鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

鎌倉の刀工 助真 山ノ内

2021-05-17 21:40:34 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

鎌倉時代の刀工助真は、余りにも伝承が錯綜して実体が不明である。

鎌倉一文字と呼ばれている。

備前一文字の流れで鎌倉に鍛冶場を設けた一人である。

その後、鎌倉に相州伝なる作刀技術が発生し、正宗や貞宗などが知られているも、その相州伝鍛冶とは作風が異なる。

即ち直接の関係はない。

決して相州伝の創始に関わる鍛冶の一人ではない。

助真は奥州から来た鍛冶とも、三浦の沼間にいた鍛冶ともいわれるが、いずれも不詳。

さらにこれらの伝承から生じた創作が加わっているようだ。

北鎌倉から徒歩で数分の住宅地の中に、助真ゆかりの地があると言われている。

助真が冠していた「藤源次」がそのまま残る地名があり、ここ藤源次が助真の鍛冶場があった所だというのである。

ちょうど北鎌倉女子学園の下辺り。

住宅が密集していて、鍛冶場跡などあるのかないのかまったく分からない。

この近辺も、山際が掘削されて急な斜面(切岸)とされている。

所々で紹介しているように、ここにも小さな祠がある。

急な石段が設けられていて、斜面の一部が平場とされ、白山大権現が祀られている。

刀鍛冶が信仰したのは金屋子神社。

白山大権現社は助真とは関りがなさそうだ。