚目 「日常階段」

2008-12-05 | 芸術・文化・科学・歴史



幼少時代、家でなんども階段を昇り降りする生活を強いられた。子どもに優しくない家だった。
当時としてはかなり坪単価の高い商業地に一軒家を建てたので、家族が増えるにつれ上へ上へと増築せざるをえなかったのだという。子供部屋が最上階にあって、ベランダからの見晴らしは絶景だった。夏には花火、秋には澄んだ夜に満ち月、冬にはきらめく星がよくみえる。春に吹く風の薫りかたも違っていた。街の底にたまったあのいやな匂いがしない。濁った世間話からも隔てられる。夜中にいっしょの布団で交わした娘たちのひみつの会話は、ご近所に聞き耳をたてられることはなかった。
けれど、この高さは勘弁してほしいと思った。ある日、四階のベランダの手すりから下を覗いて、その高さに激しいめまいがした。

階段に苦しめられるのは、大学に進学してからもだった。さいわいにして学生寮は一階であったけれど、敷地が狭い学内は階段が多かった。重い荷物をかついで、延々と昇る階段。自然と無口になる。息を荒げるし、同行者と肩を並べて歩こうにも不自由だった。ラファエロ・サンティの名画「アテナイの学堂」に描かれたように、哲学者然としたふたりがさっそうと意見を交わしながら歩む。それが許される階段は、やはり十段ぐらいまでだった。

したがって学びを終えてから移った住まいをことごとく一階にしたのは、自然なことだった。不動産の営業マンには驚かれたが、引っ越し業者にはいつも喜ばれた。移るにも住むにも安くつくのは、こちらとてありがたかった。


今年の夏、結婚した身内の新居を訪れた。
玄関を一歩入ってまず目を惹くのが、シルバーの螺旋階段。螺旋といっても一巻き半ほどで目を回すほどではない。デザインを提案したのは母だった。渡辺篤史の建物探訪を毎週欠かさず観ている彼女は、とくに専門的に習ったわけではないのに、建設にあたっていろいろアドバイスをし、設計会社の担当者も応じてくれたらしい。打ち放しコンクリートの壁というのは、なんとも無粋な感じがする。木造の家屋に比べれば冬場はかなり寒くて、私のように夏場でもあまりノースリーブになれない寒がりには長くは住めそうにない。

しかし、その凝りすぎないシンプルさ、ざらついた家の肌がなんともよろしいのである。ル・コルビュジエやルイス・カーンの構造美学の流れを汲んでいる。
グレーを基調にしたおかげで、室内は白、黒、ブラウンといった落ち着いたカラーリング。ときおり青やイエローでアクセントをつける。主張するのは小物で。装飾品とおなじ、移動できるものにこそ濃い色づかいを任せるのである。
内装のセンス、家具の選択にはかなりにセンスが感じられる。その新しい家はすばらしく美しかった。希望の家、そう呼びたかった。





住みやすく、かつ、美しい。デザインのすぐれた建築とはそういうものである。しかし、これは難しい。安藤忠雄の代表作「住吉の長屋」が、住む者にかなりの忍耐を求めてしまうのは、その証左。生活の美しさにはかなりの努力を必要とするのである。女が化粧や庭の花の手入れを怠らないように。

階段を螺旋にしたのはスペースを節約するためだろうが、母にはいまの住まいの窮屈なつづら折りの階段が厭わしかったのかもしれない。女の長年の感覚から導いた生活動線はたしかなもので、新居は住人にとってかなり住み心地がいいのだという。しかし、デザイナーズマンションといっしょで、鉄筋コンクリート製のハウスはメンテナンスがたいへんそうだ。ローンの返済も楽ではないのに、やはり城をもてたことが嬉しかったのか。家の持ち主は終始、ご満悦な様子だった。高い買い物をするから、がんばって稼ごうと思えるのだと。

その意欲は私にはわからなかった。車ひとつ持ったことはなく、土地に縛られたくないと考えている私には。
重荷をかかえても、昇り降りすることが苦にならない階段。空より遠く地べたに近い楽な暮らしぶりで足腰の緩んだ私には、望むべくもなかった。

もはや回転するステンレスの階段は緊急の逃げ道ではなくなった。
かつては非常の入口、夢の空へのはしごとされた螺旋の階段が日常になるとき、生活はファンタジー色を帯びてくる。幻想を現実にもちこむのは高くつくのである。私はすなおにその日常階段がうらやましいのだった。私より長くあの優しくない階段に鍛えられて、世の中に揉まれていた、まともな人間の生命力が。



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