歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「道行恋苧環」 みちゆき こいのおだまき

2010年12月19日 | 歌舞伎
「妹背山婦女庭訓(いもせやま おんなていきん)」 四段目の前半です。

序盤部分にあたる「杉酒屋」から書きます。
ここはあまり出ない幕ですが、内容を把握しておいたほうが「苧環」部分がわかりやすいと思います。

「妹背山」自体の時代設定は上代ですが、ここは一般市民の住む家が舞台の「世話場(せわば)」と言われる場面です。
こういう場面は現代風(つまり江戸時代)の風俗でリアルにやるのがお約束です。
御殿などの場面の非現実的なかんじと、こういう場面とのギャップが楽しいのです。

基本設定をまず書きます。題材は、大化の改新(645)です。
蘇我入鹿(そがの いるか)の陰謀で藤原鎌足(ふじわらの かまたり)は失脚し、その息子、淡海(たんかい)さまも行方不明です。
帝になり代わって政権掌握をたくらむ悪人の入鹿は、ジャマな淡海を殺そうと、探し回っています。

・「杉酒屋(すぎさかや)」の場

三輪山にある村の、造り酒屋さんが舞台です。

わが庵(いお)は 三輪の山もと 恋しくは
とぶらい来ませ 杉立てる角

という歌があります。三輪山と杉はなにげにセットで連想されるのかもしれません。

今日は七夕です。7月7日というのは旧暦だと8月の後半にあたります。

酒屋の向かいに長屋があります。
酒屋は水がとても大事です。なのでいい水が出る井戸を持っています。長屋のひとたちもその井戸を使わせてもらっています。
今日は「井戸替え」の日です。

井戸替え(いどがえ)というのは、水質を維持するために井戸の水を全部汲みだした上で底を掃除する作業です。
職人さんが井戸の中に入り、それを外から何度も何度も引っ張りあげたりおろしたりして作業します。重労働です。
長屋の人々も日ごろのお礼で総出で手伝いました。
酒屋のおかみさんのお酉(おとり)さんが、お礼に酒と食事をふるまっています。

酒屋には「お三輪(おみわ)」ちゃんという娘がいます。お年頃です。きれいな子です。
京阪では七夕のお祭りは一般の家ではやらず、寺子屋などに子供を集めてイベントをやりました。
お三輪ちゃんも手習いは卒業しているのですが、イベントなので呼ばれて今日は出かけています
お三輪ちゃんは何か願い事があるらしく、自分の家にも笹を飾っています。

出だしのこの部分はストーリーにはあまり関係ないのですが、
「井戸替え」「七夕」と、旧暦7月、今だと8月後半の、上方の庶民の雰囲気が出ていると思います。

長屋に新しく入居した若い男がいます。
「烏帽子折(えぼしおり)」という仕事をしている「園原求女(そのはら もとめ)」さんと言います。
名前に「女」が付きますが男です。キレイな若い男性によく付けられる名前です。

「烏帽子折り」という職業についてワタクシ資料を持っていないのですが、
烏帽子というのは頭のハチに合わせて作りますからオーダーメイドだと思います。紙に漆を塗って作りますので「折る」なのです。
烏帽子をかぶるのは貴族だけです。また、普段用、儀式用、また、階級や年齢によって形が細かく違います。
それら全ての約束ごとを把握して、ふさわしい形の烏帽子を折るのは、
職人的な技術よりも宮中の決まり事についての知識が必要な、ちょっと特殊な仕事だと思います。
この「求女」くんは、実は身分が高いのですが、それをさりげなく暗示する職業です。

長屋のみんなで酒を飲みながら求女さんのウワサをします。
今日は井戸替えなのに求女さんは出かけて手伝わないとか、言葉遣いが気取っていていけすかないとかの悪口です。
そこに求女さんが帰ってきます。
ほんとに言葉使いがていねいすぎで笑います。

井戸替えのことは知らなかったということで求女さんがあやまったのでみんなすぐに機嫌を直し(いい人たちだー)、
酔っ払っているのでみんなで踊ります。
長屋の家主(管理人さん)が来て、さわぐなー!! と怒るので、みんなで踊りながら帰ります。
この場面では、お三輪ちゃんの弟の「子太郎(ねたろう)」くんがいい味出してて楽しいです。

ここで家主さんと酒屋の女主人が、「蘇我入鹿(そがの いるか)」さまが、「淡海(たんかい)」さまを探している。
あの烏帽子折がアヤシイ、みたいな話をします。

一度全員退場します。すっかり夜です。
ここから急展開です。

花道から美しいお姫様がやってきます。合図に気付いた求女さんが戸を開け、「今日は早いね」とか言いながら部屋に入れます。
見ていて驚いたのは子太郎くんです。
折よく七夕の会から戻ってきた姉のお三輪ちゃんに言いつけます。お三輪ちゃんショック!!

子太郎くんが求女さんを呼び出し求女さんが酒屋の店にやってきます。
お三輪ちゃんと求女さんは付き合っているのです。
「あれは春日神社の巫女さんで、神主の烏帽子を発注にきただけ」という言い訳を信じたお三輪ちゃんは
求女さんとイチャイチャします。

お三輪ちゃんが、七夕の笹に飾っておいた「苧環(おだまき)」を取り出します。
「苧(お)」というのは麻糸です。これをくるくる巻いたものが「おだま」または「おだまき」です。
お芝居で使うのは、糸巻きに持ち手のついたかわいらしい道具です。
赤糸と白糸をそれぞれ巻いた2本の「苧環(おだまき)」。2本の糸を結び合わせて男女双方で持って、変わらぬ仲を祈るのです。
お三輪ちゃんが寺子屋のお師匠に聞いたという恋のおまじないです。

そんなかんじで仲良くしていると、さっきのお姫様がやってきます。
お姫様にもいい事言ってフタマタかけていた求女さん(おい)。
身分の低いお三輪ちゃん相手に上から目線のお姫様、突っかかるお三輪ちゃん。
ケンカになります。どっちもかわいいです(おい)。

お姫様は途中で家に帰ろうと逃げ出し、それを追って求女さんも出て行きます。
お三輪ちゃんも続きます。

さわぎの途中に、お母さんのお酉(おとり)が求女さんを捕まえようと入ってきますが、息子の子太郎くんのイタズラでジャマされます。
けっきょく求女さんは捕まらないので、
ここは「求女さんは指名手配の淡海(たんかい)さまらしい」というのを客に伝えるためだけの部分です。




「道行恋苧環」 みちゆき こいのおだまき

ここから所作(しょさ、踊りね)になります。非常に有名な所作です。
この部分だけ独立して出すことも多いです。

三輪山から三笠山に向かう途中の、布留(ふる)神社(石上神社)の杜の中です。
七月七日の月はとっくに沈んで、真っ暗です。

お姫様が出てきて、それを追って求女さんが出てきます。
お姫様は「橘姫(たちばなひめ)」といいます。求女さんにはどうしても身分を言えない事情があります。

追ってきてくれたことが内心嬉しい橘姫。
女のほうから通って行くのは、正式な交際ではありません。男のほうから通ってくるべきです。
追ってきてくれたって事は、自分のことを本気で好きって事かしら、
と思いながら、橘姫は身分を明かすことはできません。

あなたがどこの誰か教えてくれれば本気になるけど、身分を明かしてくれないあなたこそ本気じゃないんだろう。
身分教えてくれればいつでも結婚したいのに
と求女さんは言いますが、橘姫は言いません。言えないのです。

どこのものでもない「賎の女(しずのめ、身分の低い女性)」だと思って、
名前は言えないけど気持ちは本気だから疑いは晴らしてください。
自分の気持ちさえ受け入れてくれるなら、何でもいう事をきくしこのまま死んでもかまわない

だいたいこんなやりとりを浄瑠璃で語るあいだに、ふたりは所作で追ったり追われたり口説いたり仲良くしたりします。

ここで、
ふたりを見失ったお三輪ちゃんが登場します。

恋に狂い、嫉妬に狂った美しい娘が舞台上手から駆け出てきた瞬間、舞台の雰囲気が一変します。
橘姫はお姫様。求女さんもじつは身分が高いので、前半は王子様とお姫様の上品で優雅な恋もようです。
お三輪ちゃんは身分が低いです。
生き生きとした自然な感情、爆発するような生命力の持つインパクトがすごいのです。

橘姫はキラキラの美しい振袖を着て、キラキラの花かんざしをして最高に目出つ衣装なのに、
赤と緑の粗末ななりのお三輪ちゃんのほうが目立つのです。
歌右衛門さんがお三輪で出たときなんか、照明が変わったかと思うほど雰囲気が変わりました。お三輪ちゃんかわいいです。

盛り上がるふたりの間に割って入るお三輪ちゃんです。
「そりゃ気の多い」
求女さんとはすっかり恋人なのよと、なれそめを語るお三輪ちゃん。

ここで「(身分が高いのだから)女性向けのお作法のマニュアル本である「庭訓(ていきん)」をしっかり読みなさい」
みたいに橘姫をなじるセリフがあるのが、作品タイトルの直接の由来になっています。

しかし橘姫も、親が許してないなら正式の付き合いじゃないじゃない!! と譲りません。
恋の争いに身分はありません。
またもみあいになり、また橘姫は去って行きます。

追う求女は、さっきお三輪ちゃんに渡された苧環(おだまき)の赤い糸を橘姫の着物のすそに縫い付けます。
糸を頼りに橘姫を追っていきます。
お三輪ちゃんも白い糸を求女さんの着物に付け、ふたりを追って去って行きます。

後半の「三笠山御殿」に続きます。


もともと「三輪伝説」というものがあり、この場面はそれをモチーフにしています。
伝承ですからいくつかバリエーションがありますが、
直接意識されているのは、能の「三輪」で語られる内容であろうと思います。

大和の国(今の奈良)に夫婦がいた。長年なかよく連れ添っていたが夫はなぜか夜しかやってこなかった。
これは、平安期の夫婦というのが男が一定年齢になって独立するまでは女性は親の庇護下にあるのが当然でしたので、可能な設定です。
妻がある日夫に、なぜ夜しか来ないのか。このように愛し合っているのだからずっと一緒にいたいと言った。
男は昼もここにいたら誰かが自分の姿を見ていつかは周囲に知られてしまうだろうと言い、
もうここには来られないと言って出て行った。
悲しんだ女は男の衣の裳裾(もすそ)に糸を縫い付け、糸を頼りに跡を追っていった。
「裳裾」はふつうに「裾」だと思っていいと思います。男がかなりりっぱな服を着ていたことが想像できます。
糸を苧環(おだまき)に巻きつけたりほどいたりしながら跡を追い、とある山のふもとの社を杉の木がとりかこむ、その下枝にたどりついた。

能で語られるのはここまでですが、この男がこの社に住む蛇であったことを暗示しています。

お芝居では蛇のことはどうでもよく、
「毎夜通ってくる恋人」「正体がわからない」「服に糸を付けて跡を追う」「苧環」「杉」
などのモチーフがロマンチックに取り入れられています。


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