急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。
「切られ与三郎(きられ よさぶろう)」の通称でも有名です。
木更津のヤクザのお妾さんだったお富(おとみ)さんに横恋慕した与三郎(よさぶろう)は、密会がバレて全身を切り刻まれます。
お富さんは逃げようとして海に飛び込んで死んだと思われていたのですが、
生きて、江戸で質屋(今だと銀行に近い商売)の大番頭さんに囲われています。
そこに昔のオトコの与三郎が登場、さあどうなる。
おおざっぱに言うとそんな内容です。
基本設定と出ない部分を中心に、少しストーリーを説明しますよ。
主人公の与三郎(よさぶろう)はもとは武士の息子です。
この、実親にあたるお侍が仕えているお大名家でのお家騒動が、物語のバックボーンになっているのですが、今はこの部分はほとんど関係ない状態で上演されます。
与三郎は子供のいない商人、伊豆屋(いづや)さんの養子になったのですが、
伊豆屋さんにその後息子ができたので、実子の与五郎(よごろう)くんに気を使った与三郎は、わざと遊び歩いて親を怒らせ、勘当されようとしています。
今は、木更津の親戚の藍屋さんに預けられて謹慎中です。
お芝居で、お店出入りの鼈甲屋の金五郎さん(最近はかっこいい役にするためか鳶の親方とかになったりする)がこのへんの事情を話して
「そう親に気を使うもんじゃない」みたいな事を与三郎に言う説明シーンがあるのですが、
聞き取りにくいと思うので書いておきますよ。
お富さんは深川の芸者でした。
深川芸者のステイタスの高さについては=梅ごよみ=にわりと詳しく書きました。
木更津のヤクザの親分、赤間源蔵(あかま げんぞう)に身請けされてお妾になって、今はこの土地で「あねごあねご」と立てられて暮らしていますが、
やはり華やかで垢抜けた江戸の暮らしに多少の未練はあるようです。
でまあ、江戸のニオイをまとった美男美女が、土地の人々が垢抜けないかんじでうろうろ潮干狩をする木更津の浜辺で出会いますよ。
ひと目で恋に落ちるふたり。
ここが「見初め」と呼ばれる場面です。
お互いの気持ちの変化が、細かい動きに上手く表現されている、完成度の高い場面です。
密会した二人がお富さんの今の旦那のの赤間源蔵に見つかって、お富さんは逃げて海に飛び込みます。
与三郎はリンチされて全身を切り刻まれます。
この場面は今は出ません。
このあとお富さんが、夜釣りをしていた多左衛門(たざえもん)さんに拾われるシーンがあります。
ここも今は出ません。
で、現行上演のメインシーンの「源氏店(げんやだな)」です。
「源氏店(げんやだな)」は、江戸に実在した「玄治店」という町がモデルです。
「店」は、商店のことではなく、貸し家です。
瀟洒な貸し家が並んでいた地域で、小金のあるご隠居やお妾さんが多く住んでいました。
今だと郊外の高級マンション街みたいなかんじです。
湯上りのお富さんが家に戻ってきます。
今は海から拾い上げてくれた多左衛門さんのお妾として楽な暮らしです。
多左衛門は「和泉屋(いずみや)という大きい質屋の番頭さんです。
質屋というのは、今の小金貸しのイメージとは違います。かなり大きいお金も貸したことと、信用第一であったことから、
もの固い、銀行に近いイメージの商売です。
和泉屋の使用人の籐八(とうはち)が、用もないのに上がりこんできます。
お富さんを口説いているのですが、お富さんはてきとうにあしらいます。
今は藤八は完全に道化役で、ここは笑うだけの場面ですが、
通しで出すと、彼は前述の、今は出ないお家騒動の悪人側に加担している油断のならない男です。
お富さんのこともはっきりと狙っています。
こんなのが昼間はひと気のない街の、女ひとりの家に入り込むのは、ほんとうはかなり物騒な状態です。
さらに、町のごろつきである「蝙蝠安(こうもり やす)」がやってきます。
友達を連れてきます。
全身に傷があってかわいそうな男だ。湯治にでもやりたいのだけど、いくらか工面してくれないか。
みたいな事を言います。
金をやるいわれはないのですが、小金のある家でこうやって小遣いをせびってあるくと、
早く帰ってほしいのであきらめてお金をやる人がいたのです。
お妾さんのような、小金は持っているけれど男手はなく、あまり人目に付きたくないような家はこういうごろつきのいいターゲットですよ。
安の連れてきた傷だらけの男というのが、あの与三郎です。
お富さんは、蝙蝠安に一分(いちぶ、1万5千円くらい)やって返そうとしていたのですが、
与三郎がお富さんに気付きます。
与三郎は蝙蝠安を押しのけて自分がお富をゆすりにかかりますよ。
チナミにこの段階までは、蝙蝠安が与三郎をかわいがって連れて歩いているだけで、与三郎は実際にゆすりをしたことはありません。
まだまだボンボン気分が抜けずに途方にくれて、安に全部おまかせ状態だったのです。
お富さんが自分を忘れて楽々と暮らしているのに腹をたてて、ここで生まれて初めてゴロツキの真似事をするのです。
それだけ与三郎の怒りは強いのです。
与三郎はリンチされてから今までの苦労を語り、全部お富のせいだと言います。
しかも、死んでも夫婦だと誓ったはずなのに、お前は他の男の妾になって贅沢三昧かい。許せねえ。
こりゃあ、たった一分(いちぶ)じゃあ帰られねえ。
モメているところにやってきたのが、今の旦那の多左衛門(たざえもん)さんです。
横でウロウロして話しをややこしくしていた番頭の籐八や蝙蝠安を追い返すと、与三郎と話を始めます。
こうして囲ってはいるが、エッチはしていないという多左衛門ですが、信じない与三郎。そらそうだ。
とにかく、お富を渡すのはいいが、そんなゴロツキ商売をしていてはいけない。
元手のお金をあげるから商売でも始めて、それからまた来なさい、と与三郎に金を渡して帰す多左衛門。
形としては、まとまったお金がゲットできたので与三郎のゆすりは成功したことになります。
外で待っていた蝙蝠安とお金を分け合って、帰っていく与三郎。
多左衛門もお店の仕事がまだあるので帰ります。
そのとき、多左衛門が帰り際にそっと、自分の紙入れを置いていきます。
そこに入っていたお守り、それが、お富の持っているのと同じものなのです。見て驚くお富、
「そんならおぬしは、私の兄さん…!!」
現行上演はここで終わりです。
もともとは、釣りをしていた多左衛門がお富を助けたとき、多左衛門はお富のお守りを見ています。
なのでその時点で、客には「ああ、ふたりは兄妹なんだな」とわかるのですが、
今は、いろいろあった幕切れでイキナリ「あなたはわたしの兄さん」とわかるという無理な展開になってしまっています。
もう仕方がありません。
予備知識としてわかっている状態でご覧いただくくのが一番かと思います。
チナミにですが、
与三郎を切り刻む悪役のヤクザ「赤間源三」と、この場面でのお富さんのパトロン、多左衛門は
初演で同じ役者さんでした。
基本的にはどちらも座頭格の二枚目系のいい役者さんの役でした。だから与三郎も嫉妬するのです。
最近、多左衛門さんがちょっとおじさん臭い役柄になってしまっていますが、もともとはそんなかんじです。
有名なお芝居なだけに、逆に、決まったセリフを楽しむだけで内容はなんとなく流して見てしまうかもしれませんが、
前後関係をある程度把握なさって見ると、運命に翻弄される男女の切ない気持ちが伝わってくるのではないかと思います。
役者さんも「型」だけになってしまっている舞台もたまにあるので、そこはもう少し考えていただきたいところです。
そもそもこの「源氏店」というのは、じつはかなりデンジャラスでドキドキな場面です。
社長の2号さんが住んでるマンションに、妙な男たちが勝手に出入りしてあれこれモメてたらあぶなっかしいじゃないですか。
そういう雰囲気を感じ取っていただけるといいかと思います。
お富さんにせまって顔におしろい塗られる番頭の藤八も、 今は完全に道化で笑わせるだけですが、初演ではかなり本気で迫っております。
蝙蝠安も、今はワリとひょうひょうとした役柄ですが、昔はそうとう怖い、「街のゴロツキ」でした。
初演時のの三代目中村仲蔵は 「島帰りの前科のある男」として腕の刺青を隠す動きを取り入れて演じています。
家に入ってこられるだけで妙なウワサになりそうな、とにかく関わり合いになりたくないタイプなのです。
まして「お妾」みたいな立場では。
いまよりずっとナマナマしい、「お富」というキレイなお姉さんをめぐるデンジャラスであぶなっかしい舞台だったのです。
逆に、内心ドキドキもののはずですが、それを表向き平気そうにかわしていくお富、さすが元は深川芸者です。
完成された形、手順を楽しんでいただくのももちろんですが、そういうリアルな緊張感みたいなのも感じていただくと、
より面白さが伝わるかなと思います。
以下、細かいこと書きます。
・上にもちょっと書きましたが「玄治店(げんやだな)」について。
お芝居の中でもこの町の名前「源氏店」となっており、セリフでも「げんじだな」と呼ばれていますが、
場面としての通称は「げんやだな」です。
これは、江戸時代は江戸市中の実在の地名を舞台に乗せてはいけなかったからです。
江戸時代以外ならオッケーです。
もともとは日本橋人形町に実在した閑静な住宅地「玄治店」がモデルです。
ご隠居さんやお妾さんなど、小金を持っていてかつ、働いていない人があまり目立たないように住むのにいい場所だったのです。
「玄治」というヒトが地主で家を貸していたのだと思います。
イメージとしては、青山あたりのちょっとひっこんだ環境のいい場所にある、小ぶりな高級マンションとかそんなのだと思います。
この名前をそのままは舞台に出せなかったので、まず「江戸時代」を「鎌倉時代」という設定にして、
「玄治(げんや)」→「げんじ」→「源氏(鎌倉だから)」と読み替えたのです。
見るヒトは「江戸の「玄治店」が舞台なんだな」と思って見ていたのです。
・ところで、このお話は全部読むとけっこう長いです。しかもあまり面白くありません(おい)。
そして、現行上演では木更津の浜辺での「見初め」のシーンの後、イキナリ三年後の「源氏店」に飛んでしまうので、
舞台だけ見ているとまったくストーリーがわかりません。
さらに、原作を通しで読むとわかるのですが、与三郎もお富も性格描写がすごくあいまいです。
場面によって性格が変わるのです。はっきり言って作劇技術的には凡作です。
ということもあってますますお話の流れがわかりにくいのです。
一応、出ない部分についてちょっと書きます。
本来は、最初の「見初め」の場面のあとに
お富さんのパトロンであるヤクザ、赤間源三(あかま げんぞう)の別荘での二人の密会シーン(濡れ場)と、
密会の現場を押さえられた与三郎がリンチされて切り刻まれるシーン(責め場)が間にあります。
実際に縛られて切られてうめいたりしています。SMショーです。
他にもいろいろ、傷だらけの与三郎が実家に担ぎ込まれて大騒ぎになる場面などもあるのですが、そのへんは絶対に出ないのでいいです。
上記の2シーンが付くとこの「源氏店」が分かりやすく、感情移入もしやすいだろうと思います。
たまには出せばいいのに。濡れ場と責め場。
お芝居全体でいうと、与三郎の実の親であるお侍のおうちがお家騒動に巻き込まれており(お約束)、
家宝の「鶴の香炉」を探しております。
そしてこの香炉が、多左衛門さんの勤めている質屋、和泉屋(いずみや)にあるのです。
和泉屋ではこれを使って金をせしめようとする悪者や、それを利用してお店の信用を落とそうとする悪い番頭(藤八)なんかが暗躍しています。
むしろこっちが作品の主筋にあたる部分で、「源氏店」のシーンはその一部なのです。
現行上演お店のシーンは完全カットです。
この源氏店のシーンのあとに、和泉屋での香炉をめぐるゴタゴタのシーンになり、
山の中での捕り物のあと与三郎は捕まって島流し→島抜けして帰ってきます。
そして田舎の小間物屋で観音久次(かんのん きゅうじ)という男とと所帯を持っているお富と再会します。
でも久次はじつは与三郎の昔の家来筋にあたる人です。夫婦のフリをしてお富を守っていたのです。
久次の生き血に以前手に入れて持っていた南蛮渡来の薬を混ぜて飲んだら、与三郎の傷跡も治り、
香炉も見つかって与三郎の実家のお家再興もなります。
めでたしめでたし、という筋です、現行上演には無関係ですが一応。
・お芝居としては、もうセリフ回しや動きも殆ど決まってしまっているので、
誰がやっても同じ様な舞台になりそうなもんですが、
逆に、「決まった言い回し」を押さえながら「生世話もの(きぜわもの)」としてのリアリティーを出さなければならないので
難しい舞台だと思います。
与三郎の「しがねえ恋の情けが仇…」ではじめる長セリフに、本当に今までの人生への感慨を込めて聞かせて、客を泣かせるのは至難の業です。
かといってあんまりナマナマしくやると歌舞伎じゃなくなるし。
これはまた、江戸の町の「夏」「夕立」「湯上がりの女」「ご隠居やワケあり女なんかが住む、生活感の薄いこぎれいな一帯」
みたいな雰囲気が、今はなかなかうまく出せないし客も知らないので理解もされないこととも関係あるかと思います。ムズカシイです。
この作品の作者は「瀬川如皐(せがわ じょこう)」というかたですが、
現行上演でここしか出ない、このふたつのシーンは、じつは作者の「瀬川如皐(せがわ じょこう)」が書いたのとはまったく違うセリフになっています。
そのへんの事情はお芝居には関係ないので割愛しときますが、
「役者さんが演じながら作ったお芝居」なのです。
そういう意味でも、あまり形式やお約束だけに流れてしまわない舞台を見たいものだと思います。
=50音索引に戻る=
「切られ与三郎(きられ よさぶろう)」の通称でも有名です。
木更津のヤクザのお妾さんだったお富(おとみ)さんに横恋慕した与三郎(よさぶろう)は、密会がバレて全身を切り刻まれます。
お富さんは逃げようとして海に飛び込んで死んだと思われていたのですが、
生きて、江戸で質屋(今だと銀行に近い商売)の大番頭さんに囲われています。
そこに昔のオトコの与三郎が登場、さあどうなる。
おおざっぱに言うとそんな内容です。
基本設定と出ない部分を中心に、少しストーリーを説明しますよ。
主人公の与三郎(よさぶろう)はもとは武士の息子です。
この、実親にあたるお侍が仕えているお大名家でのお家騒動が、物語のバックボーンになっているのですが、今はこの部分はほとんど関係ない状態で上演されます。
与三郎は子供のいない商人、伊豆屋(いづや)さんの養子になったのですが、
伊豆屋さんにその後息子ができたので、実子の与五郎(よごろう)くんに気を使った与三郎は、わざと遊び歩いて親を怒らせ、勘当されようとしています。
今は、木更津の親戚の藍屋さんに預けられて謹慎中です。
お芝居で、お店出入りの鼈甲屋の金五郎さん(最近はかっこいい役にするためか鳶の親方とかになったりする)がこのへんの事情を話して
「そう親に気を使うもんじゃない」みたいな事を与三郎に言う説明シーンがあるのですが、
聞き取りにくいと思うので書いておきますよ。
お富さんは深川の芸者でした。
深川芸者のステイタスの高さについては=梅ごよみ=にわりと詳しく書きました。
木更津のヤクザの親分、赤間源蔵(あかま げんぞう)に身請けされてお妾になって、今はこの土地で「あねごあねご」と立てられて暮らしていますが、
やはり華やかで垢抜けた江戸の暮らしに多少の未練はあるようです。
でまあ、江戸のニオイをまとった美男美女が、土地の人々が垢抜けないかんじでうろうろ潮干狩をする木更津の浜辺で出会いますよ。
ひと目で恋に落ちるふたり。
ここが「見初め」と呼ばれる場面です。
お互いの気持ちの変化が、細かい動きに上手く表現されている、完成度の高い場面です。
密会した二人がお富さんの今の旦那のの赤間源蔵に見つかって、お富さんは逃げて海に飛び込みます。
与三郎はリンチされて全身を切り刻まれます。
この場面は今は出ません。
このあとお富さんが、夜釣りをしていた多左衛門(たざえもん)さんに拾われるシーンがあります。
ここも今は出ません。
で、現行上演のメインシーンの「源氏店(げんやだな)」です。
「源氏店(げんやだな)」は、江戸に実在した「玄治店」という町がモデルです。
「店」は、商店のことではなく、貸し家です。
瀟洒な貸し家が並んでいた地域で、小金のあるご隠居やお妾さんが多く住んでいました。
今だと郊外の高級マンション街みたいなかんじです。
湯上りのお富さんが家に戻ってきます。
今は海から拾い上げてくれた多左衛門さんのお妾として楽な暮らしです。
多左衛門は「和泉屋(いずみや)という大きい質屋の番頭さんです。
質屋というのは、今の小金貸しのイメージとは違います。かなり大きいお金も貸したことと、信用第一であったことから、
もの固い、銀行に近いイメージの商売です。
和泉屋の使用人の籐八(とうはち)が、用もないのに上がりこんできます。
お富さんを口説いているのですが、お富さんはてきとうにあしらいます。
今は藤八は完全に道化役で、ここは笑うだけの場面ですが、
通しで出すと、彼は前述の、今は出ないお家騒動の悪人側に加担している油断のならない男です。
お富さんのこともはっきりと狙っています。
こんなのが昼間はひと気のない街の、女ひとりの家に入り込むのは、ほんとうはかなり物騒な状態です。
さらに、町のごろつきである「蝙蝠安(こうもり やす)」がやってきます。
友達を連れてきます。
全身に傷があってかわいそうな男だ。湯治にでもやりたいのだけど、いくらか工面してくれないか。
みたいな事を言います。
金をやるいわれはないのですが、小金のある家でこうやって小遣いをせびってあるくと、
早く帰ってほしいのであきらめてお金をやる人がいたのです。
お妾さんのような、小金は持っているけれど男手はなく、あまり人目に付きたくないような家はこういうごろつきのいいターゲットですよ。
安の連れてきた傷だらけの男というのが、あの与三郎です。
お富さんは、蝙蝠安に一分(いちぶ、1万5千円くらい)やって返そうとしていたのですが、
与三郎がお富さんに気付きます。
与三郎は蝙蝠安を押しのけて自分がお富をゆすりにかかりますよ。
チナミにこの段階までは、蝙蝠安が与三郎をかわいがって連れて歩いているだけで、与三郎は実際にゆすりをしたことはありません。
まだまだボンボン気分が抜けずに途方にくれて、安に全部おまかせ状態だったのです。
お富さんが自分を忘れて楽々と暮らしているのに腹をたてて、ここで生まれて初めてゴロツキの真似事をするのです。
それだけ与三郎の怒りは強いのです。
与三郎はリンチされてから今までの苦労を語り、全部お富のせいだと言います。
しかも、死んでも夫婦だと誓ったはずなのに、お前は他の男の妾になって贅沢三昧かい。許せねえ。
こりゃあ、たった一分(いちぶ)じゃあ帰られねえ。
モメているところにやってきたのが、今の旦那の多左衛門(たざえもん)さんです。
横でウロウロして話しをややこしくしていた番頭の籐八や蝙蝠安を追い返すと、与三郎と話を始めます。
こうして囲ってはいるが、エッチはしていないという多左衛門ですが、信じない与三郎。そらそうだ。
とにかく、お富を渡すのはいいが、そんなゴロツキ商売をしていてはいけない。
元手のお金をあげるから商売でも始めて、それからまた来なさい、と与三郎に金を渡して帰す多左衛門。
形としては、まとまったお金がゲットできたので与三郎のゆすりは成功したことになります。
外で待っていた蝙蝠安とお金を分け合って、帰っていく与三郎。
多左衛門もお店の仕事がまだあるので帰ります。
そのとき、多左衛門が帰り際にそっと、自分の紙入れを置いていきます。
そこに入っていたお守り、それが、お富の持っているのと同じものなのです。見て驚くお富、
「そんならおぬしは、私の兄さん…!!」
現行上演はここで終わりです。
もともとは、釣りをしていた多左衛門がお富を助けたとき、多左衛門はお富のお守りを見ています。
なのでその時点で、客には「ああ、ふたりは兄妹なんだな」とわかるのですが、
今は、いろいろあった幕切れでイキナリ「あなたはわたしの兄さん」とわかるという無理な展開になってしまっています。
もう仕方がありません。
予備知識としてわかっている状態でご覧いただくくのが一番かと思います。
チナミにですが、
与三郎を切り刻む悪役のヤクザ「赤間源三」と、この場面でのお富さんのパトロン、多左衛門は
初演で同じ役者さんでした。
基本的にはどちらも座頭格の二枚目系のいい役者さんの役でした。だから与三郎も嫉妬するのです。
最近、多左衛門さんがちょっとおじさん臭い役柄になってしまっていますが、もともとはそんなかんじです。
有名なお芝居なだけに、逆に、決まったセリフを楽しむだけで内容はなんとなく流して見てしまうかもしれませんが、
前後関係をある程度把握なさって見ると、運命に翻弄される男女の切ない気持ちが伝わってくるのではないかと思います。
役者さんも「型」だけになってしまっている舞台もたまにあるので、そこはもう少し考えていただきたいところです。
そもそもこの「源氏店」というのは、じつはかなりデンジャラスでドキドキな場面です。
社長の2号さんが住んでるマンションに、妙な男たちが勝手に出入りしてあれこれモメてたらあぶなっかしいじゃないですか。
そういう雰囲気を感じ取っていただけるといいかと思います。
お富さんにせまって顔におしろい塗られる番頭の藤八も、 今は完全に道化で笑わせるだけですが、初演ではかなり本気で迫っております。
蝙蝠安も、今はワリとひょうひょうとした役柄ですが、昔はそうとう怖い、「街のゴロツキ」でした。
初演時のの三代目中村仲蔵は 「島帰りの前科のある男」として腕の刺青を隠す動きを取り入れて演じています。
家に入ってこられるだけで妙なウワサになりそうな、とにかく関わり合いになりたくないタイプなのです。
まして「お妾」みたいな立場では。
いまよりずっとナマナマしい、「お富」というキレイなお姉さんをめぐるデンジャラスであぶなっかしい舞台だったのです。
逆に、内心ドキドキもののはずですが、それを表向き平気そうにかわしていくお富、さすが元は深川芸者です。
完成された形、手順を楽しんでいただくのももちろんですが、そういうリアルな緊張感みたいなのも感じていただくと、
より面白さが伝わるかなと思います。
以下、細かいこと書きます。
・上にもちょっと書きましたが「玄治店(げんやだな)」について。
お芝居の中でもこの町の名前「源氏店」となっており、セリフでも「げんじだな」と呼ばれていますが、
場面としての通称は「げんやだな」です。
これは、江戸時代は江戸市中の実在の地名を舞台に乗せてはいけなかったからです。
江戸時代以外ならオッケーです。
もともとは日本橋人形町に実在した閑静な住宅地「玄治店」がモデルです。
ご隠居さんやお妾さんなど、小金を持っていてかつ、働いていない人があまり目立たないように住むのにいい場所だったのです。
「玄治」というヒトが地主で家を貸していたのだと思います。
イメージとしては、青山あたりのちょっとひっこんだ環境のいい場所にある、小ぶりな高級マンションとかそんなのだと思います。
この名前をそのままは舞台に出せなかったので、まず「江戸時代」を「鎌倉時代」という設定にして、
「玄治(げんや)」→「げんじ」→「源氏(鎌倉だから)」と読み替えたのです。
見るヒトは「江戸の「玄治店」が舞台なんだな」と思って見ていたのです。
・ところで、このお話は全部読むとけっこう長いです。しかもあまり面白くありません(おい)。
そして、現行上演では木更津の浜辺での「見初め」のシーンの後、イキナリ三年後の「源氏店」に飛んでしまうので、
舞台だけ見ているとまったくストーリーがわかりません。
さらに、原作を通しで読むとわかるのですが、与三郎もお富も性格描写がすごくあいまいです。
場面によって性格が変わるのです。はっきり言って作劇技術的には凡作です。
ということもあってますますお話の流れがわかりにくいのです。
一応、出ない部分についてちょっと書きます。
本来は、最初の「見初め」の場面のあとに
お富さんのパトロンであるヤクザ、赤間源三(あかま げんぞう)の別荘での二人の密会シーン(濡れ場)と、
密会の現場を押さえられた与三郎がリンチされて切り刻まれるシーン(責め場)が間にあります。
実際に縛られて切られてうめいたりしています。SMショーです。
他にもいろいろ、傷だらけの与三郎が実家に担ぎ込まれて大騒ぎになる場面などもあるのですが、そのへんは絶対に出ないのでいいです。
上記の2シーンが付くとこの「源氏店」が分かりやすく、感情移入もしやすいだろうと思います。
たまには出せばいいのに。濡れ場と責め場。
お芝居全体でいうと、与三郎の実の親であるお侍のおうちがお家騒動に巻き込まれており(お約束)、
家宝の「鶴の香炉」を探しております。
そしてこの香炉が、多左衛門さんの勤めている質屋、和泉屋(いずみや)にあるのです。
和泉屋ではこれを使って金をせしめようとする悪者や、それを利用してお店の信用を落とそうとする悪い番頭(藤八)なんかが暗躍しています。
むしろこっちが作品の主筋にあたる部分で、「源氏店」のシーンはその一部なのです。
現行上演お店のシーンは完全カットです。
この源氏店のシーンのあとに、和泉屋での香炉をめぐるゴタゴタのシーンになり、
山の中での捕り物のあと与三郎は捕まって島流し→島抜けして帰ってきます。
そして田舎の小間物屋で観音久次(かんのん きゅうじ)という男とと所帯を持っているお富と再会します。
でも久次はじつは与三郎の昔の家来筋にあたる人です。夫婦のフリをしてお富を守っていたのです。
久次の生き血に以前手に入れて持っていた南蛮渡来の薬を混ぜて飲んだら、与三郎の傷跡も治り、
香炉も見つかって与三郎の実家のお家再興もなります。
めでたしめでたし、という筋です、現行上演には無関係ですが一応。
・お芝居としては、もうセリフ回しや動きも殆ど決まってしまっているので、
誰がやっても同じ様な舞台になりそうなもんですが、
逆に、「決まった言い回し」を押さえながら「生世話もの(きぜわもの)」としてのリアリティーを出さなければならないので
難しい舞台だと思います。
与三郎の「しがねえ恋の情けが仇…」ではじめる長セリフに、本当に今までの人生への感慨を込めて聞かせて、客を泣かせるのは至難の業です。
かといってあんまりナマナマしくやると歌舞伎じゃなくなるし。
これはまた、江戸の町の「夏」「夕立」「湯上がりの女」「ご隠居やワケあり女なんかが住む、生活感の薄いこぎれいな一帯」
みたいな雰囲気が、今はなかなかうまく出せないし客も知らないので理解もされないこととも関係あるかと思います。ムズカシイです。
この作品の作者は「瀬川如皐(せがわ じょこう)」というかたですが、
現行上演でここしか出ない、このふたつのシーンは、じつは作者の「瀬川如皐(せがわ じょこう)」が書いたのとはまったく違うセリフになっています。
そのへんの事情はお芝居には関係ないので割愛しときますが、
「役者さんが演じながら作ったお芝居」なのです。
そういう意味でも、あまり形式やお約束だけに流れてしまわない舞台を見たいものだと思います。
=50音索引に戻る=
急遽一人で歌舞伎を観にいくことにしまして、ほぼ初めてなので事前にお話を入れておいたほうが楽しめると思いここに辿り着きました。
行きの道中予習していきたいと思います。
ありがとうございました。
やっぱり歌舞伎は一流のエンターテインメントですね。
意味が分かりました。大人のストーリーですね!
今度、歌舞伎を見に行こうと思います。
玄冶店。ですね。