上野の国立科学博物館で行なわれている「大ロボット博」に行ってきた。
雨の休日、東京の空。
昨日の洗濯物がまだ乾いていない。
なんだかやる気のおきない、週末だ。
数日前に旅に出る前にいた会社の同僚が仕事で上京してくると連絡があった。
数年ぶりの再会。
僕も東京観光をほとんどしたことがないため、一緒にどこかに行こうかと考えていたら、メールが入り「大ロボット博」に行こうと言われた。
?
上野の国立科学博物館で行われているらしい。
ロボット…。
インターネットで調べてみると、HONDAのASIMOなどの最新ロボットから、江戸時代のからくり人形まで、いろんなロボットが展示されているらしい。
友人の知り合いがそのイベントの関係者ということもあり、関係者入口から場ができるそうだ。
ロハですか?と尋ねると、イエスとのお答え。
行きます、行きます。
そんなん大好き。ロハ、大好き。
というわけで、上野で待ち合わせ。小雨降るなか、国立科学博物館へ。
すると、信じられないほどの人がすでに会場の外まで列をつくっていた。
え?そんなに人気なの、このイベント?とちょっと意外。理系離れと言われて久しいこの日本だが、ロボット人気は関係なく高そうだ。
いやぁ大盛況ですねぇなんてスタッフの方に言うと、この調子だと午後からはおそらくもっと混むかもしれないです、なんてお返事。
ガンダムやマジンガーZなどのロボアニメ系の展示もあるので、秋葉原にいるような方が多いのかと思いきや、これまた意外にも、家族連れ圧倒的多し。雨の週末、家族サービスは子どもの教育も考えての博物館なのか? それとも父親が楽しむために付き合わされているのか?
いままでロボットについてなんてあまり考えたことがない。
一般家庭で犬型ロボットが飼えますなんて報道もとくに興味がなかった。いままであまり公にしてこなかったが、正直言うと、ガンダム世代ど真ん中なのに、ガンダムをまったく見たことがない。マジンガーZとかかろうじて知ってるくらい。サンバルカンなどの戦隊ものだって、最後のロボットが戦うシーンは退屈していた。
ロボットなんて僕の生活には無縁だと思っていた。
が!
入場していきなり目の前に広がるアニメの世界のロボットたち。
ガンダムのモビルスーツのプラモデルが百体近く、さらに上記のようなロボットがショーケースのなかに並んでいた。
なんという迫力。70年代80年代の少年心を思いきり揺さぶられる感じがした。
ロボットという現実ではありえない存在が、模型という範疇を出てはいないものの、圧倒的迫力で目の前に勢ぞろいしている。
ガンダムの横には、マクロスだ、ザブングルだ、ゴールドライタンだの、80年代ロボットのフィギュアが陳列してあった。
あ、これ知ってる!とつい声を大きく、友人に言うものの、友人は豪州人。知ってるわけもなく、ふーんと一蹴。
ロボット音痴の僕でもテンションが高くなりながら通路を進む。
次に出てきたのは、本物の動くロボットたち。
SONYなどの有名企業がつくっているロボットたち。なんかいくつかは愛知万博でも見かけたような気がする。
楽器を弾けるとか、走れる、掃除しますなどなど。へぇロボットって、もうこんなにも実用化に向けて動き始めているのね、とかなり感心。
掃除用ロボットの並びに、なぜかマジンガーの姿も。
ロケットパンチをかっこよく飛ばしているが、かっこいいものの、やはり違和感。マジンガーはパイロットが飛行機に乗って、頭の部分にマジンガーを操るのです。ロボットの頭脳は、やはり人間であるべきだ、と、永井豪大先生のコメントがついていたが、やはり違和感。
まだマンガの世界で万能なロボットを見せられるよりも、リアル社会で活躍する不完全なロボットのほうがわくわくしてしまう。
こんなんとか。
HONDAのASIMO。
これを見るのに、1時間待ち。
さらに進むと、江戸時代から明治時代にかけて作られた(もしくは復元した)日本のからくり人形が展示されていた。
プラスチックもコンピュータもなかった当時、ぜんまいなど機動だけで動き人々を楽しませた人形たち。有名なお茶運び人形などは、江戸時代初期からもう完成していたという。なんかすごい。そりゃ、当時からくり人形を目にすることができたのは、一部の人だけだろうけど、その時代にこれだけのものが完成していたってのがすごいことじゃないか。
…
…
?
と、なんか予想外の感動をしてしまったロボット展なのだが、ふと思い出してみると、なんか自分が過剰なまでに感動してしまっていたのではと思った。
純粋にロボットを見ていることは楽しかったのだが、なんなんだ、この感じは。
たとえば、からくり人形。
いまから400年も前に完成していたのは、そりゃすごいことに違いないのだが、はたして本当に「すごいこと」なのか?
ちなみに、1600年ごろというと、ヨーロッパではレオナルドダビンチもとっくに死んでしまっている頃で、イギリスが東インド会社を立ち上げていたり、オランダが独立宣言、シェークスピアのハムレットの初演、明と後の清となる女真族が戦っていたりと、まあそんな感じ。日本じゃ、天下分け目の関が原だ。
どうなんだろう。なんか微妙なラインではあるが、ヨーロッパのほうでもからくり人形くらいのなにかは発明されていてもおかしくはない気がする。中国とかはもっとなんかありそう。その1000年くらい前に、諸葛孔明とかがひょっとしたらなんか発明していてもおかしくはない匂いがぷんぷんするし。
あくまでも、これは、僕の歴史に関する理解の浅さゆえに、「400年イコール大昔」→「昔に発明されたものの精巧さに驚いている自分」ということに、感動しているだけなのではないだろうか。
そして、現代のロボットについても。
楽器を弾けるとか、走れるとか、それって、まぁそりゃすごいことだろうけど、なんか余り前っちゃあ当たり前の動きができたにすぎない。
顔の表情のロボットがあったが、やはり本物の生命にたどりつくまではまだまだはるか遠い道のりという気がした。観客の大勢が、わっ気持ち悪いなんて反応してたし。
老人介護などで使われているという、アザラシのふわふわぬいぐるみをかぶったロボットは、ひげのセンサーをさわったり、なでたりすると、甘えたような声を出し、叩くと哀しそうな声を出す。たしかにかわいいロボットではあるのだが、それって、反応がかわいいのではなくて、あくまでも外見のぬいぐるみについての反応だ。それが動くからかわいいと思うだけだ。だったら、生き物でいいじゃないの? え?世話が大変? それすらも厭うようになる人間って、どうよ?
今実用化されているロボットというのは、やはりまだまだ不完全なところも多く、その機能のみで考えると、やはりイマイチといわざるを得ない。開発者の方は、寝る間も惜しんで作っておられるのであろうが。でも、こういう過程があって、完成形への一歩となるのだから、仕方ないといえば仕方ないのは理解しているのだが。
つまり、これは前述のからくり人形と同じように、ロボットはまだまだ未開発のもので、なんにもできるわけがないという頭の中の前提があって、そのフィルターを通して見てしまっているものだから、走ったり、物を取ったりするだけで興奮してしまうのだ。そんなん、犬だってできるわ。
僕は、ロボットにそんなに期待しているほうではないのだが、やはり目標はドラえもんだとかアトムとか言っているのであれば、それは人間をつくるという行為に近いわけであるし、であるならば、今のロボットはまだまだ生後数か月の赤ちゃんにすぎないということをしっかりと頭の中にたたきこみ、ロボット開発から数十年でようやくここまでしかこれていないのであれば、ちゃんとした人間のようなロボットが生まれるのは、ぜったい僕の生きている間はないだろうなと思った。
それよりも、僕は、装備するだけで数十キロの物も持ち上げられるアーマードスーツのような開発のほうがより実用的であると思った。介護の現場でも、そういうロボットを使えば働いている人の負担を軽減できると思うし。
同じ介護の現場でロボットの力で人間の負担を軽減するのであれば、そういった肉体的負担にするべきで、アザラシのぬいぐるみを置いておけばボケジジイ&ババアの相手はしなくてもいいなんて考えは、間違った方向に進んでいると思う。
ロボットはあくまでも人間のサポートに徹すべきであり、ロボットがいるから人間がいらないなんて発想、これ、ヤバいぜ。