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世界の名言(249)喜びのタネをまく、祈りの経営
一日一日と今日こそは、
あなたの人生が
新しく生まれ変わるチャンスです。
自分に対しては、
損と得とあらば
損の道をゆくこと。
他人に対しては、
喜びのタネまきをすること。
我も他も物心ともに豊かになり
生きがいのある世の中にすること
(「ダスキンの経営理念」より)
自分が幸せになりたい、
金儲けをしたいと思うのなら、
まず自分のことを二の次において
人に喜ばれることを 身をもって実行していくことだ。
理屈抜きに働いてみることだ。
必ず食べるに事欠かないどころか、
もっと豊かな暮らしができる。
人をかき分けて進んでも、
自分だけいい目をみればそれでいい と考えている人が多いが、
先に行きたいと思っている人には 行かせればよい。
私は世の中に 喜びのタネをまいてゆきたい。
これが祈りの経営の精神です。
「人を助ける」とは
思い上がりもはなはだしい、と気付いたときに
「人につかえる」まして商売人の私は
「お客様につかえる」のだ、
と思ったらうなずけました。
自主的に、自発的に
「人につかえる」即ち
「人様のお世話をする」自分になろう!
なんだ、かんだ、とうまいことを言っても
自分がかわいいために、
自分の好きなことをしたいために、
他の人をせめているのでないか という反省。
それよりも、ざっくばらんに、
どうぞ許してください、どうぞやらせて下さい。
その代わり 自分だけが喜ぶのだけではなく、
私で喜ぶのならば、あなたのためにも、
多くの人のためにも、私の生きている限りは
「喜びのタネ」をまいてみたい。
なにが正しくて、
なにが正しくないかは、
神様にしかわからない。
でも、なにか起こったとき、
たとえ自分に分が悪い損の道であっても、
相手に喜んでいただければ
と考えて行動すれば、すべて物事は解決する。
信念を実行に移しなさい、
迷うことはない。
あなたの信念を押し通すことです。
少なくともそれは、
自分だけのことでなく、
他人のためにもなることであるなら、
さあおやりなさい。
ぐずぐずして実行しないことが
一番いけないことです。
失敗を恐れる思想は、
成功へのチャンスを見失うことです。
その気になったら楽になった。
損をする覚悟が出来たら楽になった。
自分が悪い、お詫びをしよう
という気になったら楽になった。
水はたえず澄もうとしている。
静かに落ち着くことだ。
りきむな ひるむな こだわるな!
生かされるまま、水のごとくに。
鈴木清一(1911~1980年)、「ダスキン」の創業者として知られる愛知県碧南市出身の実業家。「道と経済の合一」を願う祈りの経営を、生涯をかけて追求し、日本初の複合フランチャイズ企業としてダスキン企業グループを率いた。

クリスチャンの金言(104)A・B・シンプソン
「ゆだねるとは、引き渡すこと、他の人に全面的に委託することを意味する。もし私たちが自分の試練を神にゆだねるなら、神はその試練を担ってくださるのである。…そこには二つの御手がある。私たちを押し下げへりくだらせる神の御手と、私たちを引き上げる神の御手である。」
「私は愛せざるを得ない愛を求めています。つまり、神様の愛、その愛を求めています。」
...「神様はご自身のために特別な性格を持つ人々を探しているのではなく、この世代に、ご自身の栄光を現わせる謙遜な人々を探しておられます。」
「もし私たちのうちで一番小さいものが、信仰の最もつつましい奉仕から生ずる永遠の収穫を確信できるなら、犠牲や骨おりを、言語に絶する栄誉と機会の遺産とみなし、試練や神のための犠牲についてとやかく言うことはないはずである。そしていつの日か、喜びのあまり我を忘れ、涙を流して叫ぶだろう。」
「私たちは過ちを犯し、容易に避けられるはずの多くのトラブルを自らに招く。しかし、神は間違いを犯した子どもを捨てることをなさらず、へりくだって悔い改め、嘆願をするならば常に赦し、救い出す備えをしておられるのである。このことは、私たちにこの上ない励ましを与える。道を踏み外しても、信仰を捨てないようにしよう。」
主イエス・キリストのみ
かつては、私は祝福を求めた。今は、主を求める。
かつては、感情を求めた。今は、みことばを求める。
かつては、賜物を求めた。今は、賜物を与える方を求める。
かつては、いやしを求めた。今は、主ご自身のみを求める。
かつては、痛みに満ちた努力であった。今は、全き信頼である。
かつては、いいかげんな救いであった。今は、全き救いである。
かつては、たゆむことなくしがみついていた。
今は、主が固く握っておられる。
かつては、常に流されるままであった。
今は、しっかりいかりを降ろしている。
かつては、多忙な計画であった。今は、より頼む祈りである。
かつては、不安で心配ばかりしていた。
今は、主が心配してくださる。
かつては、私の願望に従っていた。
今は、イエスのことばに従っている。
かつては、常に願ってばかりいた。今は、いつも賛美している。
かつては、自分の働きが大切であった。
今は、主の働きを大切にする。
かつては、私が主を使おうとしていた。
今は、主が私を用いられる。
かつては、自分の力を求めた。今は、全能者によって生きる。
かつては、自分のために働いた。今は、主のためにのみ働く。
かつては、主イエスのうちにあって期待した。
今は、主が私のものであることを知る。
かつては、私のランプは消えようとしていた。
今は、明るく輝いている。
かつては、死を待つ生活であった。
今は、主の再臨を待ち望んでいる。
こうして、私の希望は天国にしっかりといかりを降ろしている。
とこしえまでも主イエスを歌う。
すべては、イエスのうちにあり、イエスは私のすべて。
アルバート・ベンジャミン・シンプソン(1843-1919年)
カナダ生まれの神学者、説教者、1887年シンプソンはクリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスという超教派の宣教団体を設立した。これは、世界宣教の使命を果たすための協同運動を目指すものであった。

メリークリスマス
私達、クリスチャンは毎日、メリークリスマスなのです。
いつも、聖霊様が心に共にいて、心に平安をくださるからです。
でも、年に1度のイエスさまのお誕生日には、イエスさまをまだ、イエス様をしらない友人や親戚や、知人にイエスさまを紹介する絶好の日なのです。
私も、今年は、20枚くらいクリスマスカードをだしました。
そして、教会では愛餐会に参加して、ご馳走、ケーキ、ゴスペルを聴いたりしました。
イエス様の御降誕を感謝します。
神はその一人子を賜ったほどにこの世を愛された。
それは、御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命をもつためです。(聖書)