横倉ジュニアバドミントン

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必死

2020-12-16 22:48:00 | バドミントン
 必死にならなければならないとき、必死になることが大きな意味をもつときというのが、生きているとあると思う。必死に練習をするというのはどういうことなのだろうか?具体的に考えてみたい。
 まず、最初の挨拶をしっかりとする。挨拶ができない子は、基本的にだめである。これは、家庭のしつけだと思う。
 準備体操。けがをしないように自分の体調をはかりながら体操をきっちりと行う。
 ランニングでは、1番を目指して一生懸命走る。自分より下の学年の子に抜かれるなんてありえない。
 縄跳びでは、ミスをしないようにリズムに乗り速く跳ぶ。縄跳びをミスする子は、ラリーでもミスが多い。また、できない技をそのままにして、次回の練習に来る子がいる。それは、必死にやっているといえるのだろうか?「次までに跳べるようにしてきなよ」という言葉に何も感じない子に、他の面でも成長があるとは思えない。
 フットワークは実際の試合をイメージして、速く正確に行うこと。だらだらやっても全く意味がない。時間の無駄だ。
 基礎打ち。いつも通りの馴れ合いのフワフワしたショットに意味はあるのか?簡単にネットにひっかけるショットは試合で使えるのか?「このショットはいいな。このショットはこうするとうまく打てるかな?」と自問自答しながら行うのが基礎打ちだと思う。
 ノック。とれそうな球は打ち、無理そうなのは追いかけない。試合のとき、そうしますか?きつい球をいかにして返すかが練習ではないのだろうか?「速い球はとれません。」それでいいの?
 ゲーム練習。勝てそうな相手には何となくやって勝つ。「ああ、良かった。」それで全国で勝てますか?強そうな相手だから何となくやって何となく負ける。自分より強い選手とゲームできる幸せを感じて欲しい。いかにして一本ずつもぎ取っていくか。それが必死になる練習だと思う。
 体も心も全部集中して、自分の限界に挑戦することが、必死になるということだと思う。子どもたちは気付いているのか分からないが、指導者は練習の最初から最後まで見て、常に評価している。「あの子、頑張っているな」「あの子、相変わらずだめだなあ」とか、知らないところで会話しているのだ。細かいことを言えば、ネットの準備を進んでする子しない子、片付けをする子、しない子なども、全部見てる。そして、総合的な判断で「あの子は、いつも必死に頑張っているな」となるわけである。
 これを見ている人は保護者の方々だと思うが、家庭によって子どもに伝わる家とそうではない家がある。ぜひ、親子でこれらのことを話し合って欲しい。そして、行動で表して欲しいものだ。(横倉ジュニアの方々へ)
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