おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

彼女にしたい女VS嫁にしたい女

2004-06-17 22:28:00 | 恋をしてみた
うう~ん。私の永久のテーマに誰か答えをください。

私の同級生の男の子にちょっと口の悪いというか考えなしなビックリ発言をする人がいるんですが(今もそれは全く変わらないので時々あきれてしまう)その彼が同窓会で私に発した言葉を…。

「こいつにずっと彼がいるのがどうしてか分からない」

ちょうど一緒に話していた当時の担任が青くなってすかさずフォロー。

「彼女にしたい女と嫁にしたい女は違うからねぇ~」

先生、フォローになっていませんから…。

先生が言ったことと同じ様なことをサークルの先輩にも言われたことがあってとても複雑な心境なのです。
私は嫁にしたい女だけど彼女にしたいと思う女ではないらしいので。
これは褒め言葉なのかけなされてるのか…。
でも逆に彼女にしたい女だけど嫁にしたい女ではないって言われたらこれはこれで悲しいですよね。婦女子の皆様。

皆さんの考えるいい女(いい男)の条件教えてくださいませ…。

☆追記☆
7/15 314さんのブログ@暇つぶしひつまぶしの押し倒したくなるあの子へTB
7/17d-popさんのブログ@ただそれだけの「おいおい」へTB

「愛し君へ」 その2~大学時代の恋~

2004-05-18 02:13:38 | 恋をしてみた
伊東美咲の台詞にこんなのがあった。
「もう27だよ。次に付き合う人は結婚する人かもしれないんだよ」と。
心がぎゅっとつかまれる言葉だった。

私ももうすぐ27歳。
結婚の約束をした人と別れてもう1年。
付き合い始めた記念日に結婚しようと約束していた。

今年の2月22日約束の日。
私は一人だった。
指輪を眺め、迎えに来るはずのない彼を待ち、
一人で泣いていた。
今まで誰にも言えなかった。

別れを切り出されたのもその日だった。
去年の同じ日だった。

「僕は君を幸せにすることができないから」
そうメールで彼は言った。
幸せにする自信のない男がなぜプロポーズなどするの?
「毎年記念日はどちらかが先に逝くまで一緒にお祝いする」
そういう約束だったじゃない。

ボロボロボロボロ涙があふれて止まらない。
でも涙がきっとどこかにこの黒い真っ黒い私の気持ちをどこかに運んで捨ててきてくれるだろう。
今までは悲しすぎて涙さえ流すことができなかった。
涙が出てくれたんだから、後は泣くだけ泣いて、恋のお墓を作ってあげたらいい。
そう思っているのだが、恋のお墓はなかなか完成しない。

私はいつも同じ言葉で恋が終わる
「君を幸せにできない」
大学時代に付き合っていた人にも同じことを言われた。
彼は中国に留学することが決まっていた。
留学する時に同じ言葉で別れを切り出された。
「嫌いになったわけじゃない。でも待たせておく自信もない」

悲しくて悲しくて1年がかりでお墓を作った。
お墓を作り終えた頃、彼は留学から帰ってきた。
時々国際電話をかけてきては「私だけだ」という話をしていた。
でもよくよく聞いてみたら向こうでも彼女を作っていた。
私はなんだったんだろう。
「私だけじゃなかったんだ」
私はまたお墓を作った。
今度は飛び出してこないように深く深く埋めた。
彼は卒業してすぐに中国人の彼女と結婚した。

その後に出会ったのが婚約していた彼。
彼との恋のお墓はもっともっと深く深く掘らないといけない。
私の気持ちが飛び出してきそうだから。

高校生の頃の恋

2004-05-15 00:23:53 | 恋をしてみた
これは恋っていうよりもこんな人になりたいなって憧れかな…。

私は中学を卒業して、地元の県立高校に進学しました。そして1年生のときの副担任の化学の先生に憧れてました。ていうか先生は女生徒を虜にしていました…。私以外にもそういう人たくさんいたはずです。ちょっとした進学校だったので、ベテランのおじさん先生、おばさん先生しかいない中にまだ新規採用で入って2年目の先生で、それだけでも目立ってました。今思えば。

2年生になって文系化学クラスで、また縁が出来るわけですが、本当に私たちは悪さばっかりしてました。確か15人くらいしかいなかったので、結構目が行き届いてました。

あっこちゃんとあきやんとあやちゃんと私。いつも4人で実験してるんですが、実験の時に使った薬剤を変な風に調合して煙を出したり、異臭を発生させたり。しばらく実験室に出入り禁止、実験の時テーブルに張り付いてましたね。でもあっこちゃんはいつも先生の目を盗んで何かしらやらかしてました。

3年の時は私達の2年の時の担任の先生に手紙を書くから、「お前たちも何か書くか?」といって持ってきた葉書にほんとにすごいちっちゃなスペースしか残さずに書いてごめんなさい。

ああ、好きだったのかなと意識したのは3年生になってからです。私は指定校推薦枠で大学に進学することが決まっていたのですが、担任に「クラスの士気が落ちるから」と合格が決まったことを黙っていなければなりませんでした。ちょうどセンター試験対策で毎日1問ずつ課題ノートを出さなくてはいけない宿題があって、先生と私しか見ないからと先生に相談を持ちかけました。友達にも言えず、公の場所では話せないことを交換日記もどきで話してました。先生も忙しかったでしょうにいつもいつも私の相手を丁寧に、親身になってやってくださいました。今でもそのノートは大切に持っています。

私が卒業した後すぐに先生は次の高校に異動になったのですが、ご家庭の事情で神戸へいかれました。先生から先生を辞めたと葉書をもらった日、私はショックで3日ご飯が食べれませんでした。

今でも先生とは年賀状のやり取りがあります。今ではかわいい娘さんのパパです。相変わらずきれいな先生の字を見ると、あの頃の甘酸っぱい思い出がよみがえります。

中学生の頃の恋

2004-05-14 23:50:14 | 恋をしてみた
まだ甘酸っぱさが口の中に残っているので…。今度は中学の時の話を。

中学の頃好きだったのはこれまた同じクラスの野球部の男の子。

よく試合を見に行ってました。白いユニホームがとってもまぶしい人でした。私はバドミントン部だったのですが、体育館が毎日使えるわけではないので、学校の外周を走るとか筋トレの日の方が体育館での練習の日よりも楽しみでした。おかげで運動はからっきしだめな私ですが、長距離は速かったです。ロードレース大会だけが見せ場でした。跳び箱は3段しか飛べないし、高飛びはベリーロールが出来なくて激突するし。ボールなんかもたせたらもう大変。特にバレーはトスが上げられません。アンダーでもうまく返せないし…。今日の女子バレーなんか見てるとホントすごいと思ってしまいます。

彼にはちゃんと告白しましたよ。定番の修学旅行で。振られちゃいましたけど。彼は今歯科医師です。お家が街の開業医さんの息子さんだったので…。きっと立派になっているはず。いつか地元で会うことがあるかもしれないです…。惜しかった…と思わせる人にならなきゃ。

初恋の話

2004-05-14 23:17:51 | 恋をしてみた
もう15年は前の話ですね。
私の初恋は小学校6年生の時。結構遅いほうだと思います。同じクラスの男の子でした。彼は頭がよくって、スポーツが出来て、すごく溌剌とした人でした。と同時に私のライバルでもあったのです。

結局言えないまま終わった恋。今はどうしているのかな…。大学時代の知り合いが彼と高校の同級生で、一橋大学に進学したこと、公認会計士を目指しているらしいこと聞きました。彼は夢を叶えたのかな。

私と彼と洋一郎君と広一郎君。4人でいつも成績を争ってました。先生が算数や漢字ドリル、あと縄跳びの難しい技が出来たり、校庭を朝走った分をシール貼ってくれるんです。負けず嫌いなので「シールの数」で負けたくなくて、一学期のドリルを4月に終わらせるという偉業を4人で成し遂げました。先生もさすがに4月いっぱいで終わらせるとは思っていなかったらしく、2回目は間違わずにやることを目標にやってました。

洋一郎君は地元の中学に進学したけれど、私は国立、広一郎君と彼は地元の私立中に進学しました。広一郎君とはその後高校で再会しました。洋一郎君は今は歯科医、広一郎君はたぶんどこかで研修医をしていると聞いてます。分からないのは彼の消息だけ。

きっと素敵な人になっているでしょう。またいつかどこかであった時思いっきり幸せそうな顔して笑っていたい。これもささやかな夢。

甘酸っぱいハーブティーを飲んでいて、思わず書いてしまいました…。

雨音

2004-05-14 00:31:02 | 恋をしてみた
雨音が聞こえるとなぜか不安になる。私だけだろうか。

こんな時誰かがそばにいてくれたらと心からそう思う。話を聞いてくれる人がいたら…。

私には婚約者がいた。でも…。

一昨年の夏、私は過労と心労がたたって「不眠症」になった。私は薬に過敏体質で処方された薬がどれもあわず、結局会社も休職して心身ともにボロボロになってしばらく実家に帰って療養していた。彼とはその間にだめになった。理由は言葉の行き違いと彼の家族の「病気に対する偏見」だった。今では「心が風邪をひいた」「誰でもなる可能性がある」と認知されている。でも実際の社会での風当たりはまだ厳しいのが現実だ。

私は彼からもらった婚約指輪とネックレスをまだ処分できていない。友人たちには「そんなものさっさと売ってしまえ」と言われたが、心の整理がつかなくてまだなおしてある。連絡は取っていないが、彼の携帯電話の番号もメールのアドレスも私の携帯のメモリーからまだ外れてはいない。

丸4年付き合って「これからどちらかが先に逝くまで一生すべての行事を一緒に祝おう」とクリスマスにプロポーズされたときはうれしかった。上司にはきちんと結納をして、結婚式の日取りが決まってから報告しようと思って、仲の良かった同期以外には話していなかった。

指輪はセミオーダーで作った。彼に「もう少し大きなダイヤにしていいよ」と言われたが、手が小さい私には大きすぎるくらいだった。私は彼の気持ちだけで十分だった。彼は私が遠慮して小さなダイヤを選んだのだろうと思っていて、「あんまり小さすぎると俺の稼ぎが少ないと思われるから」と変な見栄を張って、小さなダイヤの一つ石のネックレスも一緒に作ってくれた。まだ会社に報告していなかったからあからさまに指輪をつけて行けなくて、いつも朝はめて電車に乗るのだけれど、会社のある駅に着いたらはずして、鞄にしまい、また帰りはつけて帰った。どんなに疲れていても指輪を眺めていると不思議と疲れがとれた気がしていた。彼がいつもそばにいるような気がして…。

でももう彼は私のそばにいてくれない。彼が最後に私に言った言葉もまだ忘れられない。もう1年以上たつのに…。いつになったらこの傷は癒されるのだろう。私はまた誰かを好きになれるのだろうか…。「時が癒してくれる」その言葉を信じて、ただ今はじっとその時を待っている。