歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「八重桐廓噺」 やえぎり くるわばなし

2013年08月13日 | 歌舞伎
「嘔山姥」(こもちやまんば)という通称でも有名です。

これも長いお芝居の一部ですから、本当は前後関係を把握してから見ないと意味がわかりにくいだろうと思うのですが、
古いお芝居すぎるので逆に細かいことはてきとうでいいとも思います。

時代は平安中期、藤原摂関家全盛の頃ですが、
とくにそういう風俗にもなっていないのでそのへんの設定もスルーでいいです。

「坂田蔵人時行(さかたくらんど ときゆき)」というお侍が、父の敵を討とうと浪人しています。
いまは「煙草屋源七(たばこや げんしち)」に身をやつして苦労していますが、なかなか敵が討てません。
恋人の遊女の「八重桐(やえぎり)」も、いろいろあって今は流浪の身です。

煙草売りの源七は、街で煙草を売るときの宣伝の口上が面白いので人気者です。
今日も源七は、お屋敷の庭に呼び入れられて煙草売りの口上を語っています。
これが「煙草尽くし」になっていて楽しいのです。
現行上演では、今の煙草の銘柄がセリフに入っていることもありますが、
昔のセリフを使っている場合意味がわからないだろうと思います。こっちのほうが雰囲気はいいですが。
昔はシャレになっていておもしろかったんだなあというかんじでご覧ください。

このお屋敷のお姫様が「沢潟姫(おもだかひめ)」と言うのですが、
この「沢潟姫」に無理やり求婚して困らせている悪いやつがいます。
「清原右大将高藤(きよはらの うだいしょう たかふじ)」といいますが、
このひとはセリフに名前が出てくるだけでこの幕に出番はありません。

沢潟姫には許婚(いいなずけ)の恋人がいるのですが、高藤の陰謀で今は謹慎しており、
結婚できません。
恋人というのが、お芝居の世界ではとても有名な「源頼光(みなもとの よりみつ)」なのですが、
このお芝居を見る上ではこの人のことは知らなくても大丈夫です。
現政権に忠実な、「いいほう」のえらい人で、いまは不遇、ということです。

さて、「悪いほう」の右大将高藤の家来の「大田三郎」が、求婚の返事を聞きにやってきています。
部屋の奥にいたのですが、待ちかねて表に出てきて沢潟姫を連れて帰ろうと暴れます。
源七が、太田三郎に煙草を飲ませてやり、またおもしろい口上を言いながら
文字通り煙に巻いて、追い返します。

みんな大喜びで、いつものように源七に唄ってくれと頼み、
源七も得意の三味線を弾いて歌います。恋ゆえに人生失敗して破滅したけど恋は恋、みたいな歌です。

その声を聞いたのが、門の外を通りかかった八重桐です。
八重桐は以前は遊女で、源七の恋人でした。
源七は親の仇を討ちに出て行って戻ってこないので、
探して旅をしています。
すっかり落ちぶれて門付け芸をしています。つまり物もらいです。

源七がうたっている唄は、八重桐と源七がふたりで作ったオリジナルなのです。誰が歌っているんだ!?

八重桐は中に入ろうとします。
ただの「門付け芸人」はふつうに頼んでもお屋敷には入れてもらえません。
なので門の外で「(自分は)傾城の祐筆(けいせいの ゆうひつ)(ですよ、御用はありませんか)」と叫びます。
「祐筆(ゆうひつ)」というのは、武士の職位の一種で、えらい人の専属書記のことです。
「傾城(高級遊女)の祐筆」というのは、高級遊女を貴人に見立てて、その専属書記、と言っているわけです。
そんなもん実際はいませんから、そのウソくささが逆に興味をひくのです。
遊女が作成する書類といえば、客に送る恋文(つまり営業手紙)です。
なので八重桐も、「どんな種類の恋文でも書くし、相手をその気にさせる」と呼ばわりますよ。

面白がってお女中たちが八重桐を門の中に呼び入れます。

八重桐は、紙衣(かみこ)と呼ばれる、紙を継ぎ合わせて仕立てた着物を着ています。
「紙衣」は作るのに手間がかかるので、実際は布の服より値段が高いのですが、
お芝居に「紙衣」が出てくるときは、かならず、
昔華やかに暮らしていた人が何かの理由で落ちぶれて貧乏になり、
しかたなく、大事にとっておいた恋人からの手紙を張り合わせて着物にしている。
という設定です。お約束です。

舞台に出てくる「紙衣」は紫地に金や黒で文字が書いてある華やかなものですが、
実際の見た目の美しさを楽しむと同時に、
みすぼらしい服を着た落剥の美女の哀しみと、それなりに元気に生きているけなげさをココロの目で感じていただくといいと思います。

みすぼらしい身なりなのに品がある八重桐を見て、お姫様が身の上を尋ねます、
八重桐は、昔は遊女だったと明かし、「廓噺(くるわばなし)]をはじめます。

「廓噺(くるわばなし)」というのは、高級遊郭の様子をいろいろ楽しく語る芸です。
高級遊郭は誰でも入れる場所ではありませんから、
その場所の様子や恋のかけひきを語るのが喜ばれました。
高級ホテルやセレブのパーティーの様子をテレビで特集すると受けるのと、方向性が似ています。

ここでは八重桐は、
遊郭にやってきた坂田なんとかいう男と恋人になってラブラブ。
「小田巻(おだまき)」という同輩の遊女が横恋慕してきて、大量の恋文を送ってアプローチしてくる。
怒った八重桐とケンカがはじまり、廓中がおおさわぎになる。
というような話をかなり大げさに面白おかしく語ります。
「役者さんがしゃべる芸」を見せる場面として有名ですが、
テンポのいい文体と必要以上に大げさな描写は、お芝居のセリフというよりも、
もっと古い「語り芸」である古浄瑠璃や、さらに古い「御伽草子」などの文体を思わせます。

さらに八重桐は、廓を抜けてその恋人と結婚したのですが、
恋人は父の仇を討つと出て行ったきり行方不明。
どこかで遊んで暮らしているのだろう、と言います。

もちろん、ここに言っている「坂田なんとか」というのは、主人公の「坂田蔵人時行」のことですよ。
いま煙草屋源七になって、すぐそばに座っていますよ。
八重桐は「廓話」に見せかけて、いつまでたっても父の敵を討てず、ヘラヘラ遊んでいるように見える源七(時行)に、あてこすりを言っているのです。

お姫様たちは一度退場。
源七と八重桐のケンカになります。

自分だってがんばっている。なかなか敵が討てないのはしかたない、という源七ですが、
じつは、敵は時行の妹、初菊(はつぎく)がすでに討ったのです。
という重大情報をイキナリセリフでさらっと言いますので、
セリフどうせ聞き取れないし、てきとうに見ていよう、とか思っていると置いていかれるので注意が必要です。

そうこうしていると、その初菊ちゃんが奥から出てきます。
腰元としてお屋敷にいたのです。

敵は、「物部の平太(もののべの へいた)」と言います。これも現行上演ではセリフでしか出ません。
初菊ちゃんは、「碓氷の荒藤太(うすいの あらとうた)」という強いお侍に助けてもらって敵を討ちました。
この「碓氷の荒藤太」が「源頼光(みなもとの よりみつ)」の家来だったために、頼光は悪人に逆恨みでイヤガラセされているのです。
初菊ちゃんは、申し訳ないのでせめてと思って、ここで働いています。
世間でもうわさになって大騒ぎなのに、あんたは気付いていないのか!?

時行はショックを受け、自分を恥じてその場で切腹します。
そのとき、自分の魂は八重桐の体内に宿って強い男の子に生まれる、と言い残します。

そんな流れです。

このあと、さきほど追い返された大田三郎が、お姫様をさらいにやってきます。
しかし死んだ時行の魂が八重桐に宿っているので八重桐は強くなり、軍勢を追い散らします。
という立ち回りが付きます。


というわけで全体を通しての見せ場は、
・序盤の、源七の「煙草尽くし」の大道芸的な売り口上
・八重桐の「廓噺」のセリフ
・最後の立ち回り

です。


このあと八重桐は、坂田時行の魂が体内に入ったので予言どおり身ごもり、
一人で山奥に住んで、山姥(やまうば)となって子育てをします。
「嘔山姥(こもち やまんば)」という外題はここからきています。
「怪童丸(かいどうまる)」という名のその子供は、マサカリをかついだ大力無双の男の子です。熊と相撲を取ったりします。
そう、金太郎です。
これは金太郎伝説のお芝居なのです。
「沢潟姫」の恋人は「源 頼光(みなもとの よりみつ)」だと上にチラっと書きましたが、
山の中で育った怪童丸が頼光に見いだされて家来になり、坂田金時と名を変えるという幕があります。
めったに出ません。
いちおう所作(しょさ、踊りね)ものとして独立した作品になっています。
=こちら=です。

今の松緑くんの初舞台が、この幕だったと思います。
先代と先々代が、やたら嬉しそうに怪童丸と丸太の引っ張りっこしてましたっけ。


以下細かい説明を書きます。

「沢潟姫」の「オモダカ」は、「サワカタ」と打つと変換できます。自力で辞書登録してください。
沢や沼地に生えてるから「沢潟」と書きます。
読みの「オモダカ」の意味は、葉の葉脈が高く浮き出ているからだそうです。


「紙衣(かみこ)」についてですが、
廓文章(くるわぶんしょう)』というお芝居の主人公の「伊左衛門(いざえもん)」も「紙衣」(かみこ)を着ています。
大金持ちのぼんぼんが勘当されてお金がなくなり、紙衣を着ているお話です。
「紙衣」といえばこの伊左衛門が有名です。身分のある人が貧しい状態に身を「やつす」ということで、
「やつし」の芸と呼ばれます。
八重桐の衣装や演技は、「やつし」女性版です。

「廓文章」を書いたのは有名な近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)ですが、
この「八重桐」も近松の作品です。

最後の八重桐の立ち回りについてですが、
女性がメインの立ち回りというのは今はめずらしい展開ですが、
古い狂言だとこういう、キレイなお姉さんが暴れる場面はじつはけっこう多いです。
『御所桜堀川夜討』(ごしょざくら ほりかわようち)というお芝居は、四段目で頼朝がたの軍勢が義経に夜討ちをかけるのですが、
現行上演ですと、静御前の兄の「藤弥太」(とうやた)が軍勢を追い返します。
でも、もともとのストーリーでは「藤弥太」は途中で死んでしまって、戦うのは静御前です。
振袖に花かんざしで、長刀を小脇にかかえて勇ましいかぎりです。
源平布引滝(げんぺい ぬのびきのたき)」も、今は出ない部分で「小万(こまん)」という女性の派手な立ち回りがあります。
俊寛」に出てくる千鳥ちゃんも、次の幕で大暴れして帝を助けます。
浄瑠璃(語りですね)の文句もいつもお約束です。
「女ひとりに切りたてられて、ばらばらぱっと逃げ散ったり」

というわけで、まあ、庭の巨大な手水鉢を振り回したりするので、他のお芝居よりも派手ではあるのですが、
これは「すごくめずらしいヘンなお芝居」ではないのです。
「昔はこういうのが受けたんだ」と言う感じで見ていただくのが正しいかと思います。
今はおねえさんが暴れるお芝居はこの「八重桐」の他は、
さらにめったに出ない「板額(はんがく)」くらいです。


あと、
このお芝居は、女形(おんながたと読むのよ)の役者さんの「しゃべりの芸」が特徴だとよく説明されていますが、
モトは文楽です。浄瑠璃の太夫さんがしゃべるのが前提です。
「八重桐」は、ただ、実在の、本当に「しゃべる」のが上手な女形の役者さんをモデルにして書かれました。
なのでおそらく歌舞伎化も前提としていたであろうという点が特異なのです。
原作者の近松門左衛門は、歌舞伎の脚本も文楽の作品も両方書いたひとなので、
そのへんの計算がうまく出来たのだろうと思います。
そして、やはりこの「しゃべりの芸」のセリフのすばらしさは近松ならではです。


「煙草屋源七」は実在した当時の人気者のようです。煙草の行商人です。
何でただの行商人が人気者なんだとお思いかもですが、テレビがなかった時代は街のもの売りで、気の利いたパフォーマンスをした人は、ちょっとした有名人になったのです。
生のCMタレントです。
で、そういう「時事ネタ出演」なので、主役級のポジションなのにストーリー上の存在感が薄いのだと思います。

例えば「外郎売」も、そういう人気パフォーマンスを舞台に乗せたものだと言っていいと思います。

江戸も後期になると街も大きくなってきたので、売り子を何人も雇って、決まった節回しを教えて売り歩かせたようです。CMソングですね。
大きい店などは、声のいい売り子をオーディションで選んでいたようです。


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