旬の食材
今や世界中の食べ物があふれかえり、旬がわからない食材があふれていますが、日本はもともと四季がはっきりとしている国なので、旬の時期の食材を食べることこそが健康につながります。
それぞれの季節の旬の食材を食べることは東洋医学的に意味があります。
例えば、夏の野菜にはからだを冷やす作用がありますし、冬の野菜にはからだを温める作用があると、東洋医学では考えます。
こうしたことをすべて覚えるのは難しいとは思いますが、昔から伝わる旬の食べ物を食事にうまく取り入れることで、食べ物のもつ本来の作用を生かすことができるのです。
以下、それぞれの季節にどのような食べ物を食べるのがよいのか、季節ごとのキーワードと、私が食べるとよいと考える食材の例を簡単に述べておきますので、参考にしていただければ幸いです。
春のキーワードは苦味だとよく言われます。
山菜をはじめとした苦味のある春野菜などを食べるのがよいと思います。
日本では古くから春野菜が持つ苦味や香りは心身を刺激して活性化させると言われており、和食の世界では「春の皿には苦味を盛れ」と伝えられてきました。
実際、春野菜には解毒作用や抗酸化作用の働きの高いものが多く、冬の間にため込んだ老廃物を排出してくれます。
夏のキーワードは体を冷やす食べ物です。
東洋医学では、体を冷やす野菜は暖かい地域で夏に収穫するものが多く、体を温める野菜は寒い地域で冬に収穫するものが多いと、教えています。
そして、上に向かって育つ野菜は体を冷やす野菜が多く、逆に下に向かって育つ野菜は体を温める野菜が多いと教えます。
トマト、ナス、ピーマンなどを冬に食べている人がいますが、東洋医学的な教えによれば、冷えを誘発することにもなりかねませんのでご注意ください。
秋のキーワードはジビエだと私は思っています。
食欲の秋などという言葉からもわかるように、秋は美味しくかつ栄養素も高い食材が豊富です。
なぜなら内にこもる冬に向けて、栄養を蓄えるための時期だと考えられるからです。
私は肉食を否定している医学者ではありませんので、秋から冬にかけてとれるジビエをよく勧めています。
野生で育った肉は筋肉質で脂肪分が少なく、高たんぱく・高ミネラル・低カロリーで、生命力に優れています。
獣臭いと感じてしまう人が多いようですが、そのこと自体が、すでに不健康の前兆だとも言えます。
なぜならロボット化された肉しか肉と思えなくなっているからかもしれないからです。
ただ、ジビエは放射能の影響を受けやすいので産地を選ぶことが重要です。
冬のキーワードは鍋です。
鍋は作るのも簡単で、野菜も肉も魚もたっぷりとることができますし、ダシ汁には栄養がしみこんでいます。
鍋の時は出来る限り無農薬の野菜をそろえて、もしそろえられなくても農薬洗い用の粉末や重曹などで、周囲の農薬だけでも頑張って落とすと味の違いがわかります。
ダシも、ダシの元などというインチキなものは使わないで、本物のダシが何かわかるようになる事が重要です。
今は普通のお店に行っても、簡単にダシがとれる、インチキではないダシ粉末が売ってますからね。
これらの知識には科学的な根拠に乏しいものもあります。
もちろん現代科学で、色々なことが明らかになってきてはいるのですが、実は科学的な根拠がないことも非常に重要なことだったりします。
なぜなら現代科学や栄養学ごときがこれらをすべて証明する、などということ自体が馬鹿げた話だと、色々勉強すれば勉強するほどわかるからです。
あなたが食べて実践して、それで大丈夫なら役に立っているということなのです。
(画像はネットよりお借り)
今や世界中の食べ物があふれかえり、旬がわからない食材があふれていますが、日本はもともと四季がはっきりとしている国なので、旬の時期の食材を食べることこそが健康につながります。
それぞれの季節の旬の食材を食べることは東洋医学的に意味があります。
例えば、夏の野菜にはからだを冷やす作用がありますし、冬の野菜にはからだを温める作用があると、東洋医学では考えます。
こうしたことをすべて覚えるのは難しいとは思いますが、昔から伝わる旬の食べ物を食事にうまく取り入れることで、食べ物のもつ本来の作用を生かすことができるのです。
以下、それぞれの季節にどのような食べ物を食べるのがよいのか、季節ごとのキーワードと、私が食べるとよいと考える食材の例を簡単に述べておきますので、参考にしていただければ幸いです。
春のキーワードは苦味だとよく言われます。
山菜をはじめとした苦味のある春野菜などを食べるのがよいと思います。
日本では古くから春野菜が持つ苦味や香りは心身を刺激して活性化させると言われており、和食の世界では「春の皿には苦味を盛れ」と伝えられてきました。
実際、春野菜には解毒作用や抗酸化作用の働きの高いものが多く、冬の間にため込んだ老廃物を排出してくれます。
夏のキーワードは体を冷やす食べ物です。
東洋医学では、体を冷やす野菜は暖かい地域で夏に収穫するものが多く、体を温める野菜は寒い地域で冬に収穫するものが多いと、教えています。
そして、上に向かって育つ野菜は体を冷やす野菜が多く、逆に下に向かって育つ野菜は体を温める野菜が多いと教えます。
トマト、ナス、ピーマンなどを冬に食べている人がいますが、東洋医学的な教えによれば、冷えを誘発することにもなりかねませんのでご注意ください。
秋のキーワードはジビエだと私は思っています。
食欲の秋などという言葉からもわかるように、秋は美味しくかつ栄養素も高い食材が豊富です。
なぜなら内にこもる冬に向けて、栄養を蓄えるための時期だと考えられるからです。
私は肉食を否定している医学者ではありませんので、秋から冬にかけてとれるジビエをよく勧めています。
野生で育った肉は筋肉質で脂肪分が少なく、高たんぱく・高ミネラル・低カロリーで、生命力に優れています。
獣臭いと感じてしまう人が多いようですが、そのこと自体が、すでに不健康の前兆だとも言えます。
なぜならロボット化された肉しか肉と思えなくなっているからかもしれないからです。
ただ、ジビエは放射能の影響を受けやすいので産地を選ぶことが重要です。
冬のキーワードは鍋です。
鍋は作るのも簡単で、野菜も肉も魚もたっぷりとることができますし、ダシ汁には栄養がしみこんでいます。
鍋の時は出来る限り無農薬の野菜をそろえて、もしそろえられなくても農薬洗い用の粉末や重曹などで、周囲の農薬だけでも頑張って落とすと味の違いがわかります。
ダシも、ダシの元などというインチキなものは使わないで、本物のダシが何かわかるようになる事が重要です。
今は普通のお店に行っても、簡単にダシがとれる、インチキではないダシ粉末が売ってますからね。
これらの知識には科学的な根拠に乏しいものもあります。
もちろん現代科学で、色々なことが明らかになってきてはいるのですが、実は科学的な根拠がないことも非常に重要なことだったりします。
なぜなら現代科学や栄養学ごときがこれらをすべて証明する、などということ自体が馬鹿げた話だと、色々勉強すれば勉強するほどわかるからです。
あなたが食べて実践して、それで大丈夫なら役に立っているということなのです。
(画像はネットよりお借り)
内海先生のFB投稿より
人権について
とある国のある政党といえば人権無視ということで有名な政党らしいのですが、話題に上ったことの一つに天賦人権論否定というのがあるそうです。
まずは有名なひとりの政治家のコメントを引用しましょう。
「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」
この文章を読むとすぐに基本的人権否定とかそういう話になりますが、もともとそういう浅い問題ではありません。
確かにその政党には基本的人権を守る気はないというように受け取れるかもしれませんが、元来の保守や右翼と呼ばれる人たちの考え方も理解する必要があります。
ご存知のように例えば日本においては、保守は国を優先し国を統治してきた天皇を崇拝するようです。
革新と呼ばれる人々は人類の平等を提唱し、これらは歴史に応じて変化してきたものにも見えます。
少なくとも世界中の貴族や皇族が、人民を真の意味で幸せにしたなんて言う歴史は、残念ながら見つけられませんでした。
そこに見えてきたものは、権力、名声、権威、簒奪、戦争の歴史であって、これを敬うのは保守革新とか関係なく単に冷遇を受け入れるように洗脳されてきたように思えます。
しかもその冷遇歓迎ともとれる洗脳は世界中でどんなものよりも根深いものであり、一部の人々にとっては自分の命よりも大事なくらい洗脳されているとも思えるほどです。
先住民にはないこの思想は農耕支配体系特有の問題と言う人もいます。
この例に出したある政党的=保守的発想では国や例えば天皇や国王が国民に人権を賦与したのだ、という考え方になるように見えてくるかもしれません。
ただ、それだけを取り上げて日本では戦後の憲法でアメリカが見せかけの国民主権を刷り込んだから、それは人権の常識だ。
と思うのはこれまた洗脳と言えないでしょうか。
いわゆる国家の理論では人々の生命・自由・財産などを守るために国が形成されたのが基礎で、本来国家によってそれが侵害されたのでは本末転倒というのが私たちが子どもの頃から学校などで学んできた事でした。
しかし実際には国家というものはほとんどの場面において、それらを侵害し続けてきた歴史がある事も思い返さねばなりません。
人権について
とある国のある政党といえば人権無視ということで有名な政党らしいのですが、話題に上ったことの一つに天賦人権論否定というのがあるそうです。
まずは有名なひとりの政治家のコメントを引用しましょう。
「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」
この文章を読むとすぐに基本的人権否定とかそういう話になりますが、もともとそういう浅い問題ではありません。
確かにその政党には基本的人権を守る気はないというように受け取れるかもしれませんが、元来の保守や右翼と呼ばれる人たちの考え方も理解する必要があります。
ご存知のように例えば日本においては、保守は国を優先し国を統治してきた天皇を崇拝するようです。
革新と呼ばれる人々は人類の平等を提唱し、これらは歴史に応じて変化してきたものにも見えます。
少なくとも世界中の貴族や皇族が、人民を真の意味で幸せにしたなんて言う歴史は、残念ながら見つけられませんでした。
そこに見えてきたものは、権力、名声、権威、簒奪、戦争の歴史であって、これを敬うのは保守革新とか関係なく単に冷遇を受け入れるように洗脳されてきたように思えます。
しかもその冷遇歓迎ともとれる洗脳は世界中でどんなものよりも根深いものであり、一部の人々にとっては自分の命よりも大事なくらい洗脳されているとも思えるほどです。
先住民にはないこの思想は農耕支配体系特有の問題と言う人もいます。
この例に出したある政党的=保守的発想では国や例えば天皇や国王が国民に人権を賦与したのだ、という考え方になるように見えてくるかもしれません。
ただ、それだけを取り上げて日本では戦後の憲法でアメリカが見せかけの国民主権を刷り込んだから、それは人権の常識だ。
と思うのはこれまた洗脳と言えないでしょうか。
いわゆる国家の理論では人々の生命・自由・財産などを守るために国が形成されたのが基礎で、本来国家によってそれが侵害されたのでは本末転倒というのが私たちが子どもの頃から学校などで学んできた事でした。
しかし実際には国家というものはほとんどの場面において、それらを侵害し続けてきた歴史がある事も思い返さねばなりません。
内海先生のFB投稿より
治らない人たちの特徴
以前から症状の意味について書いてきましたが、症状の無理解だけでなく治らない人たち=治りたくない人たちには、いくつかの特徴があります。
このウォールを見ている人なら周りにいると思うのですが、そのような人たちはいつも同じ行動パターンをとります。
助言してもうんざりという経験をしたことがある人も多いでしょうが、その内容を言語化してみましょう。
症状が体を治すためであったりサインで合ったりするのを、彼らが考えず目先で病院に行くのは当たり前です。それはそうとして一番の問題は、彼らには「治る気がないという自覚」がないことです。
こうしたほうがいいと助言するだけでキレる、症状の意味を少し話すだけで、「つらい」とか「苦しい」とか「あなたにはわからない」しかいわない、こういう人たちは結局ヤク中なのです。
また、治る人はどうすれば根本的に治るかとか、人生がどうやれば根本的に豊かになるかを考えますが、治らない人はそのような発想がないため、質問内容がいつも同じになります。
たとえば
○○病なんですがどうすればいいですか?とか
○○飲んでるけどどうすればいいですか?とか
医者に○○言われてるけどどうすればいいですか?とか
そういう事をたずねてきますが、自分で考える気がありません。
しかも自分では考えているつもりですが、長いものや御用知識にしかなびかないのも特徴です。
彼ら治らない人たちというのは、自分にとって不都合な知識や情報には決して耳を傾けません。
治らない人たちは常に自分のプライド優先であり、自分の過去が優先だったりします。
だからそのような人々に助言をするより、この世界では見捨てたほうがよほど早いと思います。
量子医学の世界では自分の病気は自分が作り出したものなので、治せるのも自分だけなのです。
よって周りがどれほどにおせっかいしようが説得しようが、治らない人は治りません。
食事などで治る人というのは我々の世界では簡単な部類であって、治るためには食事療法や〇〇療法などというよりも、もっと重要なものがあります。それは当人の真の意味での心がけなのです。
治らない人たちの特徴
以前から症状の意味について書いてきましたが、症状の無理解だけでなく治らない人たち=治りたくない人たちには、いくつかの特徴があります。
このウォールを見ている人なら周りにいると思うのですが、そのような人たちはいつも同じ行動パターンをとります。
助言してもうんざりという経験をしたことがある人も多いでしょうが、その内容を言語化してみましょう。
症状が体を治すためであったりサインで合ったりするのを、彼らが考えず目先で病院に行くのは当たり前です。それはそうとして一番の問題は、彼らには「治る気がないという自覚」がないことです。
こうしたほうがいいと助言するだけでキレる、症状の意味を少し話すだけで、「つらい」とか「苦しい」とか「あなたにはわからない」しかいわない、こういう人たちは結局ヤク中なのです。
また、治る人はどうすれば根本的に治るかとか、人生がどうやれば根本的に豊かになるかを考えますが、治らない人はそのような発想がないため、質問内容がいつも同じになります。
たとえば
○○病なんですがどうすればいいですか?とか
○○飲んでるけどどうすればいいですか?とか
医者に○○言われてるけどどうすればいいですか?とか
そういう事をたずねてきますが、自分で考える気がありません。
しかも自分では考えているつもりですが、長いものや御用知識にしかなびかないのも特徴です。
彼ら治らない人たちというのは、自分にとって不都合な知識や情報には決して耳を傾けません。
治らない人たちは常に自分のプライド優先であり、自分の過去が優先だったりします。
だからそのような人々に助言をするより、この世界では見捨てたほうがよほど早いと思います。
量子医学の世界では自分の病気は自分が作り出したものなので、治せるのも自分だけなのです。
よって周りがどれほどにおせっかいしようが説得しようが、治らない人は治りません。
食事などで治る人というのは我々の世界では簡単な部類であって、治るためには食事療法や〇〇療法などというよりも、もっと重要なものがあります。それは当人の真の意味での心がけなのです。