陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「太陽と稲穂の或る風景」(伍)

2008-07-24 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

苅田になけなしの穀をもとめて、一羽の白い翼がとどまっていた。
餌を啄みおえて満ちたりた白鷺は、丸まった長い首から、くぐもった鳴き音をだしていた。背に生えた飛翔の意思を逆八の字にひろげて、たかく舞いあがっていく。まったくどうして、鳥はあんなにも世界を濁さず、優雅にもの食むことができるのだろう。くちばしに捕らえたものはたにしや青虫であるのに、あれほどうつくしく鋭い唇の生き物はいない。ぱくぱく喘いで無駄に空気をとりこむような魚めいた浅ましさもなく、生きることに慎ましい。眠ることにかけても優雅。腹這いや仰向けになって寝転がったりしない。存在することにおいても潔い。地を踏み荒らすことのない細長い足。鳥は最高に気高い生き物だ。
そして、姫子は鳥だった。
姫子の腕は、お陽様の翼だ。
あたたかくて、やわらかくて包み込んでくれる。奪ったりなんかしない、傷つけたりなんかしない腕だ。



──唇を飾るだけの万の言葉よりも、心からあたためてくれるひとつの笑顔がほしいのに。ふたつの瞼の先よりも、からだの奥から愛してくれる十指の指先がほしいのに。
貴女さえいれば、私はもうなにもいらない。「世界」さえ、いらない。──




少し話が抽象的すぎたのかもしれない。ちかねの心を置いてけぼりにしつつ、姫子は自分の思案に蹴りをつけるように、遠くを見つめて独り言めいて呟く。

「人間なんて、この一本の稲穂にすぎないのよ、ちかね」

一本の稲穂。風になびきやすい薄いいのち。しかしだからこそ偉大でもあるいのち。ひとはこの世で高度で知的であるが、それがために最も弱き生き物。なぜならば、自分がいずれ死ぬと言うことを知っているからなのだ。人間はこの一本の稲穂の中に集約された万物の流転、宇宙の神秘を知ることが出来る。宇宙がこの一本の稲穂のように人間を折り曲げ、捻り潰すのはたやすい。だが人は、それでも何かの想いという種子さえあれば、幾度でもこの大地に豊かな黄金の穂を実らせる生き物なのだ。

大地とは、その人を支える信念か、慈しみ育てやがて塵芥と成り果てる肉体の集積場。人はなにかの信念に縋りつかねば生きていけない。人間はそのために無数の神聖なる存在と超越世界とを夢想して、多くの宗教や哲学や神話を創案してきた。それでも、数千年も数万年も人間の迷いは尽きないし、悩みは増えるばかり。これからも、果てしなく問い掛けられる生の疑問。
人間の本質はどこにある。今、生きていることの本質は……。

ざあ─っ、と黄金の草原をいっせいに薙ぎたおす旋風が吹いた。そのいたずらに強いひと風に、てのひらに収まった薄い黄金のいのちはさらわれてしまった。
姫子の手を離れた稲穂が、はかなく宙へ舞い上がって、そして彼方へと飛んでゆく。その行く当てもあるかなきか彷徨う様を目で追いながら、ちかねは考えあぐねる。そのか細く呟く声は、びゅうびゅうと髪を凪ぐ風の音に紛れて千切れ飛び、稲穂いろの髪で隠れた姫子の耳元には届かなかった。

「姫子は、私が出雲の神様から授かった生命だと言ってくれた…」

でも、やっぱり…と、拭いきれない不安めいた疑問が、月の少女の中で心の旋風を巻き起こす。

「……私は何のために生まれてきたのかな…どうしてこの人と出会わなくちゃいけなかったんだろう…」

月の少女は太陽の少女の暖かい手と自分の青白い手を繋いだまま、考えていた。
姫子の背中をつよくあたためる紅い陽だまりが、その答えを知っているような気がした。黒髪の少女にその残酷な答えが降りるのは、まだ遠い先のことだった──。


【いつか続く…かも】




【目次】神無月の巫女二次創作小説「太陽と稲穂の或る風景」





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