田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

ブラジルをかじる(5)

2007年12月29日 21時32分55秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
5.ブラジルとはどんな国なのか、その生い立ちから考える(1)

 私は想像しています。西暦1500年、ブラジルの南部海岸に上陸したポルトガルの航海士(P.A カブラル)の前に展開されていたブラジルの風景は、疑いもなくざわめく濃緑の森林、山々、大河、海、鳥獣の喧噪に満ちた大自然とともに、そこに居を結ぶつつましやかなネイテイブ達(インデイオ)によって構成されていた。先住の民はフルーツに小動物、河魚、そしてマンジョッカ(タロ芋)、薬草、野菜など汲めどもつきぬこの豊富なバイオ資源のもとで、原始的な共同社会を設営していたのであろう。あれから500年の星霜は、それまでの数万年厳粛なるたたずまいを見せていた大自然とそれと共存する先住民の居住環境を資源的欲望のための収奪の対象に変えた。この500年こそ総じて見れば西洋文明の乱入で自然と先住民文化が破壊され、西洋覇権の進捗として特徴づけられるのでありましょう。しかし、1500年代の凄惨な宗教改革と引き続く泥沼的な宗教戦争下のヨーロッパの混乱は、ブラジルには幸いにして持ち込まれることはなかったようです。イエズス会の布教活動とその拠点の増大によって、先住民に対する強圧と直接的収奪という、悲惨な苛斂誅求はスペインが中南米でやったようなひどい侵略に比べれば少なかったとブラジルの人はいいます。しかし、大航海時代を皮切りにする植民地主義(奴隷化)の本性まで失われたわけではなく、ブラジルでは幾代かの混血を重ねる内に現混血人種による、先住民狩りが繰り返され、特に人狩りをしたパウリスタ(ポルトガルと現地人の混成)軍隊や商人による奴隷貿易や多国籍移民労働によって、香料、貴金属、砂糖その他の資源が開発され外国に移動したと見られています。もちろん征服者は彼らなりの秩序を作り上げ、近代国家として法整備や産業基盤整備につとめたことはいうまでもないしスペインによって侵略されたペルー、メキシコに比して、凄惨な流血を見ることもなく、うまく植民地化されました。その意味では「模範」に擬せられているが、資源=自然の管理という一面で切ると、仕上げ的な収奪が19から20世紀に掛けて森林や河川に対して加えられます。自然に対する暴力(乱開発)のすさまじさは、サンパウロ、パラナなどの森林を見れば一目瞭然であります。

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