日本語題「ブエノスアイレス」。
香港から見て、地球の反対側、ブエノスアイレスで起こる、ゲイのカップルの憎愛劇。
何かを捨てることができる、世界の果て。
圧倒的な迫力で流れ落ちるイグアスの滝。
バックに流れるアルゼンチン・タンゴ。
悲しくせつない愛の形、それは男同士であっても、男女であっても同じで、地球の反対側でも、自分たちの立っているところでも変わりない。
この作品の舞台が、なぜブエノスアイレスだったのか。
いままで香港を撮り続けてきた王家衛(ウォン・カーウァイ)監督が、地球上でまったく正反対の場所に位置するところを撮り、香港をさかさまの映像でしか表さず、いままで撮り続けてきた男女の問題ではなく、男同士の恋愛を描き、地球の反対側の現実(ブエノスアイレス、世界の果ての岬)から、台湾(イラ・フォルモサというスペイン語で麗しの島、宝島という意味をもつ島)に主人公を降り立たせた。
そして公開された年は、香港がイギリスから中国に返還される1997年。
この作品以降、王家衛は今現在の香港の姿を作品のメインの舞台にしていない。「花様年華」では60年代を、そして「2046」では近未来を舞台にしている。
それを知っていたので、よけいに最初と最後のあたりで流れる、さかさまになった香港の映像に深い意味を考えてしまった。
そんなことを考えずとも、いい映画。
映像、音楽、すべてよし。
ただ、気になるのは、行き当たりばったり的に撮ったため、都合7つの結末ができあがっていたということ。「ブエノスアイレス摂氏零度」というこの作品の別の人間ドラマを描いた作品があるんだけど、こっちも非常に気になる。
本作には男しかでてこなかったけど、7つのうちのいくつかには、女もでているらしい。
近い将来、僕がもし、イグアスの滝に行くことができ、世界の果てにもいけるのだとしたら、いったい誰と行き、なにを捨ててくるんだろう。
香港から見て、地球の反対側、ブエノスアイレスで起こる、ゲイのカップルの憎愛劇。
何かを捨てることができる、世界の果て。
圧倒的な迫力で流れ落ちるイグアスの滝。
バックに流れるアルゼンチン・タンゴ。
悲しくせつない愛の形、それは男同士であっても、男女であっても同じで、地球の反対側でも、自分たちの立っているところでも変わりない。
この作品の舞台が、なぜブエノスアイレスだったのか。
いままで香港を撮り続けてきた王家衛(ウォン・カーウァイ)監督が、地球上でまったく正反対の場所に位置するところを撮り、香港をさかさまの映像でしか表さず、いままで撮り続けてきた男女の問題ではなく、男同士の恋愛を描き、地球の反対側の現実(ブエノスアイレス、世界の果ての岬)から、台湾(イラ・フォルモサというスペイン語で麗しの島、宝島という意味をもつ島)に主人公を降り立たせた。
そして公開された年は、香港がイギリスから中国に返還される1997年。
この作品以降、王家衛は今現在の香港の姿を作品のメインの舞台にしていない。「花様年華」では60年代を、そして「2046」では近未来を舞台にしている。
それを知っていたので、よけいに最初と最後のあたりで流れる、さかさまになった香港の映像に深い意味を考えてしまった。
そんなことを考えずとも、いい映画。
映像、音楽、すべてよし。
ただ、気になるのは、行き当たりばったり的に撮ったため、都合7つの結末ができあがっていたということ。「ブエノスアイレス摂氏零度」というこの作品の別の人間ドラマを描いた作品があるんだけど、こっちも非常に気になる。
本作には男しかでてこなかったけど、7つのうちのいくつかには、女もでているらしい。
近い将来、僕がもし、イグアスの滝に行くことができ、世界の果てにもいけるのだとしたら、いったい誰と行き、なにを捨ててくるんだろう。
かれも旅中毒
ありがとうございます。
一度覗いてみます!