陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「プライベート Attacker」(五)

2011-10-27 | 感想・二次創作──マリア様がみてる



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三月も下旬ともなると、学生たちはみな、春のバカンスへとしゃれこむせいだろうか。
リリアン女子大学附属図書館のカウンターに、人が列をつくって立ち往生するような事態もない。仮に、二、三人を待たせたとしても、すでに景は難なく対応を済ませてしまうことができた。

その日の図書館での出勤は夕方五時までだった。
すでにロッカーで着替えを済ませ、鞄を肩にかけた景の仕事の締めくくりは、自分の名前の書かれたタイムカードを押すことだけだった。だが、その日、二、三回繰り返しても、タイムカードは異常な音を発して押し戻されてくる。カードを握りしめたまま、困惑していると、ふと頭上から声が降りてきた。

「タイムレコーダーが壊れたのかしら?」

仰ぎ見たその上にあったのは、あの築山みりん女史の顔。
指先を紙がすべった感触が走ったかと思うと、景の手にあったカードはいつのまにか、その彼女の手に奪われていた。

「ねぇ、いま、ボールペン持ってる?」
「…あ、はい。こちらに」
「ここの退社時刻に記入しといて。今の時刻は、五時十四分…ね。おまけして十五分にしといてね」

言われるままに、景は胸ポケットから取り出したボールペンで書き記す。
築山はごていねいに腕時計を見せて、時刻を示してくれた。その時刻はタイムカードのデジタル表示の数字とは明らかにずれていたので、景が一瞬ばかり、ペンを止めた。

「ここのタイムカードはね。出社時には五分早く、退社時には五分遅れるようになっているの。知らなかったでしょう? ついでに言っとくと、十五分刻みで時給がつくの」
「はあ…そうなんですか」
「私を信用できなくてもいいけど、時計は貴女を裏切ったりはしないわよ。誰にでも時間は平等に流れているのだから」

景は築山の顔をじっと見つめた。
ここ数日来、勤務中にシフトがかぶっていても、ほとんど会話を交わしていない。業務上、必要なことの指示は、嘱託職員の中小路か、先輩アルバイトの雁夜に仰いでいた。だが、今の築山みりんは嘘をついてはいない目つきだった。景は促されるままに、彼女の手首のうえで几帳面に十二時間と、六十分を一回転する二つの針の角度が示す、その時間を書き込んだ。そう、時間は人を裏切らない。裏切るのはおなじ一秒一分を過ごしてしまうその生き方なのだ。

「ほら、こっちに貸して」

築山司書はタイムレコーダーを置いてある台の引き出しを開けた。
中から取り出したのは朱のシャチハタ印。景からカードを受け取ると、書き記した時刻の横に押印した。景はいつもこの瞬間が大嫌いだった。この人の承認をもらわないと、一日働いたと認めてもらえない。どんなに手を抜いて、くっちゃべっていても、昼休みを削って書架整理に励んでも、そのハンコひとつで、いい加減な働き方の同僚と仕事の価値は同じにされる。あなたは、私の仕事のどこを見ているんです?

「これで今日の貴女の勤務はちゃんと保証されるわ。私という証人もいるしね」
「あの、ありがとうございます。助かりました。押せないのなら、このまま帰って、明日また事情を話せばいいと思っていましたから」
「基本的にね、カードの押し忘れは自己責任扱いなの。でも、加東さんはまじめだから、勤務時間をごまかしたなんて思わないでしょうね。久保くんだったら大目にみるでしょうけれど」

ほら。出た、出た。
やはり、あの久保主任のことについてなにか言いにきたのだ。ここ数日、ねちねちと仕事上のことでいろいろあったが、そのことについて触れたことなどなかったのに。景は築山みりんがプライベートを持ち出すタイプだったことにひどく失望していた。



【マリア様がみてる二次創作小説「いたずらな聖職」シリーズ(目次)】




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