陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ユスラウメの成る頃に 2018

2018-05-26 | 自然・暮らし・天候・行事
五月の連休当たりから草木が勢いづいて、手入れがたいへんですが、しかし、この時期は楽しみな時節でもあります。今年もユスラウメがほどよく実りました。

ほどよく、と書いたのは、昨年秋の暮れに庭の剪定をお願いして、樹木を減らしたため。
ユスラウメの木もかなり刈り込まれたので、今年の収穫は無理かなと思っていたら。かなり低くなって、枝なんて倒れ掛かっているのに、それでもしっかりと赤い実をつけていました。しかも、低めにあるから鳥にも狙われない。いや、もともと育ってもたかだか3メートルまでの灌木なのだけれども。

今年の収穫量は、中のボウル一杯ぶんぐらい。
家族ふたりのみでつまむには、ちょうどよい量。例年、かなり余り過ぎるほどあるので、困っていました。現在、植えているのは二本のみ。枝のみ鉢植えに植えたのは実をつけずじまいだったので、そのうち、土地に放すことにしました。そうなったら、結構、増えそうだけれど、果実酒にしてもいいのかもしれませんね。ユスラウメがあるので、サクランボを買って食べなくていいね、ということになりました。

庭には、ほかにも、果実の木がけっこうありました。
柿の木は、葉がもっさり茂るけれど、いっこうに実る気配がないので伐採。夏ミカンの木はけっこう高くなってしまい、屋根をも超えて、毎年、たくさんの実が転がり落ちる。拾っても、すっぱくて食べられたものではない。昨年の剪定で幹だけになりました。かわりに、ホームセンターで、家族が好きだというハッサクの苗木を購入したものの、植える余裕がなくて、いまだに鉢植えに収まったままです。木は寝付くと気軽に移動できないので、最初の場所選びが肝心ですよね。こちらの体力がなくなってきたら、管理が億劫になるし。

最初は土いじりなんて嫌で、みみずとか、ヤモリとか、アマガエルに出くわすたびに気持ち悪かったのですが、慣れというのは怖いもので、もう驚かない。アマガエルは人に慣れるのか、かなり接近しても逃げませんね。都会に行くと、歩道の花壇や河川敷を利用して、かってに家庭菜園にしているのを見かけます。以前、住んでいたマンションでも、大家さんがコンクリの駐車場のうえに野菜畑をつくっていたのですが、やはり、人間というのは、翠を欲しがるものなのではないでしょうか。

ケビン・コスナー主演の「ウォーターワールド」という映画で、全世界から陸地がほぼ消え、海だけに囲まれた世界で、主人公の男がトマトの鉢植えを大切に育てるシーンがありますよね。昔はなんとも思わなかったけれど、いまなら、その気持ち、よくわかります。生物は太陽を含みいれる土とともに発展してきたのです。海しかなかったら、自分の足で走ることもできなかった。ずっと宇宙空間に漂うようで、脳は軽くて、重力とかエネルギーとかを見出すこともなかったに違いない。世界も青みがかったほぼモノトーンに近かったに見えたに違いない。花はなく、実の甘さもなかったに違いない。小学生の頃、朝顔の水遣りとか観察日記とかめんどうですごく嫌でしたけれど、あれにも、それなりの意味があったのだと、今更のいまさらになって思うのでした。

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