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神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

あなたの人生にはご計画がある。偶然にうまれたのではない。

2016-12-28 09:55:11 | キリスト教
今働いている、老健あさひなは、12年前、夜勤専門で2年間介護福祉士として働いたしせつだ。
そこで、ケアマネージャーの資格試験に合格した。
そこの薬局の利用者さんにケアマネージャーの試験の実地研修になってもらった。
その後、私は金沢病院、コムスンのグループホーム、クリハマノグループホーム、横浜市の釜利谷のグループホームでケアマネージャーとして働いた。
その後、介護福祉士として、派遣社員として老健で働いたり、三浦市のグループホームで介護福祉士として働いた。最初はヘルパー3級から介護の世界にはいった。
それから20年になる、
介護の仕事を始めたのは、資格をもっていれば、働きくちに困らないと思ったから。
お陰様で、現在68歳だが、いまも、介護施設で介護ヘルパーとして入浴後の利用者さんの髪にドライヤーをかけながら、足をマッサージしたり、爪が伸びた人がいたら、看護婦さんに伝えたり、おしぼりを渡したり、テーブルを吹いたり、ベットのシーツ交換を週1回したりと介護の仕事ではないが、関係した仕事をしている。
介護予防指導員という資格があるので、昼食の前に体操、指体操、口腔体操などやらせてもらっている。
面接の時、はっきりそんな仕事をしたいことを伝えて、それをやることができているので、楽しく働かせていただいているのは感謝です。
介護の仕事をしていると、いろんな仕事があって、忙しいですので、ゆっくり利用者さんと係ることがむずかしいこともあるのです、お部屋にいって、シーツ交換をして居る時、テーブルを吹いているとき、いろんなお話をゆっくりすることが可能になりました。
立場をかえると、利用者さんが職員さんなどと話しやすくなるようです。
神様のご計画の中、私がここで働くようにそなえられていたのだと信じます。それも、12年まえに関わりをもっていたことで、数人の人が私の事を覚えて下さっていました。
子供は0歳の時、この施設の病院で私の膝の病気で看護婦さんがおもりをしてくださいました。
母親もこの病院でみてもらっていたようで、診察券などありました。
また、私が住んでいた、アパートの大家さんのお店がお隣で、お花やさんをして居たこと、大家さんと奥様がお友達だったこと、施設が始まった時、お花の事は、大家さんのお店からお花を届けられたなど、私の人生でふかいかかわりのある、施設でした。
今の、利用者さんは私達家族が住んでいた、場所からの高齢者の方々とか、働く人もその地域から多くの人がきています。
クリスチャンとして救われ、神の子とされましたが、私達がイエス様を選んだのでなく、神様が宇宙が始まる前から私達をえらんでくださったと聖書にかかれていますが、うそのように思えますが、長く信仰生活をしていると、神様のご計画が宇宙が始まる時があるなら、終りもあるとみ言葉にあるように、イエス様に救われた人の人生は、まだ、母の胎の中で骨も作られていない時、その人の人生が天の命の書にすべてかかれたとありますら、必ず、その人の行くべき道は備えられているんだと思います。
これから、世界が不確実性で、どんな世界になるかわからないような時代に突入するようです。
でも、私達の命は神様からあたえられた人生で、偶然にこの世にうまれてきたのではなく、一人一人に神様のご計画があると聖書にかいてあります。
今、自分の人生に悩みがありますか?
そんな不安な生活をおくっている人、嘘だと思って、1度教会に足を踏み入れて下さい。
教会では特別伝道集会とかで、地域にお知らせを届けます。
また、インターネットでも地域の教会を紹介しています。
私も20歳の時、牧師から「嘘だと思って信じてごらん。あなたの人生かわるよ。」と勧められて、信仰生活を出発しました。
神様は、あなたの人生に正確なご計画があります。
イエス様を救い主として、自分の罪を悔い改め、イエス様に赦していただいた人の心にイエス様、神様、と同等の聖霊様が死ぬまで共にいて、人生を導いてくださいます。
 
私は決して、あなたを一人にはしない。私が選んだゆえ、死ぬまで私はあなたを守り導く。と聖書のみ言葉にあります。
 
 

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クリスチャンの金言

2016-12-28 06:26:31 | キリスト教

世界の名言(249)喜びのタネをまく、祈りの経営 

一日一日と今日こそは、
あなたの人生が
新しく生まれ変わるチャンスです。

...

自分に対しては、
損と得とあらば
損の道をゆくこと。

他人に対しては、
喜びのタネまきをすること。
我も他も物心ともに豊かになり
生きがいのある世の中にすること
(「ダスキンの経営理念」より)

自分が幸せになりたい、
金儲けをしたいと思うのなら、
まず自分のことを二の次において
人に喜ばれることを 身をもって実行していくことだ。

理屈抜きに働いてみることだ。
必ず食べるに事欠かないどころか、
もっと豊かな暮らしができる。

人をかき分けて進んでも、
自分だけいい目をみればそれでいい と考えている人が多いが、
先に行きたいと思っている人には 行かせればよい。
私は世の中に 喜びのタネをまいてゆきたい。
これが祈りの経営の精神です。

「人を助ける」とは
思い上がりもはなはだしい、と気付いたときに
「人につかえる」まして商売人の私は
「お客様につかえる」のだ、
と思ったらうなずけました。
自主的に、自発的に
「人につかえる」即ち 
「人様のお世話をする」自分になろう!

なんだ、かんだ、とうまいことを言っても
自分がかわいいために、
自分の好きなことをしたいために、
他の人をせめているのでないか という反省。

それよりも、ざっくばらんに、
どうぞ許してください、どうぞやらせて下さい。
その代わり 自分だけが喜ぶのだけではなく、
私で喜ぶのならば、あなたのためにも、
多くの人のためにも、私の生きている限りは
「喜びのタネ」をまいてみたい。

なにが正しくて、
なにが正しくないかは、
神様にしかわからない。
でも、なにか起こったとき、
たとえ自分に分が悪い損の道であっても、
相手に喜んでいただければ
と考えて行動すれば、すべて物事は解決する。

信念を実行に移しなさい、
迷うことはない。
あなたの信念を押し通すことです。
少なくともそれは、
自分だけのことでなく、
他人のためにもなることであるなら、
さあおやりなさい。
ぐずぐずして実行しないことが
一番いけないことです。

失敗を恐れる思想は、
成功へのチャンスを見失うことです。

その気になったら楽になった。
損をする覚悟が出来たら楽になった。
自分が悪い、お詫びをしよう
という気になったら楽になった。

水はたえず澄もうとしている。
静かに落ち着くことだ。
りきむな ひるむな こだわるな!
生かされるまま、水のごとくに。

鈴木清一(1911~1980年)、「ダスキン」の創業者として知られる愛知県碧南市出身の実業家。「道と経済の合一」を願う祈りの経営を、生涯をかけて追求し、日本初の複合フランチャイズ企業としてダスキン企業グループを率いた。

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クリスチャンの金言

2016-12-26 07:22:12 | キリスト教

クリスチャンの金言(104)A・B・シンプソン 

「ゆだねるとは、引き渡すこと、他の人に全面的に委託することを意味する。もし私たちが自分の試練を神にゆだねるなら、神はその試練を担ってくださるのである。…そこには二つの御手がある。私たちを押し下げへりくだらせる神の御手と、私たちを引き上げる神の御手である。」

「私は愛せざるを得ない愛を求めています。つまり、神様の愛、その愛を求めています。」

...

「神様はご自身のために特別な性格を持つ人々を探しているのではなく、この世代に、ご自身の栄光を現わせる謙遜な人々を探しておられます。」

「もし私たちのうちで一番小さいものが、信仰の最もつつましい奉仕から生ずる永遠の収穫を確信できるなら、犠牲や骨おりを、言語に絶する栄誉と機会の遺産とみなし、試練や神のための犠牲についてとやかく言うことはないはずである。そしていつの日か、喜びのあまり我を忘れ、涙を流して叫ぶだろう。」

「私たちは過ちを犯し、容易に避けられるはずの多くのトラブルを自らに招く。しかし、神は間違いを犯した子どもを捨てることをなさらず、へりくだって悔い改め、嘆願をするならば常に赦し、救い出す備えをしておられるのである。このことは、私たちにこの上ない励ましを与える。道を踏み外しても、信仰を捨てないようにしよう。」

主イエス・キリストのみ  
かつては、私は祝福を求めた。今は、主を求める。
かつては、感情を求めた。今は、みことばを求める。
かつては、賜物を求めた。今は、賜物を与える方を求める。
かつては、いやしを求めた。今は、主ご自身のみを求める。
かつては、痛みに満ちた努力であった。今は、全き信頼である。
かつては、いいかげんな救いであった。今は、全き救いである。
かつては、たゆむことなくしがみついていた。

今は、主が固く握っておられる。
かつては、常に流されるままであった。
今は、しっかりいかりを降ろしている。
かつては、多忙な計画であった。今は、より頼む祈りである。
かつては、不安で心配ばかりしていた。
今は、主が心配してくださる。
かつては、私の願望に従っていた。
今は、イエスのことばに従っている。
かつては、常に願ってばかりいた。今は、いつも賛美している。
かつては、自分の働きが大切であった。
今は、主の働きを大切にする。
かつては、私が主を使おうとしていた。
今は、主が私を用いられる。

かつては、自分の力を求めた。今は、全能者によって生きる。
かつては、自分のために働いた。今は、主のためにのみ働く。
かつては、主イエスのうちにあって期待した。
今は、主が私のものであることを知る。
かつては、私のランプは消えようとしていた。
今は、明るく輝いている。
かつては、死を待つ生活であった。
今は、主の再臨を待ち望んでいる。

こうして、私の希望は天国にしっかりといかりを降ろしている。
とこしえまでも主イエスを歌う。
すべては、イエスのうちにあり、イエスは私のすべて。

アルバート・ベンジャミン・シンプソン(1843-1919年)
カナダ生まれの神学者、説教者、1887年シンプソンはクリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスという超教派の宣教団体を設立した。これは、世界宣教の使命を果たすための協同運動を目指すものであった。

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画像に含まれている可能性があるもの:1人、あごひげ、クローズアップ

メリークリスマス

2016-12-26 06:13:54 | キリスト教

メリークリスマス

私達、クリスチャンは毎日、メリークリスマスなのです。

いつも、聖霊様が心に共にいて、心に平安をくださるからです。

でも、年に1度のイエスさまのお誕生日には、イエスさまをまだ、イエス様をしらない友画像に含まれている可能性があるもの:1人以上人や親戚や、知人にイエスさまを紹介する絶好の日なのです。

私も、今年は、20枚くらいクリスマスカードをだしました。

そして、教会では愛餐会に参加して、ご馳走、ケーキ、ゴスペルを聴いたりしました。

イエス様の御降誕を感謝します。

 

神はその一人子を賜ったほどにこの世を愛された。

それは、御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命をもつためです。(聖書)