クリエイターを死なせるものは何なのだろうか?
ふと、そうした疑問が思い浮かぶことがある。絵描きでも、物書きでも、職人でも、あるいは学者でも。何かをつくる人はなぜ追い詰めてしまうのか。
数年前、私がSNS上で言葉を交わしたことのあるアニメ関係者は、その数日後に自宅で孤独死していた。前年、年賀状をHN名義で出した(直接住所を知らないので、アニメ監督所属の会社経由にしたが、届いたのかは不明)ある脚本家は、つい最近、急逝された。あまりにも若すぎる死だった。
クリエイターを死なせるのは、貧困だけでもなく。無理解、不調法、孤独。あるいは過剰な褒め殺しによる圧力。
好きな道を選んだのだからと、その仕事の報酬は無下にされやすい。自分だけが楽しんでいる、夢をあきらめた一般人からは、そう妬まれやすい。同じ創作仲間でも仕事の奪い合いがおき、創作の方向性をめぐって争うこともあるだろう。デリケート過ぎて我が強い。そうした創作に必要な気性が人生の仇になることがあり、それが健康を損なうこともあるだろう。
訃報に接したときに私がまず思ったことは。
とても不謹慎ながら、もう彼の新作は見られないのか、という落胆だった。読者はわがままなのだ。好きな作家の活躍が知りたい。華々しく知られてほしい。その一方で、すべての作品を応援できず、つぎつぎに消費したい作品は世に輩出されてゆく。趣味から離れたいと願う時期だってある。読者は作品ばかり鑑賞して過ごしているわけではないからだ。読者は作者の友だちでもなく、パトロンでもない。
いまからおよそ20年近く前の、師走の深夜。
私があのアニメを偶然観かけなければ、このブログを運営している自分も、何度も挫折しながらもあの続編が生まれる可能性がある限りはと、生き延びてきた自分はありえなかったのだ。その事実に感謝しつつ、私は何度もその作品を語りつづけた。はたして、それは応援の声だったのだろうか。
読者の人生を変えることがある。観た者の未来を長くしてくれることがある。だからこそ、そうした虚構の世界の作り手は、できるだけ長生きして頂きたかったのだ。だが、創作することが命を削る行為そのものである、そんな作家だっていたりする。
人生は短く、芸術文化は長い。
作品があれば、そのひとの魂は宿り、永遠に語り継がれるだろう。けれども、それは保障された名声ではない。美術史上の画家がある時代は埋もれ、数世紀のちの脚光を浴びたように。語り継ぐ人はいつかは死に、忘れ去られてしまうことがある。情報の氾濫に沈んで、消えてしまうことだってある。
作家はものをつくらなければ、死んでしまうのだろうか?
作品を生み出し続けなければ、その人らしさは奪われてしまうのだろうか? 読者の期待に応え、消費するにふさわしい財やサービスを提供できなければ、その人は死んだも同然になるのだろうか? それはクリエイターに限らないが、職業を自己のアイデンティティと捉える呪いではなかろうか。それが、クリエイターを仕事と日常の区分のない、奉仕的な過労へと追い込むのではないのか。
美しい絹をつくるために繭を吐き続ける蚕のように。
いつもなにかを生み出し続けなければ自分ではない。誰からも認められない。そんな人生はいつか自分を滅ぼしてしまうだろう。だからこそ、クリエイターを名乗る人ほど、創作とは関係ないことをやってほしいとさえ思う。仕事が来ない時期、スランプに陥った時期は自分の転機を図り、新しいことに挑戦できる時間が与えられたのだと考えてほしい。本を買うよりも、食事のほうが一層大事だ。どんな天才だって、毎日毎月毎年、絶対無欠の傑作をつくりつづけられたわけではないのだ。読者はそんなことぐらい百も承知なのだ。
私はプロ、アマ問わず、クリエイターを名乗る人は。
こうした「何者かでなくてはならない」病気にかかっているように感じる。その「何者」かが、実は、小学生ですらデビューできるほどのものであると知ったとき、素人くさいネット上の創作でももてはやされると知ったとき、「何者」かを名乗るだけでは暮らしていけない事実に向き合ったとき、長年努力の上で培った矜持がいちじるしく傷つけられ、ために心身を損なうことは想像に難くない。実際、お金になる創作物にはそれなりのクオリティがあり、かつ、かなりの組織的調和を必要とするのだが、無料でひとりで創作物を享受できる世代には、それが響かない。
そういった誇りをいったん捨ててしまえば、もっと楽に生きられたのではないだろうか。
作家である前に、一人の人間としてまず健康に明るく生き続けること。それこそが大事なことではないのか。そう思ってほしかった。
愛すべき作家の死に哀悼を示すも前に。
こんな私論を披露するのはおこがましいだろう。そして、これからも、私はその人の死後も、気まぐれに身勝手な評論を続けていくのだと思う。老いや病気、あるいは環境の劣化によって、ときには正常な鑑賞眼を損なうことを恐れながらも。今後も生み出されるであろう、面白い作品との出会いを待ちわびて。
(2023/02/19)