横ちゃんのきまま日記

日々の出来事を自由きままに掲載

母の死

2010年07月09日 | 日記
母が突然死してから
はやいもので初命日も過ぎました。

時は、無情にも過ぎて行きます。

80歳までは、元気で病気したこともなく
病院には縁のない母でした。

今をさかのぼる事、4年前
父が18年9月に亡くなった翌年1月末に
今度は、母が、心不全で(重症)
しかも、心臓が動かなくなっているという
思ってもない事態が、母にふりかかってきました。

いろいろ調べてもらった結果

原因不明の拡張型心筋症。
それに、うっ血性心不全
合併症もありました。
不整脈もありかなり心臓が悪化してる状況でした。

当時、1ヶ月入院してました。

食欲も低下してるので
環境をかえる意味でも一時帰宅したらという
先生の所見でしたが
どうしても退院して家に帰りたいという
母の意向を組むことにしました。

病院の先生から
不整脈もあるので、いつ、何時、突然死と言う事もあり得るから
覚悟はしとくようにというような話は、聞いていました。

当の本人は、特に自覚症状もないようでした。

見た目も、ぜんぜん病気を患ってる様子もないので
ほんとうに病気なのかなぁと思うほどでした。

毎月1回病院に通い
多種の薬は、常用してました。

いつまで飲まなければいけないのかなぁと
言ってましたので
心臓だからね。一生飲まないといけないよ!って
いうと
怪訝そうにしてました。

それも、無理のないことかもしれません。
今まで元気でしたから
それほど、重症だと本人は思ってもいなかったでしょう。

19年の9月には、父の4・9日も無事済ませて
同年の11月には
子供のいる大阪に腰の養生をかねて1ヶ月近く
一人で出かけておりました。
それほどに元気になっておりました。

グランドゴルフも楽しみ
今日は、ホールインワンが入ったとか言って
いつも嬉しそうに話をしてくれてました。
お母さん、上手だったよ!って隣の奥さんが
言ってたので
そうだったんだなぁと
もうちょっと話を聞いてあげればよかったと
今頃、何かと悔やまれることです。

競馬も大好きな飛んでる母でした。

土・日の前夜は、スカーパを見て
なんやメモしながら研究してました。
昨年は、20万円代の万馬券もとったりして
のりにのってました。

今年になってからは、なかなかとれてませんでした。

いつになったらとれるのかなぁというんで
その内、また、いい事もあるよ!って
会話をした翌日でした。

母が亡くなったのは。

今年の6月6日、安田記念が最後の馬券投票でした。


大の巨人ファンで野球のある時は、テレビ観戦してました。
勝負に関係なしに、よくあきもせず見てるなぁと思うほど
熱心に応援してました。
時には、一人、手をたたいて喜んでおりました。

そんな母に死期が近づいていようとは
本人も思ってもいなかったでしょう。
まわりもそうでした。

いつものように、朝
今日は、調子はどぉう?って問うと
調子いいよ!って元気な声が帰ってきました。

大阪の妹は、毎日、母に電話をしてました。
7日の朝も15分ぐらい話をしたそうです。

そんな母が、私が仕事から帰ると冷たくなっていました。

お気に入りの居間の座椅子で
穏やかな顔をして永遠の眠りについていました。

いつもニコニコしてた母
娘にも遠慮深いぐらいの控えめな母でした。

娘に何も迷惑かける事なく
看病をさせてもらう事もなく
それが
母親らしい死に方だったのかもしれません。

主治医の
不整脈で一瞬の事でしたよ。
何も苦しまれてませんよ。っていう言葉で

いくらかは救われたようなものの
誰もそばにいない時
一人で逝ってしまったかと思うと・・・・・・。
涙がとどめなく流れてきたりして

あまりの突然の出来事に
現実を受け止められないような状況に陥っていましたが

何とか、ようやく
いつまでも悲しんでいてもいけないと
思えるようになってきました。

お浄土に行った両親も
いつまでも悲しんでる子供達の様子は
きっと、見たくないでしょう。

今まで受けた恩は、忘れることなく
毎日、精進したいものです。

いつかは、通らなきゃいけない道とはいえど
永遠の別れはつらいものですね。





コメント (2)
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