陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

ベルベデーレのトルソ、そのあとに

2009-04-21 | 芸術・文化・科学・歴史


今はそれほどでもないが、学生時代はたいそう旅行が好きで、長期のまとまった休みがあると無鉄砲に出かけたものだった。
部屋の掃除をしていると、当時、めぐった名跡の案内だとか、美術館のパンフレットなどがたんまりでてきて、旅愁をかりたてられてしまう。
そのなかでも、忘れられない旅がある。

大学の水曜日は講義が一、二限しかないことが多く、その秋の日はちょうど運よく、二限めが当日休講にされていた。

暇をもてあました私は、廊下の掲示板に目をとめた。そこにあったのは、豊田市美術館の催しものをしろしめすポスター。セピア色の背景地に、大理石のトルソが浮かぶ。

首と両腕、膝から下がもがれてはいるが痛々しい感じがしない。むしろ荘厳だ。
ひとである顔をもぐことで、個性を放棄する。生身の肉体ならば気持ちの悪く、かろうじて人間らしさをほのめかして、生命たらんと縋りつこうとするが、彫刻された人体というものはそういうやましさがまったくない。死からよみがえった永遠の存在感を誇っている。また、ばらけた人形のような、残酷に蹂躙されたといった感じや脆さがしない。そこには、並々ならぬ威厳がある。人間であることを手放しつつも、なおのこと、人間の美をいかんともせず発揮するもの。それが、傑作の人体彫刻である。

そのポスターにでんと構えた作品は、神の肉体のように、男のこまかく隆起した岩のような胴体がこちらに迫ってくるものであった。美術史の教科書でみたことがある紀元前一世紀のアポロニウス作とされる《ベルベデーレのトルソ》(Torso del Belvedere)だ。模刻などではない。これをふくむイタリア、ヴァチカン美術館の至宝が、なんと日本初公開で開陳されるのだという。
私はその一枚のポスターに魅せられたがために、早くも三〇分後には、駅で一時間に二、三本しかない電車を待つ身となっていた。

豊田についたのは、おそらく十五時ちかくであったろうか。
閉館時間まぎわまで、私はたっぷりと古代彫刻の数々を見てまわった。どれもほんとうにすばらしい。図版でみるのとは断然の違いがある。図版によっては、いじょうに黄色く見えて、どうかすると土をたんまり詰めこんだ麻袋のようにも感じられる大理石像は、才ある彫刻家の鑿のうがち方の違いを如実にその表面に示していた。後世の不本意な処遇によってからだの一部が欠け、粗く削られた割れ面はよくよく観察してみると、細かな粒子をふくみ、まばゆく煌めいていた。青銅彫刻のような、陶器にちかいほど磨かれて、てかりをもっている黒肌とは異なる、清らかさをそれらの人体は身につけていた。あのオーギュスト・ロダン翁が恋い焦がれ、青銅をもってこの人体表現を追求した意欲もよくわかろうというもの。

こうした傑作とともに過ごす時間を尊くも感じ、なんどもその周囲を巡り歩いては去りがたい心地がする。一体いったいと対面しては、別れがたい思いに囚われる。今日を限りとして、もうこの偉大な芸術には早々お目にかかれない。そう考えれば、これがない明日はなんと、つまらないものだろうか。古代ギリシア・ローマの遺跡にこころ奪われていた私には、すっかり日常のことがかすんでしまう。
しかもはじめて訪れた地域ゆえに、私は帰路の都合のことなど考えだにしなかった。

名古屋駅に着いたのは七時過ぎだったかと思う。しかし、その時刻では今日じゅうに家にまで帰宅できる電車はなかった。しまった、と思ったが後の祭り。タクシーを拾って帰るほどの金銭ももちあわせてはいない。

あまりに魅了されてしまったばかりに、帰りの足をもがれたトルソにみずから成り下がってしまったのだろうか。私は途方にくれて、駅ちかくのラーメン屋でひとまず夕食を摂った。
不本意だが安いユースホステルでも探すつもりで、店の主人に訊ねてみた。しかし、ご主人知らぬ、と首をふる。まさか、こんな繁華街で野宿もできまい。そのとき、横合いから助け舟を出してくれたのは、カウンターですでに空けたラーメン鉢をまえに、ご主人と雑談にふけっていたサラリーマン風の中年男性。
彼はこう持ちかけた。この近くに自分の行きつけのサウナがあるが、そこは宿泊もできる。一日優待券をもっているから、これを買わないか、と。千円以上するところをワンコイン五百円で譲ってくださった。

私はこれにたしか数百円分の夜間料金を追加して、サウナホテルに宿をもとめたのだった。
サウナに行くのははじめてだったので、それも興味があった。図版をいれたおおきな鞄をロッカーにつめて着替えている私をみて、おとなりの健康維持のため三日にいちどは通うというご婦人は笑っていらっしゃった。
オレンジいろのブランケットを被って、十数人が仮眠をとる部屋で、そこにある漫画を読んでみたりして無聊をかこっていた。

こうして明くる日の午前中の講義は欠席するはめになったものの、思いがけない一夜を過ごした私は、無事に帰りの電車に乗ることができた。
今だとすれば、駅前に二十四時間営業のネットカフェがあって、宿代わりにできたであろう。

じつは、この話には続きがある。
数箇月後、名古屋でめぼしい美術展が開催されたので、また性懲りもなく電車を乗り継いで遠出をした。どうせ、例のサウナに泊まればいいやと、アテにしていたのだった。ところが、残念ながら、そのサウナホテルは休業日だった。

しかたなく、私は帰りの電車に乗り、行けるところまで行ってみようか、という気になったのである。
電車は最寄り駅まで五駅手前で停まり、翌朝まで駅から動かなかった。私は駅でホームレスよろしく一夜を明かそうかと無謀なことを考えたが、駅員に追い出されてしまった。

営業の終了した駅のまわりは、二、三の街灯がともる暗い地域だった。
改札を出てすぐに派出所があったので、警官に理由を説明し、せめて部屋の端にでも朝まで置かせてもらえないかと望んだが、これもすげなくことわられてしまった。

前回のおもいがけずの善意が二度あるものと甘くみていた私は、いたく気落ちした。旅先で見慣れぬ土地にいくと、知らないひとはみな、好意をもって迎えてくれるという、お遍路さん幻想でもいだいていたらしい。
始発までは五時間はあった。駅そばのコンビニで立ち読みで過ごすには、苦痛な時間だった。

ところが、私は仮の宿を発見した。
そのコンビニの隣にあった建設中の住宅地に設置された簡易トイレ。まだ新しいのか、さほど汚れてはいない。しかも、こんな夜中なら使用者はいまい。私は中にはいると、内側から鍵を閉めて、床にはコンビニで買った新聞紙を敷いて、きゅうくつに腰をおろした。狭い空間で、かなり苦しい体勢だったが、そのまま、壁にもたれて、うつらうつらと眠りについた。しかし、潜伏している最中も、やはり後ろめたい心地にずっと襲われていた。
駅が開く時刻になって、やっとそのかりそめの宿を後にしたが、寝不足はいなめなかった。

その後、私はこの反省から、遠出をするときはかならず、電車の時間に注意をはらい、宿もあらかじめ安いビジネスホテルなどをしらべて予約しておくようにした。
日帰りで行ける地域でも、名残り惜しくなって帰りたくない病をおして、余裕をもって帰宅するようにはしている。
しかし、ときおり、こうしたあてのないスリリングな旅もよかったかなと思い返してもいる。
もちろん、真似はされないように。



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