陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

芸術家は労働者の涙を知らない

2020-11-20 | 芸術・文化・科学・歴史


アーツ・アンド・クラフト運動の推奨者であるデザイナーかつ詩人のウィリアム・モリスは、生活の中に芸術をとりいれようと試みました。19世紀の産業革命下の英国では、急速なオートメーション化によって昔ながらの職人仕事が奪われていきつつあったのです。学生時代、カリグラファーに惹かれた私は、関西のさる私立芸大のミュージアムにて開かれた企画展に立ち寄った覚えがあります。モリスの創案したインテリア製品や植物の模様はいまでも知られ、ブランドになってもいますね。また、彼はすぐれたファンタジー作家でもあり、のちの『指輪物語』の著者でもあるR・R・トールキンにも影響を与えたとされます。

そもそもモリスがお手本とした中世の芸術家は、ひとりの天才ではなく、画家の工房でのチームワ-クでした。画家が、いや、ひいてはクリエイターたるものが個人事業主めいた立場になるのは、近代になってからといいましても過言ではありません。

パトロンのご意向を伺い、注文をうけ、締切日までに組織一体となって制作する。
これは、いまでいえばさしづめ、アシスタントを雇った漫画家やアニメのスタジオでも同じことです。けっして、けっして、ひとりの名前のある人だけの作品ではないのです、本来は。

最近は描画ソフトの躍進で、個人がアニメーション制作もできるようになっています。
同人誌もひとりで発行できますし、オリジナルデザインのジュエリーショップも立ち上げできます。誰でも自己完結のクリエイターになれる。でも…。

ネット上でも現実でもいる、こうしたひとりクリエイターに出逢うたびに、私はなにかが違うと思ってしまいます。
彼らは自分の作品のことや、自分の好きな領域のことばかりにかまけて、他人を、この世の中をまったく見ようとしないのです。

彼らは役に立たないと突き放されるのが怖い。
しかし、そのくせ、庶民の生活を馬鹿にしています。海外旅行だのでルーブル美術館にいっただの、歌舞伎や能楽を観劇しただの、そんなことでいっぱし教養人になったつもりが、ニーチェいうところのなんとなく俗物教養。本当の教養とは、自身の精神を涵養すること、他人に良い影響を与えること。大聖堂のステンドグラスを見ながら、御堂の仏像を拝みながら、なんらの信仰心ももたない日本人の美意識は海外人には不思議に映ります。

最近、私は懇意になった芸術家先生のグループ展の招待状をうけとりました。
このお葉書は毎年いただいているものです。先生の近況報告になっているのでしょう。しかし。その葉書に掲載された作品は、いつもグループ内も持ちまわりなのか、センスのない作品が映っています。

正直にいいますと、この野外展示のグループ展は、なんのために開催するのだろうかという気がします。
コロナ禍でひとが密集してはいけないこの時代に。非正規労働者が職にあふれて、食うに困りつつあるのに。育児や介護、看護で疲れたひとは、けっしてこんなモニュメントに立ち止まらない。

気どっていうならば、彼らの作品は、「私たちの暮らし」のなかに根を下ろしてはいないです。
作品の説明をされますが、ほんとうにどうでもいいコンセプトを提示され、謎解き問答のようで、それがわからないと感性が鈍ったねと馬鹿にされ、ひどく苛ついています。制作者もほとんど高齢化しており、まれに若い人の参加もあるもののいかにもチープな素材でつくった学生さんの卒業制作レベルどまりです。廃品を断捨離でうっとうしいくらい整理した私からすれば、産業廃棄物もいいところです。

お金持ちになりたいとか、有名になりたい。あくせく働かずに、他人から羨望されたい。
そんな軽薄な理由でつくったひとの作品は、たかが知れています。他人のアイデアや図像を盗んでクリエイター名乗りをしたために総スカンをくらった女子学生さんがいましたが、えせ芸術家にはあんなタイプが多いのです。そして私たちもホンモノの味わいをもはや知らない。そもそもアートの価値なんて、眉唾ものです。ジョーダンがちょこっと履いたバスケットシューズみたいに、得体のしれない付加価値がつく。実体のない経済です。

立体物の素材はかなり高価ですし、それなりの加工をするなら業者発注にかけないと駄目なんです。
子育て世代ができるはずがないし、年金が苦しい高齢世代が道楽でやれば老後貧困に陥ります。そんな現実的なことはつらつら考えてみると、私は今年、あの秋の展観に出かけるのがとてもとても憂うつになります。

芸術に関する教育をうけた私は、労働者の苦労たるものを知らずに社会に出ました。
そして、なまじ国立大学院卒、行政書士などのまあまあな難易度の士業資格があったりするものですから、ほんとうに鼻が高くて会社になじめない性格でした。私は学生をやめてから十数年ぐらいたって、やっと、世の中のお金の仕組みや、政治に関心を持つことや、人間関係を大切にすることを学びましたが、ほんとうに私のような年齢になってからでは手遅れです。

芸術家は労働者の涙を知らない。
世の中の、とりとめもない生活者への共感を知らない。
芸術家ではなく、学者でも、教師でも、同じこと。
世の中は美しいものだけではなりたちません。個人の思想や感性はないがしろにしてはいけないと思いつつ、それでも他人の生活を脅かすような作品づくりはあってはならない。ひとはパンのみで生きるわけはないが、パンだけでは生きられない。毎年、芸術の秋がくるたびに、いつもそんなことをぼんやり考えてしまいます。


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