歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「逆櫓」さかろ(「ひらかな盛衰記」)

2013年01月08日 | 歌舞伎
「逆櫓」さかろ(「ひらかな盛衰記」)
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

「ひらかな盛衰記(ひらかな せいすいき)」の三段目の後半部分にあたります。
このタイトルは古典の「源平盛衰記」から取られており、
源氏と平家の戦の時代が舞台になっています。

源氏の一族である「木曽義仲(きそ よしなか)」が都に攻め入り、平家は都を捨てて九州、四国方面に逃げます。
うまいこと都を掌握した木曽義仲なのですが、態度がでかすぎるので嫌われ、また天下転覆の野心を疑われます。
同じ源氏である「源義経(みなもとの よしつね)」に攻められて、義仲は追われて逃げる途中で自害します。
という歴史上の出来事が題材になっています。

同じ作品の中の「源太勘當(げんた かんどう)」という幕も上演されます。
こちらの「逆櫓(さかろ)」のほうがストーリー上の本筋にあたると思うのですが、
サイドストーリーのはずの源太の物語のほうが有名です。

まず、「逆櫓」の幕までのお話をさくっと書きます。

義経に攻められて自害した木曽義仲ですが、
直前に妻の「山吹御前(やまぶき ごぜん)」と息子の「駒若丸(こまわかまる)」を逃がします。
お筆(おふで)という女性がお供につきます。

今は出ませんがお筆の実家の幕があります。動きのあるいい幕ですが、なくてもお話は通じます。割愛。

これもめったに出ませんが、「大津の宿」という場があります。

お筆さんと、その父親の鎌田隼人(かまだ はいと)が、山吹御前と駒若丸を連れて泊まっています。
となりにも男の子とその母親を連れた、初老の男が泊まっています。
子供は「駒若丸」とちょうど同じ年頃です。名前は「槌松(つちまつ)」くんと言います。

槌松くんの父親が3年前に死んだのです。お金もなく、りっぱな追善の法事もできないので、
せめて西国巡礼をして父親を弔おうと一家でやってきました。
となりの部屋どうし、子供もいることから仲良く話して同じ部屋で眠っていたのですが、
山吹御前を追って義経軍の家来がやってきました。みんなあわてて逃げます。
そのとき子供が入れ替わります。

山吹御前はつかまって殺され、守ろうとした鎌田隼人も死に、間違えて連れて来た槌松くんも殺されてしまいます。
生き残ったお筆さんは、死んだ子供が駒若丸じゃないことに気づきます。
うれしいやら申し訳ないやら。
とにかく、本物の駒若丸を探す旅に出ます。
ここで悲しみながら山吹御前の死骸を隠すために、重くて動かせないので笹の枝の上に死骸を乗せていっしょうけんめい引っぱる場面があります。
浄瑠璃の文句もよく、名場面です。

このあと「逆櫓(さかろ)」の段になります。

チナミに「逆櫓(さかろ」というのは、櫓(ろ)をこいで舟で進むのに、
特別なこぎかたをすると後ろに下がれるのです。
このこぎかたが「逆櫓」です。
船は普通は前にしか進めませんから、前後に自由に動ければ戦のときに圧倒的に有利です。


まず
「権四郎住処(ごんしろう すみか)」

と呼ばれる場面があります。

琵琶湖を渡る船頭の権四郎(ごんしろう)さんの家です。
大津の宿で子供取り違え事件で、駒若君を連れて逃げた一家ですよ。
その事件の翌月です。

権四郎の娘のおよしさんの前の夫は、3年前に死にました。今日はその命日です。
近所のひとがささやかな法事に招かれて世間話をしています。

ちかごろ、また新しく婿をとりました。
その婿のひとが今は権四郎の現役時代の名前「松右衛門(まつえもん)」を名乗っています。
働き者のいい男です。権四郎が教えた「逆櫓」の技術もすっかり習得しています。
前の夫との子である槌松くんもかわいがっています。

その槌松くんが、先月の旅行で入れ替わってしまったのですが、
その子(駒若丸)は元の子供の名前のまま「槌松」と呼ばれて、元気に暮らしています。
いつか本当の槌松が帰ってくる日もあるだろう、そのときにこっちも無事にお返しできるように、
みんなで槌松くん(駒若丸)を大事に育てています。
そんなことを、近所のひとに世間話の中で説明しています。

婿の松右衛門さんが、お殿様に呼ばれて出かけていたのですが、いま戻ってきました。
梶原さまに呼ばれていたのです。
梶原平三は源頼朝の腹心である大名たちのひとりですが、お芝居ではほとんどの場合悪役でイヤなやつに描かれます。今回もそうです。

この幕に梶原は出ないのですが、家老の番場忠太(ばんばのちゅうた)ともども、えらそうでしかも段取りが悪く、
異様に用心深い様子がセリフで語られます。
「とりわけのねんしゃ」とセリフで言っていると思いますが、「ねんしゃ(念者)」とは神経質で念入りなひとを言います。
同じ漢字の「念者(ねんじゃ)」とはまったく違う単語ですので注意が必要です。
お芝居で、もしも「ねんじゃ」と言っていたら、間違いです。

梶原は、義経に頼まれて「逆櫓」の技術を持っているものを探していたのです。
松右衛門が「逆櫓が立てられる(逆櫓を使って船があやつれる)」ということで、今回の戦で、大将の義経の御座船の船頭に決まりました。すごーい!!
お殿様の相手はいろいろ疲れましたが、これはすごい栄誉です。ご褒美ももらえそうです。よろこぶ一家。
夜になったら、近所の仲のいい船頭さんたちを集めて「逆櫓」を教えてみんなで練習する手はずです。
疲れたので奥の部屋でひと休みする松右衛門さん、息子の槌松くんも連れていきますよ。

そこに、お筆さんがやってきます。
槌松くんは西国巡礼の途中で入れ替わったので、巡礼のしるしである「笈蔓(おいづる)」を肩にかけていました。
「笈摺(おいずる)」というのは袖のない半てんみたいな簡易上着です。
そこに書かれた名前を手がかりにお筆さんはやってきましたよ。

本物の槌松を連れてきてくれたのかと喜ぶ権四郎とおよし。
しかし、槌松くんは、死んでしまっていますよ。
泣きわめく、母親のおよしに、あまり泣くなと権四郎が叱ります。泣いても子供は戻ってきません。
しかし、お筆さんが「そうそう、子供をこちらに戻してくださるのが何よりの(槌松くんへの)追善」とか勝手を言うので
権四郎さんがきれます。無神経だろ!!
そっちの子供も首にして返してやる、と怒り狂う権四郎です。
ここで、ふすまに貼ってある「大津絵」を見せて、
「槌松が旅で買って気に入っていたものだ。戻ってきたら見て喜ぶだろうと思って貼っておいたのに」というところが悲しいです。

さて、権四郎が槌松くん(駒若丸)を探して奥のふすまを開けると、
婿の松右衛門が子供を抱えて立っています。
松右衛門を見てなぜか驚くお筆なのですが、松右衛門がそっと合図してだまらせます。

殺すから子供をこっちに渡せ、という権四郎に、そこまでしないで子供を返してやろう、という松右衛門です。
しかし権四郎は承知しません。

しかたがない、と言って、松右衛門は、自分の正体を明かすことにします。

ここからが、非常に有名な「樋口の名乗り」の場面になります。
松右衛門は、正体を隠してこの家の婿になって船頭をしていました。
本当の名前は「樋口次郎兼光(ひぐちのじろう かねみつ)」です。死んだ木曽義仲がもっとも信頼していた勇猛無双の武将です。

というわけで、まず、戸口に行って周囲に人がいないのを確認し、
それから「権四郎、頭が高い」と一喝。
そのあと、名前を名乗ります。

これは、いちおう言うと、自分に対して「頭が高い」と言っているのではありません。
権四郎が殺そうとしている槌松くん(駒若丸)の父親は木曽義仲(きそ よしなか)です。
一時は「朝日将軍」と言われたくらい権勢をふるったひとです。
その若君ですから高貴な身分です。
駒若君にたいして「頭が高い(殺そうなどとはとんでもない)」と言っているのです。

いばりたいのではなく、駒若丸を確実に守るためにその権威を最大限に利用しようとしているセリフです。

ここの「頭が高い」を言うときの動きの段取りやセリフの抑揚、権四郎をにらみつける迫力、
にらみながら視線を動かして舞台を半周にらむという力の入った動き、などでこのお芝居は有名です。
江戸中期の名優、三代目中村歌右衛門が完成させた型なのですが、詳細は下に書きます。


以降セリフでの説明になるので少し詳しく書くと、

義経が木曽義仲を攻めたせいで義仲が死んだので、樋口は主君の敵をとるために義経に近づこうとしていました。
そのために「逆櫓」の技術を利用しようとして、権四郎一家の婿になったのです。
とはいえ、ただ利用していたのではなく、婿になったからには家族としてみんなにちゃんと愛情を持っていますよ。
死んだ槌松くんのことも本当の息子だと思ってかわいがっていました。
知らずに育てていたこの男の子が主君の駒若君だと知ったのは、今です。びっくりです。超偶然です。

そして、
槌松くんは自分にとって息子、武将である自分の子であるから、槌松くんも武士だと言います。
駒若君は、樋口にとって主君ですから、息子の槌松くんにとっても主君にあたります。
しかも偶然とはいえ、駒若君の代わりに死んだのは、つまり、「身代わり」です。
武士にとって、主君の身代わりにたつのは最高の忠義であり、栄誉です。こんなりっぱなことはありません。
かわいい槌松がこんなりっぱな働きができたのも、自分を婿=息子として受け入れてくれた親父殿、つまり権四郎のおかげだと言います。
権四郎のおかげで自分たちは家族になれたのです。

槌松くんはりっぱに身代わりで死んだのだ。ここは槌松くんの忠義に免じて、そしてまた、主君を殺すなどということはできないのだから、
どうか怒りをおさめて、駒若君を返してやってほしい、と頼みます。

権四郎は、
息子が侍であったのなら、自分も侍ということになるだろうか、と言います。
自分も侍であるなら、ここは聞き分けなくてはなるまい、と言って、駒若丸をお筆に返します。
侍である自分は誇らしい、うれしい。そのかわりに侍としてりっぱにふるまわなくてはならない。
そう自分に言い聞かせることで、かわいい孫が理不尽に死んだことへの怒りが暴走するのを抑えているのです。

駒若君を返してもらったお筆さんは、今後の対策のために旅立っていきます。
お筆さんが持ってきた槌松くんの「笈摺(おいずる)」は、槌松くんの形見ということになるのですが、
権四郎は必死に気丈に振舞おうとして、これを「ゴミだから捨ててしまえ」と言います。
しかし子供への情愛までなくさなくていい、思うように弔ってやるのがいい、という樋口の言葉に喜んで、
母親のおよしさんと一緒に涙ながらの回向(えこう)をします。


ここまでで、槌松くんと駒若丸についての話は一応終わり、
いつの間にか夜です。
近所の船頭仲間と「逆櫓」の練習をする時間になりました。近所の船頭さんたちが誘いにやってきます。

ここからが、いわゆる「逆櫓」の場面です。

海の中で「逆櫓」の練習です。体の小さい子役を使って「遠見(とおみ)」という演出を使うこともありますが、
役者さんがそのままやることもあります。

陸に上がろうとすると、仲間のはずの船頭さんたちが、急に殴りかかってきます。
松右衛門が樋口次郎だということは、もうバレていたのです。
梶原は全部わかっていて、「逆櫓」のテクニックだけ教わってそのまま樋口を殺すつもりでした。
驚く樋口ですが、強いので簡単に船頭たちを返り討ちにします。

しかし、梶原を筆頭に、樋口を攻める義経の軍勢は琵琶湖一帯を埋め尽くしています。
浜辺の松の大木に登ってこれをながめた樋口、あわてて家に戻りますが、
権四郎がいません。家の壁が一部壊れています。

壁に穴をあけて裏道から権四郎は逃げたのです。
なんと、「樋口はここにいる」と義経陣営に訴人(そにん)に(訴えに)行ったのです。
怒る樋口。

そこに、源氏の武将のひとりである「畠山庄司重忠(はたけやましょうじ しげただ)」がやってきます。権四郎もいます。
怒る樋口に権四郎が説明します。

自分が訴人しなくても、樋口がここにいることはもうバレている。実際取り囲まれているではないか。
樋口が追われるのはもう、しかたがない。しかし、樋口の子供であるこの槌松は実子ではない。
前の父親の子なので血のつながりはない。この子は許してやってほしい、
そう頼みに言ったのだと説明します。
そのために、たくさんいる武将たちの中で、いちばん人間ができていてやさしい、畠山さまに頼みに行ったのです。

江戸歌舞伎の中で「畠山庄司」さまと言えば、かならず主人公の味方をして物事をうまくおさめる「さばき役」で出てきますので、
覚えておくといいと思います。

ここで権四郎が言っている「槌松」くんは、もちろん、入れ替わって生きている駒若君です。
入れ替わっているという事実は伏せて、もとの槌松くんだと言い張って、身の安全を確保しに行ったのです。
権四郎の心遣いに無言で感謝する樋口、
だいたいの事情を察しているのに、槌松(駒若君)の助命を受け入れてくれた畠山さま。
その畠山さまに敬意を表して、樋口は自分から縄にかかるのでした。

いちおう言うと、ここでもセリフで言うのですが、
全段通して出した場合の序盤部分で、木曽義仲には天下を乗っ取ったりとかの野心はなかったことは判明しています。
つまり義仲の家臣だというだけで殺されることはありません。
義経の命を狙う気がないなら、一度は戦った相手ですが、今の義経には樋口を殺す理由はありません。
縄はかけるのですが、義経にも樋口を殺すつもりはないのです。
そんなかんじで全体に丸くおさまる展開です。

孫は死に、頼りにしていた婿はいなくなってしまいます。
さびしさをがまんして、権四郎はいつも唄う船頭の船歌で樋口を送ります。

おわりです。


・「名乗り」のところの型について

「中村歌右衛門」は、今は女形(おんながたと読む)の最大重鎮の名跡ですが、江戸期は立ち役、むしろ実悪が本役な名前でした。
江戸中期の「三代目歌右衛門」がまだ若くて売り出し中のとき、この「逆櫓」が出ました。
当時主役級だった「浅尾工左衛門」が権四郎をやりました。今は残っていない名跡です。
工左衛門は、まだ若くて演技もイマイチだった歌右衛門にイヤガラセをしました。よくある話です。
もともと「頭が高い」のセリフのところでは、権四郎は下手に座っている段取りなのです。
なのに、工左衛門は上手でいばって立っていました。樋口が「頭が高い」と言ってもあまりえらそうに見えません。
困った歌右衛門が、いろいろ工夫して考えたのが今の形です。

まず下手にある戸口に行って外に人がいないか確認し、そのまま後ろを向いたままでセリフを言い始めます。
権四郎のほうは見ません。
セリフを言いながら権四郎に背をむけたまま、後ろ向きにで二重(一段高くなっているところ)に上がり、
セリフを言い終わったらカっとにらみながら、そのままの表情で舞台を半周にらみ回して、やっと権四郎を見てにらみます。
気おされた権四郎はひょろひょろと下手に歩いていってぺったり座ってしまいました。

と言う段取りです。
三代目歌右衛門の出世作として語り伝えられています。

大きく時間をかけてにらむことで、上手に突っ立って存在感を主張している権四郎の存在感を上回ったのです。
同時に、下手から上手までをぐるっと「にらむ」ことで、客席全部が樋口の表情を見ることができます。
この「客席全体に見えるようにぐるっと見回してにらんだ」というのが、工夫の最高の部分なのです。
やはり長時間にらむことの目への負担は大きいらしく、
後にこの舞台が原因で歌右衛門は目を患ったという言い伝えがあります。


ところで、
木曽義仲と言えば、恋人の大力無双の美女「巴御前(ともえ ごぜん)」が有名ですが、
お芝居には義仲の奥さんが出てきますが、お芝居を全段読むとちゃんと恋人(妾)の巴御前も出てきます。
今は出ない序盤の部分で、奥さんと巴さんがふたりで仲良く義仲の心配をしていたりします。

そのあと巴は義仲と一緒に戦いながら逃げますが、義経軍に捕まります。
そして、
・平家は、帝と三種の神器を持って大陸に逃げるつもりだったこと。
・木曽はそれを阻止するために平家をだまして油断させようとし、わざと源氏内での仲間割れを装って暴れていたこと
などを説明し、
木曽に罪がないことがわかる
という作品内設定になっています。

このように作品内で「木曽義仲は悪いやつじゃない」という設定が描かれる場面があるので、
息子の駒若丸を助けようというストーリーの流れにも感情移入しやすくなります。
…この部分絶対出ないですけどね。

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1 コメント

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とても面白いです (saera)
2016-08-18 17:45:36
とても面白くわかりやすい解説で
ありがとうございます!
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