ジンネマンの『日曜日には鼠を殺せ』の原題は『Behold a Pale Horse』である。
和訳すれば〈青ざめた馬〉となる。
よく知られているようにこれは「ヨハネの黙示録」第6章第8節に由来する。
青ざめた馬を見よ。これに乗るものの名は死。黄泉がこれに従う。
ヴィクトル・ヴァスネツォフによる「黙示録の四騎士」1887年。
原作はエメリック・プレスバーガーの同名小説『Killing a Mouse on Sunday』だから、
邦題は原作小説のタイトルに寄っていることになる。
このタイトルの由来はリチャード・ブレイスウェイトの詩による。
Where I saw a Puritane-one
Hanging of his cat on Monday For killing of a mouse on Sunday.
私は清教徒が月曜日に猫を吊しているのを見た。
日曜日に鼠を殺したからだ。
少し長くなるがストーリーは以下のようなものだ。
1939年スペインの内乱はフランコ軍の勝利に終わった。ゲリラのリーダーだったマヌエル(グレゴリー・ペック)は国境を越えフランスに亡命、20年の歳月が流れた。かつての英雄も年老いて今は知る人もない。ある日パコという少年が訪ねてきて、かつての彼の友であったという少年の父を殺した警察署長ヴィニョラス(アンソニー・クイン)を殺してくれとたのまれたが断った。その警察署長はこの20年マヌエルを捕まえることだけに生きてきた。だが、国外に住む彼に手出しはできない。そんなときマヌエルの母が重体というニュースが入った。知らせれば彼は来るにちがいない。密輸商人カルロスを使者にたてた。だが母は息子が罠にかかるのを感じ、フランスに旅立つフランシスコ神父(オマー・シャリフ)に、息子を来させるなと託し息をひきとった。一方カルロスはパコ少年に素性を見破られ、マヌエルを撲り倒して逃げた。神父と一夜語り明かしたマヌエルは、自分を助けようとする神父の心の温かさに触れて感動した。そしてもうどうなってもいいような気になった。体力も、気力さえ衰えた自分だ。罠を承知で1人雪のピレネーを越え、祖国の土を踏んだ。厳重な警戒線の中でついにうちあいが始まった。カルロスを倒したが、自らも銃弾をあび死んでいった。軽い怪我をしただけの警察署長を新聞記者が取巻き、永年の宿敵を倒した感想を求めた。「マヌエルは母親の死んだことを知っていた。俺たちの罠のことも知ってたはずだ。それを承知でどうして乗り込んで来たのか?」と自問した。そして長い年月の空費に、何ともいえない苦さを味わった。マヌエルの死体が運び出された時、フランシスコが目に涙して見送っていた。
『日曜日には鼠を殺せ』ポスター。
たぶんテレビ放映のさいにワタシは観たのだろう。
1971年に「日曜洋画劇場」で放映されている。
この映画は製作費を回収できるほどの興行収入は得られなかった
ということは一般観客の評価が低かったということだろうか。
ジンネマンはこの興行的失敗について次のように語っている。
〈私はスペイン内戦は未だ私達と共に存在すると思っていたが、内戦の難民がいるにもかかわらず、どうやら(既に市民の記憶から)死んでいたようだ。フランコ政権とはその他にも問題があった。私はスペインのグアルディア・シビルを「重苦しい」ものとして演じさせることに責任を感じていた。彼らは神聖な牛である。コロンビアは「Pale Horse」のせいで映画でのフランコ禁止令により、大きく苦しむことなったが、彼らは素晴らしいくらいよくやってくれた〉
スペインのフランコ政権はこの映画に対して激怒し、制作会社のコロンビア映画は莫大な負債を抱え込むことになった。
出演者のひとりであるオマー・シャリフは
〈「良い監督」から生まれた「ひどい映画」である〉
とこの映画を形容したらしい。
アンソニー・クインはどうだったのか。
じつはアンソニー・クインはグレゴリー・ペックが演じたマヌエルの役を希望していたのが、ジンネマンによって悪役である警察署長ヴィニョラスの役に配役した。
やはりアンソニー・クインはヒーローではなく、悪役や少しおかしな異邦人が似合っているということなのだろう。
〈続く〉