おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

先週のおべんと。10/21

2005-10-30 18:56:27 | おべんとう

10/21のおべんとう。
じゃこご飯。
ポテトサラダ、ウィンナー、パプリカ、玉ねぎの甘酢炒め、椎茸の甘辛煮、さつまいもレモン煮。
甘酢あんは酢:お砂糖3:2の甘酢にたいして少しケチャップを。甘酢の割合はケチャップの味にあわせて少し加減して酢を強めたり、砂糖を加えたりしながら加減した方がベター。

椎茸は母の実家で作っているものが毎年送られてくるのでそれを使用。
切らした時に市販のものも何度か試したけど、やっぱり実家から送られてくるものが一番だしがよく出るし、おいしいから好き。
うちの父はこれが大好物で、手巻き寿司の寿司ネタに椎茸がないとむくれちゃうくらい大好きだったり。


ところで椎茸ってどういう風に栽培されてるのかみたことある人、このブログを読んでる人に何人くらいいるんだろう…?皆さんどんな風に椎茸って育ってるのか御存知ですか?

うちの母の実家では椎茸は橡の木にドリルで穴を開けて椎茸の菌を入れたコマを打ち込み、自分ちの山のホダ場で自然栽培しています。
私も昔はドリルでじいちゃんが木に穴を開けたのに木槌でコマを打ち込んだり、地下足袋を履き、このリンクにあるような手作りの籠の背負子を背負って、じいちゃんばあちゃんと山に入って、椎茸の収穫の手伝いをしてました。小さかったので籠にからわれてる(背負われてる)様な感じになってたけど。

うちの母の実家の椎茸のホダ場は近くで湧き水が出てて、わさびが自生してるようなとこ。
じいちゃんちは湧き水が大量にあるので水道代はただ。お水は使いたい放題。
じいちゃん、湧き水利用して水槽作ってて、鯉がいました。
お客さんが来ると鯉を網で掬い上げてきて、捌くのはじいちゃんの仕事。
豪快に捌いて、お造りやら鯉こくやら贅沢に食べてたな。
夏は庭で採れたスイカやきゅうりやトマト、そしてサイダーの瓶は湧き水かけっぱなしで自然の冷蔵庫で冷やしてて、それがおやつだったし。
おやつにトマトときゅうりって…。年ごまかしてるでしょ?ってその話するとよく言われますよ(苦笑)
他にもとうもろこしだのかぼちゃだの…ばあちゃんの庭にはあらゆる作物が栽培されてて、買ってくるのは肉や魚くらいだったんです。
田んぼもあるから米も自家製、大豆育ててたから味噌や豆腐も自家製だったし。

で、椎茸を育てるために自分の家の山に橡の木がいっぱいあるので、自分の家の橡林に朝早くにいけばカブトムシやクワガタは面白いくらい採れる採れる。足でけったらぼとぼと落ちてくるし、根元を掘れば出てくるし。
山の上で寒いから形は小さかったけど、毎年大きな虫かご二つくらい分位飼ってましたよ。
皆に羨ましがられてたんだっけ。
あの頃、私は虫取りとや植物採集に夢中で、誕生日プレゼントに父や母にねだったものはカラーの植物図鑑や昆虫図鑑や虫かごや虫取り網。
夏休みの課題で植物採集をして、自分の手持ちの図鑑で調べても解らなくて、標本を持って、名付け会に持ち込んだら高山植物ばっかりだったという思い出も。
あとは遊びって言えば夏は川で魚釣って、その場で竈組んで焼いて食べて。
その川、水もきれいなところなのでプールじゃなくて川で泳いでたし。かなり水冷たかったけど。
山の上なので空気も澄んでてきれいで。星は降ってきそうなほどよく見えて。
だから私は文系だったけど理科はずっと得意でした。特に生物と化学は。
小学校4年のころの文集に将来の夢は「学者になりたい」って書いてましたよ。

とにかく長い休みになると休みの頭から終わりまで母の実家にいて、真っ黒に日焼けして、野山を駆け回って過ごす自然児で。およそ女の子らしい遊びをした覚えがございません。
たぶん今思い返すとすごく恵まれた子供時代だったのだと思います。

あぁ、そういえば虫で思い出したんだけど、先日、伊豆に行った時にバーベキュー場にカマキリがいたんです。
つまみだせばいいのに「触れない」という風なことを言うOくん。
怖いとかそういうのじゃないらしいんだけど、触るのがなんか嫌だったみたいで。
他の皆もそう。
私はその光景を見ていて、Oくんの足元にいて、今にも油断すると踏み潰されそうなカマキリが逆にかわいそうで、つまみ出して、外に逃がしてあげたんですよね。

そしたら
「ママはすごいね。強いね~」
と感心されて。
その前に私はあなたのママじゃないし(←同い年なんだからさ。ママはやめて頂戴・笑)、カマキリくらい触ってみようよ。手、洗えばいい話じゃん。全くもう…(苦笑)


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