陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

THE ART OF GAMAN

2010-11-14 | 芸術・文化・科学・歴史
NHKの「クローズアップ現代」という番組で、スミソニアン博物館で開かれた日系人の作品展を特集していた。

生き生きとした動勢を見せる鳥の彫刻。ニスを塗って艶を出した木彫りの牛。ひまわりの種でつくったブローチ。海岸で拾えそうな何の変哲もない石を硯にして、その蓋に蟹を彫り込んだもの。小さな巻貝を集めて、真珠のようなアクセサリーにしたもの。いずれも、値段がついて売られていてもおかしくない美しい品ばかりだった。

だが、これらは作品展といっても、れっきとした芸術家を名乗る者の作ではない。
いずれも元は農場を経営したりするなどしていた日系人たち。第二次大戦前に渡米し農場などを経営していたが、太平洋戦争が勃発すると反分子として強制収容所へ収監されてしまった。その収容所暮らしで生まれた作品なのだ。

番組内では、収容所送りにされた日系一世、二世たちの体験談があわせて紹介されていた。裸一貫で飛び出して異国の地で不当な差別に耐え抜きながらやっとのことで手にした土地や地位を、一夜にして失った日本人たち。その怒りと屈辱たるや、相当たるものだろう。
ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所ほど残虐ではないにせよ、彼らは名前を奪われ、住処を取りあげられ、犯罪者のように番号で呼ばれた。人格を踏みにじられた極限状態であったにもかかわらず、彼らは尊厳を失わないために、日本人としての手先の器用さを活かして、まず身の回りの品から手づくりすることをはじめたのだった。

こうした作品は二世、三世たちに受け継がれたものの、長らく世に出ることはなかった。
収容所送りにされた世代が、日本の敗戦後、子どもたちが米国社会で迫害されることを恐れて、あえて苦しかった当時を語り継がせようとしなかったためだ。作品展を企画したスミソニアン博物館がわのキュレイターは、その彼らの魂を、苦境に喘いでも前向きさを失わないでいた忍耐の精神として、「GAMAN」という美徳を添えて紹介している。

日米の友好のためにあえて口を閉ざした日系人たちの心境に思いを巡らせれば、涙ぐましいものがあろう。強制収容所に送られた日系人は十二万人。けっして少ない被害とは言えない。
だが、この作品を通してほんらい訴えねばならないことは、その十二万人の被害者の無念をさらに超えて、合衆国を含めた戦争国が二度とこうした過ちを繰り返すまいと誓うことにある。単に日本の美意識を米国人が堪能して関心を引くだけの文化交流に終わってはならないのではないか、と思う。

あくまで推測なのだが、こうしたある程度の自由なものづくりが許されたということは、映画「バルトの楽園」に描かれたように、第一次大戦後のドイツ兵捕虜たちと交流した人びとのように、多少なりとも温情のある扱いがなされていたのではないか、とも考えられる。戦争に向かわせるのは政府や軍隊で、大衆を煽っているのはマスメディアだが、収容所の職員たちは、日系人に数少ない自由としての工芸を黙認していたのかもしれない。当時の収容所の管理関係者の証言もあればよかった。

(2010年11月11日)


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