内海先生のFB投稿より
本物を食べる本当の意味
私が社会毒の話、現代食の話、ジャンクや買い物や食材や相性の話をすると、「添加物入りでも美味しいからいい、糖類で幸せ気分を感じられるならそれでいい」とか、そういう言い訳じみたことをよく聞きます。
しかし事の本質はそこにはないと私は思うのです。
ジャンクを否定する人には本物ではないからという人がいて、昔ながらの本物を食べる価値という意味で語る人もいますが、これさえも本質ではないと私は思っています。
では何が本質なんでしょうか。
もちろん正解などはないかもしれません。
健康になることの重要性を考えたらという観点も確かに必要です。
しかし私はいつも先住民や野生動物を見習おう、生物の基礎と生物学の基礎から見直そうという考えに照らし合わせて、このことも考えてしまいます。
そうすると本物を食べるとか本物を作るということの意味は、命をつないでいくこと、種の保存にあると私は思うのです。
毒だらけの慣行農法は論外として、有機が善い悪い無肥料無農薬が善い悪いというのも小さな問題ではないでしょうか。
本質的にいえば農業全体が植物を操作し土を操作していることにほかなりません。
それを考えて我々は食べたり作らなければいけないわけであり、これは畜産も養殖も料理さえも皆同じだと思います。
味が良いとか悪いとか健康になるとかならないとかよりも、次世代や生物願望に照らし合わせて食べることを考える必要があります。
遺伝子組み換えや放射能がなぜダメなのかは、人が命を操作し次世代三世代先に影響が出るからです。
それはすぐには影響が出ないことに特徴があり、他の社会毒も似たような特性をもっているのです。
つまり本物を食べないで自分たちが社会毒を食べ、その流通を促進し、種を操作し、土を汚し、料理の仕方をごちゃまぜにし化学薬品を使い、大人の体を汚染していくことは次世代をいじめているのと同じことなのです。
現代の人々は不自然な食材を作り料理し食べていることが、自分の子どもを虐待しほかの子どもを殴っているようなものだと、決して思うことはできないでしょう。
完全にやるのは不可能だ、でもやれるだけはやるという発想さえ私たちはおかしいのです。
人類の歴史700万年前からほんの数十年前まで、これらのほとんどすべては達成されていたわけで、このような状況になったのも私たち大人の責任なのです。
本物というこの言葉さえおかしいことに気づきましょう。