陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「太陽と稲穂の或る風景」(四)

2008-07-24 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
地面に目を落としていた姫子は、顔をちかねのほうへ向け、自分の胸にそっと手を当てる。ちかねはその言葉の含意と仕草に訳が分からなくて、もどかしそうに顔をしかめる。

「でも、私は私で、姫子は姫子。そんな土くれと一緒になるなんて嫌よ。ぜったいに嫌。私も姫子も、一生このままで生きていたらいい。変わらなければいい。変わって、違うものになって、また別れてしまうくらいなら、最初から存在なんてしなければいいのに…」

ちかねの瞳からぽたり、ぽたりと落ちた涙の雫。それが足元の地面に透明な斑点となり染みこんでゆく。姫子は屈みこんで、その湿り気のある土くれを空きの手で握り締め、見せつけるように掌をぱらり、と開いた。手の鋳型でかたち成したる土塊が地の上に、ぱらぱらと崩れ落ちる。おりからの風にさらわれて、崩壊するピラミッドのごとくさらさらと散開してゆく。
幼い涙を吸った土を掌につけたまま、姫子は涙の少女に曇りなき明るい瞳を定めて言った。

「…でもね。この土の塊は決して終わりじゃない…ここからまた新しい生命が誕生するのよ。わたしの人生が途中で費えても、その想いを引き継いでくれるまた別の生命が生きていてくれれば、新しく生まれてくれればそれでいいの…」

姫子は女性の産みの力を棄ててまで、一生を神に捧げることに疑問を感じつつも、巫女の務めに邁進している。天への使命に燃え、禁断の想いに揺れる乙女だった。
自分よりやや幼いちかねには、普通の女人としての幸せを掴んで欲しいと願う。何よりも生命を慈しみ育てることの大切さを学んで欲しいから。陽の巫女を宿命づけられた自分に用意されたのは、おそらく今後も不毛の道、であろう。太陽は自ら身を焦がす灼熱の炎のために、青き生命の星とはなりえない。けれど生命を育む土壌へ、なけなしの日差しと温熱とを与えることはできる。
姫子は、ちかねの瞳に浮かぶ小さな悲しみの海を、きれいな指で拭ってやりながら、云う。

「ちかね…誰かが死んで涙が出るのはね……その悲しみの水で再び生命を育てるためなのよ……たぶん、きっとそう。だから悲しいときや苦しいときは思い切り泣いてもいいの。世界はいつだって泣いた貴女を抱きとめてくれる。わたしが貴女の涙を拭ってあげるから」

姫子の説くなんだか煙に巻かれたような議論に、黒髪の少女は鼻を啜り上げつつ、やや困惑した表情で見つめていた。

「ね、聞こえない?」
「聞こえるって、なにが?」
「稲穂の産声が、聞こえてくるの」

やわらかな手がたわわな穂先を、黒髪に隠されないしろい耳元へ寄せる。ちくちくする軽い痛みに耐えながら、ちかねが耳をそばだてる。風がかるく唸りをあげて、頬をなで横髪を梳きあげた。

──ああ。また、このひとは風をうごかしたんだ。

ちかねが、黙した顔で訴えると、案の定、姫子の顔が、謎めいた笑みでほころんでいる。
夕映えの穂波をたてる秋ぐちの明るい風のざわめきは、子どもの笑い声にさえ聞こえた。




【目次】神無月の巫女二次創作小説「太陽と稲穂の或る風景」





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