1967年ビクター発行のレコード版「勧進帳」のセリフを元にしています。
明らかに一般的な舞台上演と違う部分を、岩波文庫の「勧進帳」を参考に補っています。
現行上演のセリフよりも文法的にも正確ですし、レコード版のほうが上だと思います。
とりあえず、セリフです。
=内容解説=
=全訳1=
=全訳2=
=全訳3=
富樫: かやうに、候ふ者は、加賀の国の住人、富樫の左衛門(とがしの さえもん)にて、候。
さても 頼朝(よりとも)、義経(よしつね)おん仲不和(おんなか ふわ)と、ならせ給ふに、より、
判官殿主従(ほうがんどの しゅうじゅう)、作り山伏となり、下向(げこう)ある由(よし)
鎌倉殿、きこしめし及ばれ、
国々へ、かく新関(しんせき)を、立てられ、厳しく、詮議(せんぎ)せよとの、厳命によって、
それがし、この関を、うけたまわる。
かたがた、さよう、心得てよかろう。
番卒: 仰せのごとく、このほども、あやしき山伏を捕らえ、喬木(きょうぼく)にかけ、
並べおきまして、ござりまする。
ずいぶん、ものに心得、我々お後に従い、
もし山伏と見るならば、御前(ごぜん)へ引きすえ申すべし。
修験者(しゅげんざ)たるもの、来たりなば、即座に縄かけ、討ち取るよう、
いずれも警護、いたしてござる。
富樫: いしくも、おのおの、申されたり。
なおも、山伏来たりなば、はかりごとをもって、虜(とりこ)となし、
鎌倉殿の御心(みこころ)を、安んじ、申すべし。
かたがた、きっと、番頭つかまつれ。
番卒: かしこまって候。
※能の「安宅」だと、以下のセリフが入ります。
「唄: さて御供の人々には、伊勢の三郎、駿河の次郎、片岡、増尾、常陸坊。
弁慶は、先達(せんだつ)の姿となりて、主従以上十二人」
唄: 旅の衣は、篠懸(すずかけ)の、旅の衣は篠懸の、
露けき袖や、しおるらん
時しも頃は 如月(きさらぎ)の、如月の十日の夜(よ)。
月の都を立ち出でて。
唄: これやこの 行くも帰るも、別れては、
知るも知らぬも 逢坂の 山隠す
霞(かすみ)ぞ 春は、ゆかしける(恨めしき)。
波路はるかに、行く船の 海津の浦に着きにけり。
義経: いかに、弁慶、
道々も申すとおり、かく、行く先々に、関所あっては
しょせん、陸奥(みちのく)へは、思いもよらず。
名もなきものの手に、かからんよりはと、覚悟はとくより、極めたれども、
おのおのの言葉、もだし難く、弁慶が言葉に従い、
かく強力(ごうりき)と、姿を変えたり。
面々(めんめん)計ろう旨(はかろうむね)ありや。
四天王: さんぞうろう、
帯せし太刀は、何のため いつの世にかはm血を塗らん。
君、おん大事(きみ おんだいじ)は、今このとき。
心のほぞを固め、関所の番卒、斬りたおし、関をやぶって通るべし。
多年の武恩(ぶおん)は、今日ただいま。いでや、関所を、
踏みやぶらん。
弁慶: やあれ しばらく おん待ち候へ。
これは由々しき(ゆゆしき)、おん大事にて候。
この関ひとつ 踏み破って越えたりとも
また行く先々の新関に、かかる沙汰のあるときは、
求めて事を破るの道理。
たやすく陸奥(みちのく)へは参りがたし。
それゆえにこそ、 袈裟(けさ)、兜巾(ときん)をのけられ、笈(おい)を、おん肩にまいらせて、
君(きみ)を強力(ごうりき)と仕立て候。
とにもかくにも それがしに、おんまかせあって、おんいたわしくは候へども、
おん傘を深々と召され、いかにも草臥れたる体(てい)にもてなし、
我々より後に引き下がって、おん通り候はば
なかなか人は思いもより申すまじ。
はるか後より、おん入りあろうずるにて候。
義経: 弁慶、よきにはからい候へ。
かたがた、違背(いはい)すべからず。
四天王: かしこまって候。
弁慶: さらば、いずれも、おん通り候へ。
四天王: 心得申して候。
唄: いざ通らんと旅衣 関のこなたに さしかかる。
弁慶: 如何に(いかに)。
これなる山伏の おん関をまかり通り候。
番卒: なに、山伏の、この関へ、
かかりしとな。
富樫: 何と、山伏のおん通りあると申すか。
心得てある。
富樫: のうのう客僧(きゃくそう)たち、これは関にて候。
弁慶: うけたまわり候。
これは南都東大寺(なんと とうだいじ)建立(こんりゅう)のため、国々へ客僧をつかわされ、
北陸道(ほくろくどう)は、この客僧、うけたまわって、まかり通り候。
富樫: 近頃(ちかごろ)殊勝(しゅしょう)には候へども、この新関は、山伏たるものに限り、固く、通路なりがたし。
弁慶: 心得ぬ事どもかな。して、その所為(しょい)は。
富樫: さん候(ぞうろう)。
頼朝、義経、おん仲不和とならせ給ふにより、判官殿主従(ほうがんどの しゅうじゅう)奥秀衡(おく ひでひら)を頼み、下向(げこう)なる由(よし)、鎌倉殿、聞こし召しわけられ、
厳しく詮議せよとの厳命によって、それがし、この関をうけたまわる。
番卒: 山伏を詮議(せんぎ)せよとの事にて、我々、番頭(ばんとう)つかまつる。
ことに、見れば、大勢の山伏たち、
一人(いちにん)も通すこと、
まかりならぬ。
弁慶: 委細、うけたまわり候。それは、作り山伏をこそ留めよとの、仰せなるべし。
真(まこと)の山伏を留めよとの、仰せにては、候まじ。
番卒: いや、昨日も山伏、三人まで斬ったる上は、
たとえ真の山伏たりとも、容赦はならぬ。
たって通らば、一命(いちめい)にも及ぶべし。
弁慶: さて、その斬ったる山伏首は、判官殿か。
富樫: ああら、むずかしや。問答無用。
一人(いちにん)も通すこと まかりならぬ。
弁慶: 言語道断。
かかる不祥(ぶしょう)の、あるべきや。
この上は力およばず。
さらば最期(さいご)の勤めをなし、尋常(じんじょう)に誅(ちゅう)せられうずるにて候。
かたがた、近う、わたり候へ。
四天王: 心得て候。
弁慶: いでいで、最後の勤めをなさん。
唄: それ、山伏といっぱ、役の優婆塞(えんの うばそく)の行義(ぎょうぎ)を受け、
即心即仏(そくじんそくぶつ)の 本体を ここにて打ち止め給わんこと、
明王(みょうおう)の照覧(しょうらん)はかり難う。
熊野権現(ゆやごんげん)の 御罰(おばつ)当たらんこと、たちどころに、おいて、疑いあるべからず。
ロ奄阿毘羅吽欠(おんあびらうんけん)と
数珠さらさらと押しもんだり。
富樫: ちかごろ殊勝の、おん覚悟。
先に、うけたまわり候へば、南都東大寺の勧進と、仰せありしが、
勧進帳(かんじんちょう)ご所持なき事は、あらじ。
勧進帳を、遊ばされ候へ。これにて、聴聞(ちょうもん)つかまつらん。
弁慶: 何と、勧進帳を読めと、仰せ候や。
富樫: いかにも。
弁慶: 心得て候。
唄: もとより、勧進帳の、あらばこそ。
笈の内より、往来(おうらい)の、巻物一巻取りいだし、勧進帳と名付けつつ、
高らかにこそ、読み上げけれ。
弁慶: それ、つらつら、惟ん(おもん)見れば。
弁慶: 大恩教主(だいおんきょうしゅ)の、秋の月は、涅槃(ねはん)の雲に隠れ、
生死長夜(しやうじ ちょうや)の長き夢、驚かすべき人もなし。
ここに中頃(なかごろ)、帝(みかど)おはします。
おん名を聖武(しょうぶ)皇帝を申し奉る。最愛の夫人(ぶじん)に別れ、恋慕(れんぼ)の思いやみがたく、涕泣(ていきゅう)眼(まなこ)に荒く、涙(なんだ)玉を貫ねつらね、乾くいとまなし。
故に、上下菩提(じょうげぼだい)のため、廬遮那仏(るしゃなぶつ)を(と)、建立し給う。
※(レコード版では、「日ごろ三宝(さんぼう)を信じ、衆生(しゅじょう)をいつくしみ給う。
たまたま霊夢に感じたもうて、国土安泰、天下安穏(てんが あんのん)のため、廬遮那仏(るしゃなぶつ)を(と)、建立し給う。」になっています。
こっちのほうが好きです。死んだお后のために東大寺作ったってどうなのかと!! )
しかるに、去んじ(いんじ)治承(じしょう)のころ、焼亡(しょうぼう)し、おわんぬ。
かかる霊場(れいじょう)絶えなむことを嘆き、
俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)、勅命をこうむって、
無常の関門に涙を流し、上下の真俗(しんぞく)を勧めて かの霊場を、再建(さいこん)せんと
諸国、勧進す。
一紙半銭、奉財(ほうざい)の輩(ともがら)は
現世(げんぜ)にては無比の楽(むひの らく)に誇り、当来(とうらい)にては、数千蓮華(すせんれんげ)の、上に坐す。
帰命稽首(きみょう けいしゅ)、敬ってもうす。
唄: 天も響けと、読み上げたり。
富樫: 勧進帳、聴聞(ちょうもん)の上は、疑いは、あるべからず。
さりながら、事のついでに、問い申さん。
世に、仏徒(ぶっと)の姿、さまざまあり。中にも山伏は、いかめしき姿にて、仏門修行は、いぶかしし。
これにも、いわれあるや いかに。
弁慶: おお、その来由(らいゆ)いと易し(やすし)。
それ、修験(しゅけん)の法と言っぱ、胎蔵(たいぞう)、金剛(こんごう)の両部(りょうぶ)を旨(むね)とし、
険山(けんざん)悪所(あくしょ)を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇(あくじゅう どくじゃ)を退治して、現世愛民(げんぜ あいみん)の、慈眠(じみん)を垂れ、
あるいは難行苦行の功(こう)を積み、悪霊亡魂(あくりょう ぼうこん)を、成仏得脱(じょうぶつ とくだつ)させ、
日月星明(じつげつせいめい)天下泰平(てんがたいへい)の祈祷を修す(じゅす)。
さるが故に、内には、慈悲の徳を修め、表(おもて)に、降魔(ごうま)の相を顕し、悪鬼外道を、威伏(いぶく)せり。
これ、神仏(しんぶつ)の両部(りょうぶ)にして、百八の数珠に、仏道(ぶっどう)の利益を顕す。
富樫: してまた、袈裟衣(けさころも)を身にまとい、仏徒の姿にありながら、額にいただく兜巾(ときん)はいかに。
弁慶: すなわち兜巾篠懸(ときん すずかけ)は、武士の甲冑にひとしく、
腰には弥陀(みだ)の利剣(りけん)を帯し(たいし)、手には釈迦(しゃか)の金剛杖(こんごうづえ)にて、大地を突いて踏み開き、高山絶所(こうざん ぜっしょ)を縦横(じゅうおう)せり。
富樫: 寺僧(じそう)は錫杖(しゃくじょう)をたずさうるに、山伏修験(やまぶし しゅげん)の、金剛杖に五体を固むる謂れ(いわれ)は何と。
弁慶: 聞くもおろかや。金剛杖は、天竺壇特山(てんじく だんとくせん)の、神人(しんじん)、阿羅々(あらら)仙人の持ちたまいし、霊杖(れいじょう)にて、胎蔵、金剛の功徳(くどく)を籠めり。
釈尊(しゃくそん)、いまだ、矍曇沙禰(ぐどんしゃみ)と申せしおり、阿羅々仙に給仕して苦行したまい、やや功積もり、
仙人、その信力強勢(しんりき ごうせい)を感じ、矍曇沙禰を改め、照普比丘(しょうふ びく)と、名づけたり。
富樫: してまた修験に伝わりしは。
弁慶: 阿羅々仙より照普比丘へ伝わる金剛杖、かかる霊杖(れいじょう)なれば、わが宗祖(しゅうそ)役の小角(えんのしょうかく)、これを持って山野(さんや)を跋渉(ばっしょう)し、これより世々に、これを伝う(つとう)。
富樫: 仏門にありながら帯せし太刀は、ただ、もの脅さん料(りょう)なるや、まことに害せん料なるや。
弁慶: これぞ、案山子の弓矢(かかしの ゆみや)に似たれど、脅しに佩く(はく)の料ならず。
仏法、王法に害をなす、悪獣毒蛇は言うにおよばず。例わば、人間なればとて、世をさまたげ、仏法、王法に敵する悪徒は、一殺多生(いっせつたしょう)の理によって、ただちに、斬って捨つるべし。
富樫: 目にさえぎり、形あるものは、斬り給うべきが、もし無形(むぎょう)の陰鬼(いんき)陽魔(ようま)、仏法、王法に障碍(しょうげ)をなさば、
何をもって、斬り給うや。
弁慶: 無形の陰鬼、陽魔、亡霊は、九字真言(くじしんごん)を持って、これを切断(せったん)せんに、
何の難きことや、あらむ。
富樫: してまた、山伏の、いでたちは。
弁慶: すなわち、その身を 不動明王の尊形(そんぎょう)に象る(かたどる)なり。
富樫: 額に戴く、兜巾(ときん)は、いかに
弁慶: これぞ、五知(ごち)の宝冠にて、十二因縁(じゅうに いんねん)の、ひだを取って、これを戴く。
富樫: かけたる、袈裟は。
弁慶: 九会(くえ)曼荼羅(まんだら)の、柿の篠懸(すずかけ)。
富樫: 足にまといし、はばき は、いかに。
弁慶: 胎蔵黒色(たいぞう こくしき)の、はばきと、称す。
富樫: してまた、八つ(やつ)の草鞋(わらんず)は。
弁慶: 八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)を踏むの心なり。
富樫: いで入る、息は。
弁慶: 阿吽(あうん)の、二字。
富樫: そもそも、九字真言とは、いかなる儀にや。
ことのついでに、問い申さん。ささ、何と、何と。
弁慶: 九字の大事は、深秘(じんぴ)にして、語り難きことなれども、疑念をはらさん、そのために、説き聞かせ申すべし。
それ、九字真言と言っぱ、臨(りん)兵(びょう)闘(とう)者(しゃ)皆(かい)陣(じん)列(れつ)在(ざい)前(ぜん)の、九字なり。
まさに切らんと、なすときは、まず、正しく立って、歯を叩くこと、三十六度(さんじゅうりくど)。次に、右の大指をもって、四縦(しじゅう)をえがき、のちに、五横(ごおう)を書く。そのとき、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)と、呪するときは、
あらゆる五陰鬼(ごいんき)、煩悩鬼(ぼんのうき)、まった、悪魔、外道、死霊、生霊、たちどころに滅ぶること、霜に煮え湯を、注ぐがごとし。
げに、元本(がんぽん)の無明を斬るの、大利剣(だいりけん)。莫耶が剣(ばくやが つるぎ)も、なんぞ、如かん(しかん)。
まだこの上にも、修験の道、疑いあらば、尋ねに応じ、答え申さん。が、その道、広大、無量なり。
肝(きも)に彫り付け(えりつけ)、人にな語りそ。あなかしこ、あなかしこ。
大日本(だいにっぽん)の神祇(じんぎ)、諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)も照覧(しょうらん)あれ。百拝稽首(ひゃっぱい けいしゅ)、かしこみかしこみ、つつしんで申すと云々(うんぬん)、かくの通り。
唄: 関心してぞ、見えにける。
富樫: かかる尊き、客僧を しばしも、疑いしは 我があやまり。
今より、それがし、勧進の施主(せしゅ)につかん。
それ、布施物(ふせもつ)持て。
番卒: ははぁ
唄: 士卒が運ぶ、広台に 白綾袴(しらあや はかま)ひと重ね。
加賀絹(かがぎぬ)あまた、取りそろえ、御前へこそは、直しけれ。
富樫: ちかごろ、些少には候へども、それがしが功徳、なにとぞ、ご受納くださらば。
ひとえに、願い奉る。
弁慶: こは、ありがたの 大檀那(だいだんな)。
現当二世(げんとう にせ)安楽ぞ。何の疑いかあるべからず。
重ねて、申す事の候。なお我々は、近国を勧進し、卯月(うづき)半ばに、上るべし。
それまでは、かさ高の品々、お預け申す。
弁慶: さらばいずれも、おん通り候え。
四天王: 心得て候
弁慶: いでいで、急ぎ申すべし。
四天王: 心得申して候。
唄: こは嬉しやと、山伏も、しずしず立って、歩まれけり。
富樫: いかに、それなる強力(ごうりき)、止まれとこそ。
唄: すわや、我が君を、あやしむるは、一期(いちご)の浮沈(ふちん)ここなりと、
おのおの、後(あと)に、立ち帰る。
弁慶: あいや、しばらく。あわてて事を、仕損ずな。
弁慶: ここな、強力め、何とて、通りおらぬぞ。
富樫: それは、此方(こなた)より留め申した。
弁慶: それは、何とて、おん留め候ふぞ。
富樫: あの強力が、ちと、人に似たると、申す者の候うゆえに、さてこそ、ただいま留めたり。
弁慶: なに、人が人に似たるとは、珍しからぬ、仰せにこそ。
さて、誰に似て候ふぞ。
富樫: 判官殿(ほうがんどの)に似たると申す者の、候ふほどに、落居(らっきょ)の間、留め申した。
弁慶: なに、判官殿に、似たる、強力めは。一期(いちご)の思い出な。
腹立ちや、日高くは、能登の国まで、越さうずるわと、思いおるに、わずかな笈(おい)ひとつ、背負うて、
後へ下ればこそ、人も怪しむれ。
総じて、このほどより、判官殿よと、怪しめらるるは、おのれが業の、つたなき故なり。
思えば、にっくし。憎し、憎し。
いで物見せん。
唄: 金剛杖を、おっ取って、散々に、打擲(ちょうちゃく)す。
弁慶: 通れ。
唄: 通れとこそは、ののしりぬ。
富樫: いか様に、陳ずる(ちんずる)とも、通すこと、
番卒: まかりならぬ。
四天王: や、笈(おい)に目をかけ給ふは、盗人(とうじん)ぞな。
弁慶: こうれ。
唄: かたがたは、何ゆえに、かほど賎しき(いやしき)強力を、太刀刀(たち かたな)を抜き給ふは、
目垂れ顔の、振舞(か)。臆病の、至りかと。みな山伏は、打刀(うちかたな)抜きかけて。
勇みかかれる有様は、いかなる天魔(てんま)鬼神(おにかみ)も、恐れつべうぞ、見えにける。
唄: まだこの上も、おん疑い候はば、この強力、荷物の布施物(ふせもつ)もろともに、おあずけ申す。
いかようにも、究明あれ。
ただし、これにて、打ち殺し、見せ申さんや
富樫: いや、先達(せんだつ)の、荒けなし(あらけなし)。
弁慶: しからば、ただ今、おん疑いありしは いかに。
富樫: 士卒のものの 我への、訴え。
弁慶: おお、疑念晴らし(ぎねんばらし)、打ち殺し、見せ申さん。
富樫: いや、誤まりたもうな。番卒どもが、よしなきひが目より、判官殿にも、なき人を、疑えばこそ、かく折檻(せっかん)も、し給うなれ。
今は、疑い、晴れ申した。
とくとく、いざない、通られよ。
弁慶: 大檀那の、おおせなくんば、打ち殺して、捨てんずもの。命、冥加(みょうが)に、かないしやつ。
以後はきっと、つつしみおろう。
富樫: 我は、これより、なおも厳しく警護の役。
かたがた、来たれ。
番卒: ははぁ
唄: 士卒を、引き連れ、関守は、門の内へぞ、入りにける。
義経: さても、今日(こんにち)の機転、さらに、凡慮のおよぶべきところに、あらず。
とかくの是非を、あらそわずして、ただ、下人のごとく散々に、我を打って、助けしは、まさに、天の加護。
弓矢正八幡(ゆみや しょうはちまん)の神慮(しんりょ)と思えば かたじけのう、思ゆるぞ。
四天王王: この常陸坊(ひたちぼう)をはじめとして、従うものども、関守に、呼び止められし、そのときは、
ここぞ君の、おん大事、と思いしに、
四天王: まことに、源氏の氏神(うじしん)、正八幡(しょうはちまん)の、我が君を、守らせ給う、おんしるし。
陸奥下向(みちのく げこう)は、すみやかなるべし。
四天王: これまったく、武蔵坊の、智謀によらずんば、まぬがれ難し。
なかなかもって、我々が、およぶべきところに、あらず。
ほほぅ、
驚きいって候。
弁慶: それ、時は末世に及ぶと、いえども、日月(じつげつ)いまだ、地に落ちたまわず。
ご幸運、ははぁ、ありがたし、ありがたし。
計略(けいりゃく)とは申しながら、まさしき主君を、打擲(ちょうちゃく)、
天罰、空恐ろしく、千鈞(せんきん)も上ぐる、それがし、腕も、しびるるごとく、覚え候。
はあぁ、もったいなや、もったいなや。
唄: ついに泣かぬ、弁慶の、一期の涙ぞ、殊勝なる。
判官、おん手を、取り給い
義経: いかなればこそ、義経は、弓馬(きゅうば)の家に、生まれ来て、かくまで、武運つたなきぞ。
命は、兄、頼朝にたてまつり、屍(かばね)は、西海(さいかい)の波に、沈め、
弁慶: 山野海岸(さんや かいがん)に、起き伏し、明かす、武士(もものふ)の。
唄: 鎧(よろい)に、沿いし、袖枕(そでまくら)。片敷く隙(ひま)も、波の上。
ある時は、舟にうかび、風波(ふうは)に、身を任せ。
またある時は、山脊(さんせき)の、馬蹄(ばてい)も見えぬ、雪の中に、海少しある、夕波の、
立ちくる音や、須磨明石(すま あかし)。
とかく、三年の程(みとせのほど)も、なくなく、いたわしやと、しおれかかりし 鬼あざみ、露に霜おく、ばかりなり。
弁慶: とく、とく、退散。
唄: 互いに、袖を引きつれて、いざ立て給えの、折からに。
富樫: のうのう、客僧たち、しばし、しばし。
富樫: さても、それがし、あまりに、率爾(そつじ)を申せしゆえ、
粗酒(そしゅ)ひとつ進ぜんと、持参(じさん)せり。
いでいで、杯(さかずき)、まいらせん。
弁慶: あら、ありがたの、大檀那(だいだんな)。
ごちそう、頂戴つかまつる。
唄: げにげに、これも、心得たり。
人の情の盃を、受けて心をとどむとかや。
今は昔の 語り草。
あら恥ずかしの 我が心。一度まみえし女さえ、迷いの道の、関越えて、今また ここに 越えかぬる。
人目の関の、やるせなや。ああ 悟られぬこそ、浮世なれ。
唄: おもしろや、山水(やまみず)に。おもしろや山水に。
盃を 浮かべては、流(りゅう)に引かるる、曲水(きょくすい)の、手まず、さへぎる、袖ふれて、
いざや、舞を舞はうよ。
弁慶: 先達(せんだつ)、お酌に、まいって候。
富樫: 先達、ひと差し、おん舞い候へ。
弁慶: (唄)万歳ましませ 巌の上 万歳ましませ 巌の上。
亀は棲むなり。ありうどんどう。
唄: もとより弁慶は、三塔(さんとう)の、遊僧(ゆうそう)。
舞、延年(えんねん)の時の、若。
弁慶: (唄)これなる、山水(やまみず)の 落ちて、巌(いわお)に響くこそ。
唄: これなる、山水の 落ちて巌に 響くこそ。
鳴るは、瀧の水、鳴るは瀧の水。
唄: 日は照るとも、絶えず。とうたり。
とくとく立てや。
手束弓(たつかゆみ)の、心許すな。関守の人々。
暇(いとま)申して、さらばよ、とて。笈を、おっ取り。肩に打ち懸け。
虎の尾を踏み、毒蛇(どくじゃ)の口を、のがれたる、心地して、
陸奧(むつ)の国へぞ、下りける。
※単語をどこで切って読むかわかりにくいかと思ったので、かなり多めに句読点を入れてあります。
総ひらがな併記も考えましたが、読みにくそうな単語に()で読みがなを入れる程度にしました。
読み方がわからない単語があれば、ご質問ください。
=50音索引に戻る=
明らかに一般的な舞台上演と違う部分を、岩波文庫の「勧進帳」を参考に補っています。
現行上演のセリフよりも文法的にも正確ですし、レコード版のほうが上だと思います。
とりあえず、セリフです。
=内容解説=
=全訳1=
=全訳2=
=全訳3=
富樫: かやうに、候ふ者は、加賀の国の住人、富樫の左衛門(とがしの さえもん)にて、候。
さても 頼朝(よりとも)、義経(よしつね)おん仲不和(おんなか ふわ)と、ならせ給ふに、より、
判官殿主従(ほうがんどの しゅうじゅう)、作り山伏となり、下向(げこう)ある由(よし)
鎌倉殿、きこしめし及ばれ、
国々へ、かく新関(しんせき)を、立てられ、厳しく、詮議(せんぎ)せよとの、厳命によって、
それがし、この関を、うけたまわる。
かたがた、さよう、心得てよかろう。
番卒: 仰せのごとく、このほども、あやしき山伏を捕らえ、喬木(きょうぼく)にかけ、
並べおきまして、ござりまする。
ずいぶん、ものに心得、我々お後に従い、
もし山伏と見るならば、御前(ごぜん)へ引きすえ申すべし。
修験者(しゅげんざ)たるもの、来たりなば、即座に縄かけ、討ち取るよう、
いずれも警護、いたしてござる。
富樫: いしくも、おのおの、申されたり。
なおも、山伏来たりなば、はかりごとをもって、虜(とりこ)となし、
鎌倉殿の御心(みこころ)を、安んじ、申すべし。
かたがた、きっと、番頭つかまつれ。
番卒: かしこまって候。
※能の「安宅」だと、以下のセリフが入ります。
「唄: さて御供の人々には、伊勢の三郎、駿河の次郎、片岡、増尾、常陸坊。
弁慶は、先達(せんだつ)の姿となりて、主従以上十二人」
唄: 旅の衣は、篠懸(すずかけ)の、旅の衣は篠懸の、
露けき袖や、しおるらん
時しも頃は 如月(きさらぎ)の、如月の十日の夜(よ)。
月の都を立ち出でて。
唄: これやこの 行くも帰るも、別れては、
知るも知らぬも 逢坂の 山隠す
霞(かすみ)ぞ 春は、ゆかしける(恨めしき)。
波路はるかに、行く船の 海津の浦に着きにけり。
義経: いかに、弁慶、
道々も申すとおり、かく、行く先々に、関所あっては
しょせん、陸奥(みちのく)へは、思いもよらず。
名もなきものの手に、かからんよりはと、覚悟はとくより、極めたれども、
おのおのの言葉、もだし難く、弁慶が言葉に従い、
かく強力(ごうりき)と、姿を変えたり。
面々(めんめん)計ろう旨(はかろうむね)ありや。
四天王: さんぞうろう、
帯せし太刀は、何のため いつの世にかはm血を塗らん。
君、おん大事(きみ おんだいじ)は、今このとき。
心のほぞを固め、関所の番卒、斬りたおし、関をやぶって通るべし。
多年の武恩(ぶおん)は、今日ただいま。いでや、関所を、
踏みやぶらん。
弁慶: やあれ しばらく おん待ち候へ。
これは由々しき(ゆゆしき)、おん大事にて候。
この関ひとつ 踏み破って越えたりとも
また行く先々の新関に、かかる沙汰のあるときは、
求めて事を破るの道理。
たやすく陸奥(みちのく)へは参りがたし。
それゆえにこそ、 袈裟(けさ)、兜巾(ときん)をのけられ、笈(おい)を、おん肩にまいらせて、
君(きみ)を強力(ごうりき)と仕立て候。
とにもかくにも それがしに、おんまかせあって、おんいたわしくは候へども、
おん傘を深々と召され、いかにも草臥れたる体(てい)にもてなし、
我々より後に引き下がって、おん通り候はば
なかなか人は思いもより申すまじ。
はるか後より、おん入りあろうずるにて候。
義経: 弁慶、よきにはからい候へ。
かたがた、違背(いはい)すべからず。
四天王: かしこまって候。
弁慶: さらば、いずれも、おん通り候へ。
四天王: 心得申して候。
唄: いざ通らんと旅衣 関のこなたに さしかかる。
弁慶: 如何に(いかに)。
これなる山伏の おん関をまかり通り候。
番卒: なに、山伏の、この関へ、
かかりしとな。
富樫: 何と、山伏のおん通りあると申すか。
心得てある。
富樫: のうのう客僧(きゃくそう)たち、これは関にて候。
弁慶: うけたまわり候。
これは南都東大寺(なんと とうだいじ)建立(こんりゅう)のため、国々へ客僧をつかわされ、
北陸道(ほくろくどう)は、この客僧、うけたまわって、まかり通り候。
富樫: 近頃(ちかごろ)殊勝(しゅしょう)には候へども、この新関は、山伏たるものに限り、固く、通路なりがたし。
弁慶: 心得ぬ事どもかな。して、その所為(しょい)は。
富樫: さん候(ぞうろう)。
頼朝、義経、おん仲不和とならせ給ふにより、判官殿主従(ほうがんどの しゅうじゅう)奥秀衡(おく ひでひら)を頼み、下向(げこう)なる由(よし)、鎌倉殿、聞こし召しわけられ、
厳しく詮議せよとの厳命によって、それがし、この関をうけたまわる。
番卒: 山伏を詮議(せんぎ)せよとの事にて、我々、番頭(ばんとう)つかまつる。
ことに、見れば、大勢の山伏たち、
一人(いちにん)も通すこと、
まかりならぬ。
弁慶: 委細、うけたまわり候。それは、作り山伏をこそ留めよとの、仰せなるべし。
真(まこと)の山伏を留めよとの、仰せにては、候まじ。
番卒: いや、昨日も山伏、三人まで斬ったる上は、
たとえ真の山伏たりとも、容赦はならぬ。
たって通らば、一命(いちめい)にも及ぶべし。
弁慶: さて、その斬ったる山伏首は、判官殿か。
富樫: ああら、むずかしや。問答無用。
一人(いちにん)も通すこと まかりならぬ。
弁慶: 言語道断。
かかる不祥(ぶしょう)の、あるべきや。
この上は力およばず。
さらば最期(さいご)の勤めをなし、尋常(じんじょう)に誅(ちゅう)せられうずるにて候。
かたがた、近う、わたり候へ。
四天王: 心得て候。
弁慶: いでいで、最後の勤めをなさん。
唄: それ、山伏といっぱ、役の優婆塞(えんの うばそく)の行義(ぎょうぎ)を受け、
即心即仏(そくじんそくぶつ)の 本体を ここにて打ち止め給わんこと、
明王(みょうおう)の照覧(しょうらん)はかり難う。
熊野権現(ゆやごんげん)の 御罰(おばつ)当たらんこと、たちどころに、おいて、疑いあるべからず。
ロ奄阿毘羅吽欠(おんあびらうんけん)と
数珠さらさらと押しもんだり。
富樫: ちかごろ殊勝の、おん覚悟。
先に、うけたまわり候へば、南都東大寺の勧進と、仰せありしが、
勧進帳(かんじんちょう)ご所持なき事は、あらじ。
勧進帳を、遊ばされ候へ。これにて、聴聞(ちょうもん)つかまつらん。
弁慶: 何と、勧進帳を読めと、仰せ候や。
富樫: いかにも。
弁慶: 心得て候。
唄: もとより、勧進帳の、あらばこそ。
笈の内より、往来(おうらい)の、巻物一巻取りいだし、勧進帳と名付けつつ、
高らかにこそ、読み上げけれ。
弁慶: それ、つらつら、惟ん(おもん)見れば。
弁慶: 大恩教主(だいおんきょうしゅ)の、秋の月は、涅槃(ねはん)の雲に隠れ、
生死長夜(しやうじ ちょうや)の長き夢、驚かすべき人もなし。
ここに中頃(なかごろ)、帝(みかど)おはします。
おん名を聖武(しょうぶ)皇帝を申し奉る。最愛の夫人(ぶじん)に別れ、恋慕(れんぼ)の思いやみがたく、涕泣(ていきゅう)眼(まなこ)に荒く、涙(なんだ)玉を貫ねつらね、乾くいとまなし。
故に、上下菩提(じょうげぼだい)のため、廬遮那仏(るしゃなぶつ)を(と)、建立し給う。
※(レコード版では、「日ごろ三宝(さんぼう)を信じ、衆生(しゅじょう)をいつくしみ給う。
たまたま霊夢に感じたもうて、国土安泰、天下安穏(てんが あんのん)のため、廬遮那仏(るしゃなぶつ)を(と)、建立し給う。」になっています。
こっちのほうが好きです。死んだお后のために東大寺作ったってどうなのかと!! )
しかるに、去んじ(いんじ)治承(じしょう)のころ、焼亡(しょうぼう)し、おわんぬ。
かかる霊場(れいじょう)絶えなむことを嘆き、
俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)、勅命をこうむって、
無常の関門に涙を流し、上下の真俗(しんぞく)を勧めて かの霊場を、再建(さいこん)せんと
諸国、勧進す。
一紙半銭、奉財(ほうざい)の輩(ともがら)は
現世(げんぜ)にては無比の楽(むひの らく)に誇り、当来(とうらい)にては、数千蓮華(すせんれんげ)の、上に坐す。
帰命稽首(きみょう けいしゅ)、敬ってもうす。
唄: 天も響けと、読み上げたり。
富樫: 勧進帳、聴聞(ちょうもん)の上は、疑いは、あるべからず。
さりながら、事のついでに、問い申さん。
世に、仏徒(ぶっと)の姿、さまざまあり。中にも山伏は、いかめしき姿にて、仏門修行は、いぶかしし。
これにも、いわれあるや いかに。
弁慶: おお、その来由(らいゆ)いと易し(やすし)。
それ、修験(しゅけん)の法と言っぱ、胎蔵(たいぞう)、金剛(こんごう)の両部(りょうぶ)を旨(むね)とし、
険山(けんざん)悪所(あくしょ)を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇(あくじゅう どくじゃ)を退治して、現世愛民(げんぜ あいみん)の、慈眠(じみん)を垂れ、
あるいは難行苦行の功(こう)を積み、悪霊亡魂(あくりょう ぼうこん)を、成仏得脱(じょうぶつ とくだつ)させ、
日月星明(じつげつせいめい)天下泰平(てんがたいへい)の祈祷を修す(じゅす)。
さるが故に、内には、慈悲の徳を修め、表(おもて)に、降魔(ごうま)の相を顕し、悪鬼外道を、威伏(いぶく)せり。
これ、神仏(しんぶつ)の両部(りょうぶ)にして、百八の数珠に、仏道(ぶっどう)の利益を顕す。
富樫: してまた、袈裟衣(けさころも)を身にまとい、仏徒の姿にありながら、額にいただく兜巾(ときん)はいかに。
弁慶: すなわち兜巾篠懸(ときん すずかけ)は、武士の甲冑にひとしく、
腰には弥陀(みだ)の利剣(りけん)を帯し(たいし)、手には釈迦(しゃか)の金剛杖(こんごうづえ)にて、大地を突いて踏み開き、高山絶所(こうざん ぜっしょ)を縦横(じゅうおう)せり。
富樫: 寺僧(じそう)は錫杖(しゃくじょう)をたずさうるに、山伏修験(やまぶし しゅげん)の、金剛杖に五体を固むる謂れ(いわれ)は何と。
弁慶: 聞くもおろかや。金剛杖は、天竺壇特山(てんじく だんとくせん)の、神人(しんじん)、阿羅々(あらら)仙人の持ちたまいし、霊杖(れいじょう)にて、胎蔵、金剛の功徳(くどく)を籠めり。
釈尊(しゃくそん)、いまだ、矍曇沙禰(ぐどんしゃみ)と申せしおり、阿羅々仙に給仕して苦行したまい、やや功積もり、
仙人、その信力強勢(しんりき ごうせい)を感じ、矍曇沙禰を改め、照普比丘(しょうふ びく)と、名づけたり。
富樫: してまた修験に伝わりしは。
弁慶: 阿羅々仙より照普比丘へ伝わる金剛杖、かかる霊杖(れいじょう)なれば、わが宗祖(しゅうそ)役の小角(えんのしょうかく)、これを持って山野(さんや)を跋渉(ばっしょう)し、これより世々に、これを伝う(つとう)。
富樫: 仏門にありながら帯せし太刀は、ただ、もの脅さん料(りょう)なるや、まことに害せん料なるや。
弁慶: これぞ、案山子の弓矢(かかしの ゆみや)に似たれど、脅しに佩く(はく)の料ならず。
仏法、王法に害をなす、悪獣毒蛇は言うにおよばず。例わば、人間なればとて、世をさまたげ、仏法、王法に敵する悪徒は、一殺多生(いっせつたしょう)の理によって、ただちに、斬って捨つるべし。
富樫: 目にさえぎり、形あるものは、斬り給うべきが、もし無形(むぎょう)の陰鬼(いんき)陽魔(ようま)、仏法、王法に障碍(しょうげ)をなさば、
何をもって、斬り給うや。
弁慶: 無形の陰鬼、陽魔、亡霊は、九字真言(くじしんごん)を持って、これを切断(せったん)せんに、
何の難きことや、あらむ。
富樫: してまた、山伏の、いでたちは。
弁慶: すなわち、その身を 不動明王の尊形(そんぎょう)に象る(かたどる)なり。
富樫: 額に戴く、兜巾(ときん)は、いかに
弁慶: これぞ、五知(ごち)の宝冠にて、十二因縁(じゅうに いんねん)の、ひだを取って、これを戴く。
富樫: かけたる、袈裟は。
弁慶: 九会(くえ)曼荼羅(まんだら)の、柿の篠懸(すずかけ)。
富樫: 足にまといし、はばき は、いかに。
弁慶: 胎蔵黒色(たいぞう こくしき)の、はばきと、称す。
富樫: してまた、八つ(やつ)の草鞋(わらんず)は。
弁慶: 八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)を踏むの心なり。
富樫: いで入る、息は。
弁慶: 阿吽(あうん)の、二字。
富樫: そもそも、九字真言とは、いかなる儀にや。
ことのついでに、問い申さん。ささ、何と、何と。
弁慶: 九字の大事は、深秘(じんぴ)にして、語り難きことなれども、疑念をはらさん、そのために、説き聞かせ申すべし。
それ、九字真言と言っぱ、臨(りん)兵(びょう)闘(とう)者(しゃ)皆(かい)陣(じん)列(れつ)在(ざい)前(ぜん)の、九字なり。
まさに切らんと、なすときは、まず、正しく立って、歯を叩くこと、三十六度(さんじゅうりくど)。次に、右の大指をもって、四縦(しじゅう)をえがき、のちに、五横(ごおう)を書く。そのとき、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)と、呪するときは、
あらゆる五陰鬼(ごいんき)、煩悩鬼(ぼんのうき)、まった、悪魔、外道、死霊、生霊、たちどころに滅ぶること、霜に煮え湯を、注ぐがごとし。
げに、元本(がんぽん)の無明を斬るの、大利剣(だいりけん)。莫耶が剣(ばくやが つるぎ)も、なんぞ、如かん(しかん)。
まだこの上にも、修験の道、疑いあらば、尋ねに応じ、答え申さん。が、その道、広大、無量なり。
肝(きも)に彫り付け(えりつけ)、人にな語りそ。あなかしこ、あなかしこ。
大日本(だいにっぽん)の神祇(じんぎ)、諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)も照覧(しょうらん)あれ。百拝稽首(ひゃっぱい けいしゅ)、かしこみかしこみ、つつしんで申すと云々(うんぬん)、かくの通り。
唄: 関心してぞ、見えにける。
富樫: かかる尊き、客僧を しばしも、疑いしは 我があやまり。
今より、それがし、勧進の施主(せしゅ)につかん。
それ、布施物(ふせもつ)持て。
番卒: ははぁ
唄: 士卒が運ぶ、広台に 白綾袴(しらあや はかま)ひと重ね。
加賀絹(かがぎぬ)あまた、取りそろえ、御前へこそは、直しけれ。
富樫: ちかごろ、些少には候へども、それがしが功徳、なにとぞ、ご受納くださらば。
ひとえに、願い奉る。
弁慶: こは、ありがたの 大檀那(だいだんな)。
現当二世(げんとう にせ)安楽ぞ。何の疑いかあるべからず。
重ねて、申す事の候。なお我々は、近国を勧進し、卯月(うづき)半ばに、上るべし。
それまでは、かさ高の品々、お預け申す。
弁慶: さらばいずれも、おん通り候え。
四天王: 心得て候
弁慶: いでいで、急ぎ申すべし。
四天王: 心得申して候。
唄: こは嬉しやと、山伏も、しずしず立って、歩まれけり。
富樫: いかに、それなる強力(ごうりき)、止まれとこそ。
唄: すわや、我が君を、あやしむるは、一期(いちご)の浮沈(ふちん)ここなりと、
おのおの、後(あと)に、立ち帰る。
弁慶: あいや、しばらく。あわてて事を、仕損ずな。
弁慶: ここな、強力め、何とて、通りおらぬぞ。
富樫: それは、此方(こなた)より留め申した。
弁慶: それは、何とて、おん留め候ふぞ。
富樫: あの強力が、ちと、人に似たると、申す者の候うゆえに、さてこそ、ただいま留めたり。
弁慶: なに、人が人に似たるとは、珍しからぬ、仰せにこそ。
さて、誰に似て候ふぞ。
富樫: 判官殿(ほうがんどの)に似たると申す者の、候ふほどに、落居(らっきょ)の間、留め申した。
弁慶: なに、判官殿に、似たる、強力めは。一期(いちご)の思い出な。
腹立ちや、日高くは、能登の国まで、越さうずるわと、思いおるに、わずかな笈(おい)ひとつ、背負うて、
後へ下ればこそ、人も怪しむれ。
総じて、このほどより、判官殿よと、怪しめらるるは、おのれが業の、つたなき故なり。
思えば、にっくし。憎し、憎し。
いで物見せん。
唄: 金剛杖を、おっ取って、散々に、打擲(ちょうちゃく)す。
弁慶: 通れ。
唄: 通れとこそは、ののしりぬ。
富樫: いか様に、陳ずる(ちんずる)とも、通すこと、
番卒: まかりならぬ。
四天王: や、笈(おい)に目をかけ給ふは、盗人(とうじん)ぞな。
弁慶: こうれ。
唄: かたがたは、何ゆえに、かほど賎しき(いやしき)強力を、太刀刀(たち かたな)を抜き給ふは、
目垂れ顔の、振舞(か)。臆病の、至りかと。みな山伏は、打刀(うちかたな)抜きかけて。
勇みかかれる有様は、いかなる天魔(てんま)鬼神(おにかみ)も、恐れつべうぞ、見えにける。
唄: まだこの上も、おん疑い候はば、この強力、荷物の布施物(ふせもつ)もろともに、おあずけ申す。
いかようにも、究明あれ。
ただし、これにて、打ち殺し、見せ申さんや
富樫: いや、先達(せんだつ)の、荒けなし(あらけなし)。
弁慶: しからば、ただ今、おん疑いありしは いかに。
富樫: 士卒のものの 我への、訴え。
弁慶: おお、疑念晴らし(ぎねんばらし)、打ち殺し、見せ申さん。
富樫: いや、誤まりたもうな。番卒どもが、よしなきひが目より、判官殿にも、なき人を、疑えばこそ、かく折檻(せっかん)も、し給うなれ。
今は、疑い、晴れ申した。
とくとく、いざない、通られよ。
弁慶: 大檀那の、おおせなくんば、打ち殺して、捨てんずもの。命、冥加(みょうが)に、かないしやつ。
以後はきっと、つつしみおろう。
富樫: 我は、これより、なおも厳しく警護の役。
かたがた、来たれ。
番卒: ははぁ
唄: 士卒を、引き連れ、関守は、門の内へぞ、入りにける。
義経: さても、今日(こんにち)の機転、さらに、凡慮のおよぶべきところに、あらず。
とかくの是非を、あらそわずして、ただ、下人のごとく散々に、我を打って、助けしは、まさに、天の加護。
弓矢正八幡(ゆみや しょうはちまん)の神慮(しんりょ)と思えば かたじけのう、思ゆるぞ。
四天王王: この常陸坊(ひたちぼう)をはじめとして、従うものども、関守に、呼び止められし、そのときは、
ここぞ君の、おん大事、と思いしに、
四天王: まことに、源氏の氏神(うじしん)、正八幡(しょうはちまん)の、我が君を、守らせ給う、おんしるし。
陸奥下向(みちのく げこう)は、すみやかなるべし。
四天王: これまったく、武蔵坊の、智謀によらずんば、まぬがれ難し。
なかなかもって、我々が、およぶべきところに、あらず。
ほほぅ、
驚きいって候。
弁慶: それ、時は末世に及ぶと、いえども、日月(じつげつ)いまだ、地に落ちたまわず。
ご幸運、ははぁ、ありがたし、ありがたし。
計略(けいりゃく)とは申しながら、まさしき主君を、打擲(ちょうちゃく)、
天罰、空恐ろしく、千鈞(せんきん)も上ぐる、それがし、腕も、しびるるごとく、覚え候。
はあぁ、もったいなや、もったいなや。
唄: ついに泣かぬ、弁慶の、一期の涙ぞ、殊勝なる。
判官、おん手を、取り給い
義経: いかなればこそ、義経は、弓馬(きゅうば)の家に、生まれ来て、かくまで、武運つたなきぞ。
命は、兄、頼朝にたてまつり、屍(かばね)は、西海(さいかい)の波に、沈め、
弁慶: 山野海岸(さんや かいがん)に、起き伏し、明かす、武士(もものふ)の。
唄: 鎧(よろい)に、沿いし、袖枕(そでまくら)。片敷く隙(ひま)も、波の上。
ある時は、舟にうかび、風波(ふうは)に、身を任せ。
またある時は、山脊(さんせき)の、馬蹄(ばてい)も見えぬ、雪の中に、海少しある、夕波の、
立ちくる音や、須磨明石(すま あかし)。
とかく、三年の程(みとせのほど)も、なくなく、いたわしやと、しおれかかりし 鬼あざみ、露に霜おく、ばかりなり。
弁慶: とく、とく、退散。
唄: 互いに、袖を引きつれて、いざ立て給えの、折からに。
富樫: のうのう、客僧たち、しばし、しばし。
富樫: さても、それがし、あまりに、率爾(そつじ)を申せしゆえ、
粗酒(そしゅ)ひとつ進ぜんと、持参(じさん)せり。
いでいで、杯(さかずき)、まいらせん。
弁慶: あら、ありがたの、大檀那(だいだんな)。
ごちそう、頂戴つかまつる。
唄: げにげに、これも、心得たり。
人の情の盃を、受けて心をとどむとかや。
今は昔の 語り草。
あら恥ずかしの 我が心。一度まみえし女さえ、迷いの道の、関越えて、今また ここに 越えかぬる。
人目の関の、やるせなや。ああ 悟られぬこそ、浮世なれ。
唄: おもしろや、山水(やまみず)に。おもしろや山水に。
盃を 浮かべては、流(りゅう)に引かるる、曲水(きょくすい)の、手まず、さへぎる、袖ふれて、
いざや、舞を舞はうよ。
弁慶: 先達(せんだつ)、お酌に、まいって候。
富樫: 先達、ひと差し、おん舞い候へ。
弁慶: (唄)万歳ましませ 巌の上 万歳ましませ 巌の上。
亀は棲むなり。ありうどんどう。
唄: もとより弁慶は、三塔(さんとう)の、遊僧(ゆうそう)。
舞、延年(えんねん)の時の、若。
弁慶: (唄)これなる、山水(やまみず)の 落ちて、巌(いわお)に響くこそ。
唄: これなる、山水の 落ちて巌に 響くこそ。
鳴るは、瀧の水、鳴るは瀧の水。
唄: 日は照るとも、絶えず。とうたり。
とくとく立てや。
手束弓(たつかゆみ)の、心許すな。関守の人々。
暇(いとま)申して、さらばよ、とて。笈を、おっ取り。肩に打ち懸け。
虎の尾を踏み、毒蛇(どくじゃ)の口を、のがれたる、心地して、
陸奧(むつ)の国へぞ、下りける。
※単語をどこで切って読むかわかりにくいかと思ったので、かなり多めに句読点を入れてあります。
総ひらがな併記も考えましたが、読みにくそうな単語に()で読みがなを入れる程度にしました。
読み方がわからない単語があれば、ご質問ください。
=50音索引に戻る=
のところは
「にいぜき」でしょうか「しんせき」でしょうか