放浪日記

関西に腰をおろして7年目。いまはどこにも行けないけれど、いつか訪れるそのタイミングにに向かって。

京都から大阪へ

2021年03月24日 | 大阪編集精進道

こんにちは。ご無沙汰しております。

なんて挨拶から始まるブログ記事を書いたのは7年ほど前。
時間というものはあっという間に過ぎ去りますな。まさに光陰矢の如し。

さて、ご報告です。
この度、京都の編集プロダクションで働く日々から離れ、転職をすることにしました。
4社目です。
まさか自分の人生がこれほど仕事を変えるとは思ってもみなかったけれど、そういうことになっちゃったんだから仕方がない。
勤務地は大阪です。

4月下旬まで現在の会社に勤め、その後、このご時勢ではありますが、ちょっとだけ妻を放置して旅人に戻り、連休明けから新しい仕事に就く予定です。

転職なんて、本当にタイミングでしかないんだけど、自分でも驚くくらいのスピードで決めてしまいました。
この一年、コロナ禍で自宅勤務になって、誰とも会わない、話さないのが当たり前になっていて、少しだけ自分と向き合う時間が増えたのがきっかけだったのかもしれません。
40代も半ばに差し掛かり、これからの人生を考えてみたときに、もう少しだけこの業界で編集者として働いていきたいと思ったんです。

と言っても、別に今の仕事に不満があって辞めるわけではなく。
仕事は任せていただいている部分が多く、極端な表現をすれば、自分の好き勝手にやらせていただいているような、申し分ない環境でした。京都にまつわるいろいろな人に出会え、現場を見ることができ、観光客の立場では足を踏み入れることのできないエリアを覗いたりと、京都での7年間は本当に楽しい日々でした。
そして、時間も自分で比較的自由に調整することができたので、会社員という立場でありながら、さまざまなところを旅することができました。

ただ、年齢を重ねてきた中で、現場の空気感と自分との温度差というか、雰囲気の乖離を感じることが多くなったのも事実。正直、これが今回の離職の大きな理由の一つです。
自分は編集者という立場で、企画をたてて、ライターやカメラマンに仕事を依頼して、頭の中のアイデアを形にしていく仕事がほとんどでした。
京都に来ることになり、編集プロダクションという言わば下請けの立場に変わり、発注する側から仕事をいただく側に変わったことで、仕事との向き合い方が大きく変わりました。もちろん、そんなことは覚悟の上での上洛だったわけです。
かつて自分が編集者だった時期は、一緒に仕事をするメンバーは、やはり気心の知れた人を選ぶことが多く、必然的に同年代が多くなってきました。おそらく僕がまだ東京にいて、会社は変われども、何かしらの媒体をつくっていたのであれば、前職などで得た人脈を活用してものづくりをしていたのだと思います。
そして、これからも何か手が足りないときがあれば、これまでの知り合いにまず声をかけると思います。
僕はこういう考えなのですが、まあ、多分ほかの人も同じ考えなんだと思ってるんですね。
そんな中で、仕事の発注元である編集の方々と、僕の年齢が年々離れていっていることに気づいたのは四十路になるかならないかの頃でした。
おそらく、出版社で働いていたら、40代ともなれば管理職になって現場仕事に出ることは少なくなるのでしょう。現場に出るのは、まだフットワークも軽く、頭の柔軟な若い人たちのほうがいい。
ライターとして現場に赴く度に、編集が若い人だった場合、こんなオッサンがライターで来るよりは、同年代の人のほうがいいに決まっている。これはかなり僕の偏見ですが、僕が編集者だったらそう感じるだろうと思うと、なんかもう取材に出ていく感じではないのかもしれない…とも思っちゃったんですね。
ライターとして、現場で直接いろいろな人に出会えるのは、本当に勉強になるし、楽しいし、ずっと続けていけるだけの仕事でもあると思うんです。でも、やはりちょっとでも仕事に対する姿勢に疑問を持ってしまったら、その隙間から水が滲み始めるように、徐々に新しい世界への興味が出てきました。
そしてもちろん、給料のことも。正直、紙やWeb媒体を中心とする業界でライターをしているとガッチガチに稼いでいくって結構厳しいと思うんです。業界そのものが斜陽ですし。


そんなことを自宅勤務をしながら、ランニングをしながら、もやもやと考えている中、まあひょんなことから次の仕事を知り、まったく新しい世界に飛び込んでみるのもいいかもしれないと思ったわけです。
いい刺激になるのか、悪しき選択になるのか、それは分かるわけもないので、今はただ次に向かって進んでいくことだけだなと考えています。

かつて僕が旅人だった頃、たまーにブログに「前へ!前へ!前へ!」と書いていました。
これは、中華人民共和国の国歌「義勇軍進行曲」の歌詞の一部(前進!前進!進!)をまねたもの。
今いるところから一歩進む、その積み重ねが旅になるのではないかということを考えてたわけですが、2021年になってもその気持ちは変わらず。
まだ旅の途上なのかもしれません。


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カウントダウン

2021年02月16日 | 京都編集邁進道
新しい旅に向けて、それはもう動き始めている…。


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スリランカ酔夢行(14)さらばスリランカ

2021年01月21日 | スリランカ2019
かなーーり長引いてしまったスリランカ旅行記もこれで最後。
ダラダラと失礼しました。



街を歩いていると、喧騒を耳にした。
近づいていくと、



祭り、だった。
あまりにも巨大な山車。道を埋め尽くすほどの人。

この感じ、キャンディで見たペラヘラ祭とは趣が違う。
どちらかというとインドで見たような感じ…。


どうやら南インドにルーツを持つタミル人のイベントのようだった。


山車の前には鳴り物が。
否が応でも盛り上がってしまう。



道端にはお供物などが。
何の祭りかはわからないが、道端にいるのは全員タミル系っぽい。
おじさん(お兄ちゃん)たちは、仕事そっちのけで祭り見物。


旅先で予期せぬ祭りに出合うのは、本当に嬉しい。
この祭りの目的も何もわからなかったけれど、みんな浮かれている感じが、平和的でよろしい。

スリランカに降り立って、ペラヘラに始まり、タミルの祭りで締めくくることができた。
ライオンの島や光り輝く島という名を持つこの国。
観光地を早足で巡ってしまったが、今度訪れることがあればもっとゆっくり、海でも眺めながら過ごしてみたい。





コロンボのバンダラナイケ国際空港。
出国前の最後の一枚。
空港内の出国カウンター以降には、お土産店もかなりあったので、余ったルピーはここで消費。もちろんお値段はエアポートプライス。







復路ももちろんバンコク経由。
ドンムアン空港に着いて、行きと同じくアマリ・エアポート・ホテルにチェックイン。
なんとなくムーガタを食べたくなってしまったので、ホテルの人に聞いて、タクシーで近くのムーガタまで。




肉・野菜・炭水化物などすべてのものが食べ放題で250バーツ。
ビールは別料金だが、どんどん飲んじゃう。
暑さの中、ビールの中に入れた氷がものすごいスピードで溶けるのを眺めながら、旅の最後の夜が過ぎていった。



(スリランカ酔夢行 完)
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スリランカ酔夢行(13)コロンボ 町歩き

2021年01月20日 | スリランカ2019
アフタヌーンティーの後は、お土産ショッピングへ。
嫁さんと旅するようになってから、この時間が必要になってしまった。
各店舗の写真はなかなか撮れないので、町歩きの画像でお茶を濁す。



やたら象が並ぶ。
そういえば、スリランカは象がいる。
象に乗ってシーギリヤロック詣もできるようだった。
嫁さんに「一度乗ってみたら」と言うと、まったく興味がないと断られた。
「象の毛って、針金みたいに硬いよ」と言っても、特に興味を示さなかった。





旅先では、ポストを撮りがち。







線路も、撮りがち。







よくわからない寺も撮りがち。
仏塔が大切にされているのを見ると落ち着くのは、僕は仏教徒だからだろう。






見返すと、どこかわからない写真も撮りがち。






コロンボの下町に建つ、ジャミ・ウル・アルファ・モスク。
モスクは、美しい。
異教徒でも入れそうだったが、酒を飲んでいたので諦めた。






国営紅茶局のショップ。
目移りするくらいの銘柄が並んでいて、お値段もピンキリ。
まさにお土産ショッピングに最適。





街角のココナツ売り。
1個80円くらいで、その場で飲めるように切ってくれる。
ストローを入れてチュウチュウと飲んでみたが、やはり南国では常温のドリンクってそこまでおいしく感じないよね。

それにしても、この人、どこにでもいるようなオッサンなのに、けっこう流暢な英語を話していた。
ダンブッラのトゥクトゥクドライバーも、コロンボのUberのドライバーも、酒場で働くスタッフも、道を尋ねたビル警備員も、そういえば彼らと英語で会話していたけれど、完全に意思疎通がはかれていた。スリランカの人たちの英語のレベルって高いと思う。隣国インドでは、町で話しかけたって誰でも会話できない。


スリランカは仏教国なので、日本ほどではないが、酒はいたるところで売っている。
飲酒はあまり褒められた行為ではないようで、地元の人おおっぴらに飲んでいる人はいない。けれど、飲んでいても怒られることはない。
外国人だから、と言い訳をしながら、ほろ酔いで街を歩く、この楽しさよ。


(つづく)

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2020年私的映画ランキング

2021年01月09日 | 電影

毎年年始恒例の記事です。
昨年観た映画をまとめてみました。

題名の後ろに★が付いているのは、映画館で観賞したもの。



「チョコレート・ファイター」
「男はつらいよ お帰り寅さん」★
「無宿」
「単騎、千里を走る。」
「キリング・フィールド」
「あなたへ」
「来る」
「ヒトラー暗殺、13分の誤算」
「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」
「君の名は。」
「シコふんじゃった。」
「プラトーン」
「エリジウム」
「アルナとその好物」
「ジュマンジ」
「天使にラブソングを」
「イップ・マン 継承」
「シックス・センス」
「パシフィック・リム」★
「ブンミおじさんの森」
「飢餓海峡」
「CLIMAX」★
「キングダム」
「アンダーグラウンド」★
「丹下左膳 百万両の壺」
「カンフー・ヨガ」
「エレファント・マン」★
「マンハント」
「御法度」
「パーフェクト・ワールド」
「遥かなる大地へ」
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
「ユージュアル・サスペクツ」
「タクシー運転手 約束は海を越えて」
「ハリー・ポッターと賢者の石」
「テネット」★
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」
「リバー・ランズ・スルー・イット」
「許されざる者」
「ハドソン川の奇跡」

以上、全40本でした。

2017年は36本、2018年は34本、2019年も34本でした。
コロナに振り回された2020年は、自宅にいてばかりでしたが、案外映画って見ないものなのね。




以上の映画から、2020年の私的ベスト3を発表。
コロナのせいで映画館が閉まっている状況だったので、テレビで放映されていた映画ばかりを見ていて、何度目の映画というのが多かったです。

「テネット」は確かにすごい映画だったんだろうけど、あのシステムが僕の頭では理解できるまでに時間かかかりすぎて、映画はどんどん進んでいってしまうし、もう頭がパンクしてしまったので、次点にしました。一緒に見た嫁さんは「考えるんじゃなくて、感じるのよ」とカンフーの達人みたいなことを言っていましたが。



ということで、
まずは第3位。

「男はつらいよ お帰り寅さん」


なんだかんだ言って、「男はつらいよ」が好きなわけで。
ものごころついて、寅次郎が旅している壮大なマンネリ世界を好きになったのは、渥美清が鬼籍に入ってからだった。それまで正月(昔は年2回)の恒例行事として映画館で封切りされていたのを目にはしていたが、観ようとまでは思えなかった。
でも、いつの間にか、「ったく、毎度毎度、よくも懲りずに人を好きになるもんだね」なんて、団子屋のおいちゃんやおばちゃんのように、心の中で寅さんに愚痴ってみたり、いつの間にかあのファミリー視点で映画を楽しんでいることに気づく。
この映画って、たいてい最後は正月のシーンで終わるんだよね。映画で普段と変わらない柴又のバカな光景を目にした後、「終」の文字が出る前に束の間の正月がスクリーンでも映し出される。観客は映画館を後にして、そのまま自分の町の正月に溶け込んでいくことができる。
こんな時代だからこそ、何も変わらない「葛飾柴又」の光景が大切なのかもしれない。
ちなみにこの映画は、これまでの49作を観てきた人のための、ご褒美的な映画なので、これだけを観てはいけないし、この作品だけで評価してもいけないのだ(と個人的に思う)。
車寅次郎の映画を、映画館でリアルタイムで観ることができた。ただその思いで3位にランクインです。









続いて、第2位。

「CLIMAX」



もう、これはとんでもなくひどい映画。
大雪で封鎖された建物内でドラッグを摂取し、集団トランスに入ってえらいことになるという映画なのだが、人間が通常見たくない光景がこれでもかと飛び込んでくる。
とにかく吐き気を催すこと間違いなし。免疫のない人はみないほうがいい。
わかりにくく言うと「バッド・トリップ」した感覚が90分にわかって延々と続く。
ダンス、アルコール、ドラッグ、セックス、バイオレンス…etc.
人間の欲望と本質が詰まりまくった、もう引き返せない濃密な時間。
インパクトの強さで、2位にランクインです。









そして、2020年の私的映画第1位 は、

「タクシー運転手 約束は海を越えて」


1980年に韓国で起こった光州事件での実話を基にした作品。
独裁政権に対して民衆が蜂起し、軍や警察が武力制圧をした事件の真実を海外に報道したドイツ人記者と彼を乗せて運んだタクシー運転手が主人公。
ストーリーはある程度脚色されているのだろうが、登場する韓国の男たちが熱いのなんの。見ているこっちが照れるくらいの喜怒哀楽を豪速球で投げつけてくる。
全編にわたって、ハラハラしたり、ホロリとしたり、手に汗握ったりと、エンターテイメント的にも満足した。
堂々の1位というわけでもないんだが、ほかの作品と比較しても、こういう話は個人的なツボだったので、1位に置いてみた。
ちなみにこの映画、中国では上映されていないらしい。なんか似たような事件を思い出させてしまうからなのかなあ…(棒読み)。




もう時代は、Netflixなどの動画配信全盛ですね。
月1000円も出せば、映画見放題ですからね。
夫婦で年に数回映画館に足を運ぶのと、どっちがいいのか、真剣に悩み始めてます…。

今年はどんな映画に出合えるのだろうか…。



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2021年

2021年01月08日 | 京都編集邁進道
年、明けてましたね。

あけましておめでとうございます。
「正月は冥途の旅への一里塚」という言葉通り、ついこの間紅白を見た記憶があるのに、また紅白やってんの!?という思いが、年々強まってますわ。

2020年は、結局コロナウイルスに世界中が振り回された一年でした。
そして、大勢の人が亡くなりました。
幸い身近で罹っている人はいないけれど、2回目の緊急事態宣言が出ている以上、明日は我が身という言葉を肝に、一年を過ごしたいものです。

今年の目標は、例年同様ですが「生きる」です。
いつもなら冗談半分に聞こえる言葉も、今年に聞くとなんかリアルですな。

正月、近くの神社で引いたおみくじは、夫婦共に「末吉」でした。

今年も、細々とやっていきます。
どうぞよろしく。



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スリランカ酔夢行(12)あふたぬーんてぃー

2020年12月03日 | スリランカ2019
昨夜は久しぶりに深酒をしてしまった。
バックパックの中に忍ばせておいたウイスキーの小瓶も、すっかりと空になっていた。ホテルに帰ってきてからも、水割りで飲んでいた。

朝起きて、若干の二日酔い。
この頭痛も胃もたれも、いい感じだ。迎え酒をしてやろうと、机の上に置きっぱなしになっていた昨夜の水割りの残りを流し込んだ。
嫁さんが起きたら、コロンボの散策に出かけよう。







インド洋は波が高く、夏なのに誰一人として泳いでいなかった。




スリランカはサーフィンのメッカでもあるらしいので、いつも波は高いのだろうか。
僕らは泳がない旅行者なので、見ているだけで十分楽しんだ。
少し雲行きがあやしいのが気にかかる…。




海岸線には大勢の観光客がインド洋を眺めていた。
そのほとんどがスリランカ人だった。
この国を訪れる外国人観光客は、もっときれいにビーチでリゾートに勤しんでいるか、世界遺産巡りに熱中しているのだろう。




海岸には、スイーツ&スナックの屋台も並んでいた。
ビニール製のよくわからないキャラクターのおもちゃや凧を売っている屋台もあって、軽い祭り感覚だ。
家族や友達連れで遊びに来ているスリランカ人が、楽しんでいた。
見ているだけで幸せなひととき。







海岸沿いを歩いていると、コロニアルホテルがあった。
ゴール フェイス ホテル。昭和天皇の宿泊したという由緒あるコロンボ指折りの老舗ホテルだ。
ちょうどお腹が空いてきていたので、ここでランチ代わりのアフタヌーンティーをすることに。



ドアマンに迎えられてホテルに入ると、物腰柔らかそうなコンシェルジュがいたので、アフタヌーンティーをしたいことを伝えると、とても丁寧に会場までの道順を教えてくれた。
ビジネスだからとわかっていても、語尾に「Sir」を付けられて悪い気はしねぇな。

大理石の長い廊下を歩く。
創業は1864年。もちろん当時はイギリス領。その頃日本は、幕末真っ只中。
数え切れないほどの要人がここを歩いたんだなあと想像するのが楽しい。




アフタヌーンティーは、1人1500Rs.(1000円くらい)。
本当は、お重みたいな何段にもなったトレーで出てきてほしかったが、このホテルはビュッフェ方式だった。

それでも紅茶がなくなればお湯を入れるかすぐに聞きにくるし、食べ終わった皿はすぐに新しいものを替えてくれるサービスの良さ。さすが5つ星ホテルだ。料金よりも、こういうサービスをたまに受けると、嫁さんの機嫌が非常によくなる。昨夜、場末の酒場で酩酊していたのが嘘のよう。あれもこれも、同じコロンボだ。


スリランカ旅行をするにあたって、嫁さんにはホテルのアフタヌーンティーを約束していた。嫁さんはセイロンでセイロンティーを飲むという行為に浸っていた。僕は、インド洋の潮風と日差しを満喫していた。夫婦の会話は少なめだった。






オープンテラスの席もあったが、風が強かったので、屋内を勧められた。
天気がよければ、インド洋をより間近にお茶してみたかった。

ちなみに、この中庭には、鳥対策専門のスタッフが常駐していて、手にしたパチンコで巧みにカラスを追い払っていた。
かなりいい歳したオッサンだったが、この道ウン十年と考えると、仕事というものの奥深さを感じるね。


(つづく)


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スリランカ酔夢行(11)コロンボの酒場へ

2020年11月12日 | スリランカ2019

コロンボで宿泊したホテルが建つフォート地区は、かつてイギリス植民地時代から政治・経済の中心地であった場所。いまでもイギリスの名残を感じさせる趣ある建物を多く見ることができる。

街の散歩をするだけでも楽しいところだが、今回の旅の主目的である「地元の酒場で呑む」という目的を果たすために、観光ではなく、酒場探しに忙しいのだった。




スリランカの鉄道の起点となるフォート駅前は、人が多かった。
インドなどでよくあるように、家電街、部品街、カバン・靴街など、通りによって店の種類が分かれていた。
このゴチャゴチャ感が、インド文化圏に来たという感じがする。






そろそろ日が暮れてきた。
さて、酒場へと向かおう。







駅は家路に着く人で賑わっていた。
電車で通勤通学するなんて、日本っぽい。

閑話休題。
最近、嫁さんがテレビを見ていて、海外の鉄道が映ると、「この国ってイギリス領だった?」と聞いてくるようになった。
イギリスと日本は、植民地に鉄道を敷きがち。




フォート駅前にあった、スリランカ酒場の入口。
HOTELと書いているけれど、宿泊はできない。
南インドでも、レストランのことをHOTELって呼んでたことを思い出した。

スリランカは仏教国とはいえ、おおっぴらに飲酒できるほど開放的な感じではない。あくまでも「いけないこと」として、こっそり飲むのが、この国のたしなみだ。
とはいえ、店の中がまったく確認できないところを入っていくには、嫁さんを連れているというだけで、ちょっと神経質になってしまう。





店内はこんな感じ。
天井が高く、白い壁が爽やかさを演出しているが、客は想像通り、男ばかり。
嫁さんが店に入ると一瞬ザワッとなったが、明らかに東洋人顔なので、外国人なのかとそれほど注目も集めていなかった(ように思う)。
駅前ということもあり、外国人慣れしているのだろうか。


時間帯もあるのだろうが、食事をするというよりは、バーっぽい使い方で、ナッツなどをつまみながらビールを飲んでいる人が多かった。





まずは、何はなくとも、ライオンビール。
歩き疲れた身体にじわっと染み込んでいく。
たまらない。
1本150円くらいだったような記憶。
酒場では、ラガーとスタウトを提供。もちろんキンキンに冷やされている。
もう一本、もう一本と頼んでしまう。





店の従業員。
ユニフォームは揃いのTシャツ。
何て書いているかわからないけれど、これめちゃ欲しかったんですけど。
なんとか売ってくれないかと交渉するも、店が思いのほか忙しく、半酔の外国人に構っている時間はねえよ、と笑顔で逃げられてしまった。






これは、他の店のメニューだけれど、値段感はこんなもの。
100スリランカルピーで60円程度。




ビールばかりガブガブ飲んでいいたら、乾き物くらい食べたらどうだと勧められたので、スリランカでより採れるというカシューナッツを購入。
これで85円程度。
塩味、マサラ味など、秋種類から選べたが、ここはマサラで。
この値段でカシューが食べられるのもうれしいですな。


ダラダラ飲んでいると、従業員のおっちゃんも何かしら話しかけてきてくれるし、たまたまトイレの近くの席だったということもあり、トイレ帰りの酔客から軽くからまれる(良い意味で)こともあったりで、まったく退屈しなかった。




一軒目でガソリンを入れてエンジンもかかり始めたので、コロンボではしご酒へ。


二軒目は、同じくフォート地区にある「ブリティッシュ・インディア・ホテル」に行こうと決めていた。
ここは、明治時代にイギリス留学をした夏目漱石が、航路途中のコロンボで立ち寄ってカレーを食べたと言われている老舗レストランだ。
ネットでいろいろ調べていたときに、そんな記事を目にしたので、漱石が食したカレーを僕も食べてやろうと意気込んでいたのだが、



店は、かろうじて見つけたものの、従業員に聞くともうカレーは提供していないという。
なんたることか。残念無念。

現在この店は、一軒目同様、地元の人々が集う大衆酒場になっていた。
写真奥にあるように入口は狭く、うなぎの寝床のように奥に長い造り。
通路脇にあるカウンターで酒やタバコを売っていて、それをテーブルに持ち込んで飲むスタイルだった。
店が販売しているというよりは、店の中にキオスクが入っているような感じで、酒やタバコだけを買って帰る客も多かった。
日本でいう角打ちだろうか。




店内はこんな感じ。
テーブルで一人寂しく杯を重ねるニイちゃんと、それをなぜか笑って見守る従業員。
やる気のなさがあふれていて、最高だ。
こういう酒場で、日がな一日ダラダラ飲んでいたい。

駅前の店に比べて、ここは外国人客に慣れていないのか、非常にスキンシップをはかってくる店だった。
このブログでは紹介できないが、翌日カメラを確認すると、僕と嫁さんと従業員が満面の笑みで肩を組んでいる写真ばかりが出てきた。
ビールだけでなく、勧められるがままに、チキンの炒め物などをつまみながら、スリランカウイスキーなどを開けたりして、相当酔っていたっぽい。

ちなみに、このあと三軒目にも行っていた…。





ほかの町にもこうした酒場はあるのだろうが、コロンボの店は、いけないことをしている感じがそれなりに低く、カジュアルに飲むことができた。


夏目漱石が味わったカレーの幻を眺めつつ、
こうして、コロンボの夜は更けていった。


(つづく)
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6000日!

2020年10月31日 | 京都編集邁進道
ついにこのブログも開設から6000日を迎えました。
16年以上ですよ、驚いちゃうね。
ついこの間に5000日を迎えたと思ったのに。加齢と共に、年月の感じ方も早くなるとは本当のことのようです。


Facebook・Instagramで近況は更新しているので、このブログはもっぱら旅行記になってます。
現在、2019年のスリランカの旅をアップしていっています。コロンボで呑んだら旅は終わったも同然なので、今少しお付き合いのほどを。


さーて、これからの「放浪日記」のラインナップは、


モグモグ隊 福島遠征(の続き)
モグモグ隊 讃岐うどん遠征
ラオスが誇る古都・ルアンパバーンの旅


の3本です。
これからもまた見てくださいね~!


フンガググッ(饅頭をのどにつまらせながら)



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スリランカ酔夢行(10)そしてコロンボへ

2020年10月28日 | スリランカ2019
「酔夢行」なんてタイトルをつけておきながら、これまでの旅では正直呑んだくれるところまではいっていなかった。
キャンディは祭りの真っ只中だったし、シーギリヤは田舎で、外でフラフラ呑み歩けるような店がなかったからだ。
そろそろ本格的に呑みたい。居酒屋とかバーに行ってみたい。スリランカ人はどんな酒場でどんな酒を飲んでいるのだろう。
シーギリヤからは、首都・コロンボに戻って数日を過ごし(主に嫁さんのお土産ショッピング)、帰国する予定だ。飲み歩く最初で最後のチャンスがやってきた。


シーギリヤからコロンボへは、すべてバス移動。
まずダンブッラに出て、新しいバスを拾ってコロンボまで。
ダンブッラはスリランカ有数の幹線道路に面しているので、ひっきりなしにバスが通る。
始発ではないので、来たバスに乗り込むだけでいい。
ただ、どのバスも驚くほどに混雑していた。






バス車内の様子。
運よく座席を確保できたが、通路まで人がびっしり。本来ならば嫁さんと隣同士で乗りたいところだが、それもかなわず。
エアコンなんて、もちろんないので、外から入ってくる風だけが頼りなのだが、満員状態なので風通しゼロ。蒸し風呂である。




そんな混雑の中でも、子供は無邪気。





コロンボまで4時間以上かかるので、途中のドライブインで休憩。
昼食を食べる人、タバコをふかす人、トイレに駆け込む人。世界のどこでも同じ光景。
こんなところで放り出されたら…と妄想して、発車までの時間をつぶす。







中国資本で建てられているロータスタワーが見えてくれば、コロンボに到着。
コロンボ・フォート駅の付近でバスを降ろされる。
ここからオートリキシャを拾って、荷物を預けていた高級ホテルに向かった。




コロンボ1とも呼ばれるフォート地区にそびえる5つ星ホテル「ザ・キングスバリー」!



コロンボ有数の高級ホテルだが、実はここ、この旅の4か月ほど前に、コロンボ市内で発生したスリランカ連続爆破テロ事件の現場となった場所でもある。
テロ発生によって外務省の危険レベルも上がり、一時は旅行できないかと思われたが、スリランカ政府・警察の対応がよかったのか、その後テロは起きておらず、無事に旅ができるようになった。
ただ、さすがに現場になったホテルは客が寄り付かないのか、おそろしいほどに値下げをして客足の回復を目指していた。
テロからの復興支援という名目、実際はいいホテルに安く泊まりたいという一心で、今回のコロンボ滞在は「ザ・キングスバリー」にした。
もちろん嫁さんはめちゃくちゃ心配していたが、同じホテルに連続でテロは起こらない。逆にセキュリティが’しっかりしているから安全。と言い聞かせ、連れてきたのだった。




ホテルの出入口は正面エントランス以外すべて封鎖されていて、出入りするゲストは都度ものものしいセキュリティチェックを受けなければならなかった。
もちろんしっかりしたホテルのスタッフなので、物腰もやわらかで、嫌な気持ちになることはないのだが、1日に数回、バッグの中を見せたり、身体を金属探知機でなぞられたりするのは、非常に面倒臭かったのも正直なところだ。




大理石の床に、薔薇が映える。
花はもちろん生花。芳しいローズのかほりが廊下に満ちる。
ホテルは外国人旅行者の数よりも、結婚式やパーティなどで利用しているハイクラスのスリランカ人が多かった。サンダル履きでウロウロしているのが、少し恥ずかしくなる…。





バイキング形式の朝食は、ホテル1階のバーレストランで。
プールに面したレストランが本来の朝食会場なのだが、先述したテロは、朝食時レストランを狙ったものだったらしく、会場は吹き飛んでしまい、現在は使用できない状態だった。
こういう真実を伝えることは、いらぬ心配をかけてしまうことになるので、「お紅茶おいしいざます」とモーニングティーを楽しむ嫁さんには黙っておいた。



テロの現場となったレストラン。
ガラスは入っているものの、中には何もない。




プールサイドには、スリランカのリッチファミリーがバカンス。
家族でひと泳ぎする横で、僕は、温泉のようにプールに浸かる。


ホテルはあまりに快適なので、ついこのまま過ごしてしまいたくなるが、何より身体はアルコールを欲し始めている。
さて、飲みに行くか。


(つづく)


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スリランカ酔夢行(9)岩上に残る夢の跡

2020年10月15日 | スリランカ2019

今回のスリランカ旅の最大の目的地は、シーギリヤロック。

初めてその存在を知ったのは「世界ふしぎ発見」か「なるほどザワールド」だったかもしれない。岩の上に作られた王宮というその存在感。一度訪れてみたかった。

 

Wikipediaによると

5世紀にカッサパ1世によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなる遺跡。岩山の中腹には『シーギリヤ・レディ』として知られるフレスコの女性像が描かれている。当初は500体ともいわれたが、風化が進み現在は18体だけが残る。シーギリヤロックは火道内のマグマが硬化して出来た岩頸で、形状は楕円柱、標高約370m、岩頸そのものの高さは約195m、全方位が切り立った崖になっている。

 

ということだ。

宿泊する岩見荘の屋上テラスからすでに拝んでしまっていたものの、やはりいざ自分がそこにいると思うとドキドキする。遺跡にこれほどビンビンになっているのは、いつぶりのことだろう。

かつてインドを旅していた時、そのついでにスリランカにも足を延ばそうと考えたことはあったが、当時はシンハラ人とタミル人の内戦・衝突が散発的に発生しており、インドからの海路が閉ざされていたこともあり、あきらめていた。

それだけに、今回は楽しみなのだ。

 

岩見荘のパパに車で入口まで送ってもらって、いざロックへ。

入場料は、外国人30USドルに対して、スリランカ人は30円程度。その差、100倍だ!

いままでいろんな遺跡に行ってきたけれど、世界屈指のエゲツない料金差に唖然となる。若気に満ち溢れていた頃は、もしかすると裏口を探したかもしれないが、嫁さん同伴では払わざるを得ない。二人で60ドル払いましたよ。

 

 


遺跡公園内に入ると、いきなり見えちゃう巨大岩。道案内もなにもないけれど、まっすぐ歩けばいいってことは、誰もが分かる。

 


 

ウ●コみたいな形の注意書き。
さまざまな国の観光客が来るだけあって、すべてピクトグラム。
それにしても注意すること、多すぎない?

 




岩の下まで来ると、なんとそこにはものすごい行列が。
いままでいろんな行列に並んできた日本人としても、岩登りの行列は初めてだ。観光客は、中国人3割、スリランカ人3割、そのほか4割という感じ。



日差しの関係で、日陰となる午前中がベストというガイドブックを鵜呑みにしてやってきたけれど、この人混みが暑さよりもしんどいわ。
後日、午後から登った人に話を聞いたが、まったく混雑してなかったとか。
暑かろうが、シーギリヤは午後に限るのではないか。


Wikipediaにも書いてあったが、途中の岩肌には、シーギリヤ・レディと呼ばれる美人壁画があった。昔は写真撮影もできたっぽいけれど、今は完全禁止。警備員がしっかり彼女をガードしている。
しかしその容姿はさすがに綺麗でござんした。





そして次に出てくるのが、ライオンの足。
かつての王宮の入口だったといわれるところだ。
朽ちる前は、ライオンの顔もあって、口の中へ入るようになっていたそうだ。
これこれ、これが見たかったのよ。

ただ、上の写真、人がいないところを撮ったもので、ここも当然のようにめちゃくちゃ人で混雑している。



上までずらーーーーり。


実は僕は高所恐怖症。
観光名所としてありがちなタワー類にも、金を出して登る気がしれない。
スカイツリーも通天閣も京都タワーも、いまだ登ったことはない。
このシーギリヤロックは階段があるので、高所恐怖症が発生しないと思っていたが、このライオン足から王宮へのほぼ垂直の階段が、腰が抜けるほど怖かった。
いったいいつ造られたのか分からないグラグラの鉄階段。当然スケルトン状になっているので下は丸見え(上も丸見えなのでスカートの方は注意)。さらにそこに行列が重なり、これだけの人の体重をこの鉄パイプ階段で支えることができるのかと考え始めると、もういけない。シーギリヤロックは周りを遮るものがなにもないため、岩肌をもろに強風が吹き抜けていく。ただでさえグラグラしている階段が、風で揺れるわ、人の動きで揺れるわ。
いまだに思い出すだけで、手の平が汗ばんでくる。
頂上に行くには、この階段しかないので、高所恐怖症の人は覚悟して来るべし。


そして、ほうほうの体で頂へ。




見渡す限りのスリランカの森林。
さっきまでの恐怖をすっかり忘れるくらいの心地よさ。
ただ、遮るものが何もないということは、直射日光も襲いかかる。

暑いのよ。



日陰では犬も寝る。
っていうか、犬よ、お前はあの階段を登ってきたのか?


王宮跡は、まさにもう廃墟で、土台やレンガなどが残るのみ。
こんな岩の上に王宮を造ろうと考えるやつは、よっぽど狂ってるとしか言いようがない。造らされた数多の庶民もやるせなかっただろうなあ…。

頂には、カフェもなけりゃ、ドリンク売りもいないので、一通り巡って景色を眺めて、帰路に着いた。


百聞は一見にしかずという言葉通り、シーギリヤロックがあんなに急な階段なんて、初めて知ったわ。




帰りの駐車場にいたトカゲ。
現地では普通にいる。地元民は誰も見向きもしない。






ちなみに、これが岩見荘からの眺め。



カメラの性能のせいでけっこう小さく写ってるけれど、体感的には非常に近い。頂にいる人の数もカウントできるくらい。


シーギリヤロック、一度は行ってみたかった場所。
ただ、もう登んないだろうな。ビール飲みながら見るだけで満足しちゃう。



(つづく)
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スリランカ酔夢行(8)岩見荘に泊まる

2020年10月14日 | スリランカ2019

ダンブッラで偶然拾ったトゥクトゥクで、シーギリヤに到着した。

バスも頻繁に出ているという情報だったし、比較的近いのではないかと勝手に想像していたが、案外距離があった。ダンブッラの黄金寺院→ダンブッラ市内で待機→シーギリヤのホテルまでで800Rs.だったら安いのではと思った。

シーギリヤまでの道中で、ドライバーの兄ちゃんはしきりに貸切観光を薦めてきたが、後ろを振り向いて営業してくるのは閉口した。

「シーギリヤは俺の庭みたいなものだ」と豪語していたが、行きたいホテルがどこか分からないようで、地元民に尋ねることを繰り返し、ようやく予約していたホテルにたどり着いた。

 

 

 

 

 

宿泊したのは、岩見荘。

 

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漫画家・東條さち子さんが経営するゲストハウスだ。

 

スリランカを旅したのは、2019年4月に起こったテロ事件の後ということもあり、海外からの旅行者が少なかった。日本人をメインターゲットにするこの宿も、影響を受けており、宿泊客は僕らのほかには一人だけだった。

ちなみにこの一人とは、友人の彼女で、たまたまこの時期にスリランカを旅していることを知り連絡を取ったら、この宿で落ち合おうということになったのだった。予約も、すべて彼女にしてもらっていた。

 

世界遺産を有するシーギリヤには数多くの宿があるが、この宿のコストパフォーメンスは非常に良かった。

リスや鳥が遊ぶ広い庭、フレンドリーだけど干渉してこないホストファミリー、洗濯機(有料)、シーギリヤロックを望む屋上テラス(当時は改装中)、無料の朝食、有料だけどボリュームたっぷりのディナー、ビールも冷えていた。そしてなにより、部屋が快適だった。

 

 

気付いたら部屋の中に蟻が入り込むという、アジア宿のあるあるも、この宿では無縁。ドア、窓もぴったりと隙間なく機密性高い。浴室はジャグジー付きのカプセルバスがあり、女性も満足間違いなし(使用方法は少々ややこしいが)。エアコンを効かせながら惰眠をむさぼることもできるし、早朝や夕暮れどきにシーギリヤロックを眺めながらビールを飲むこともできた。

これで2人で3,000円以下で泊まれるのだから。

 

ホストファミリーは、東條さち子さんと共同で宿を経営しており、ほかにもエレファントライドやカフェも経営しているやり手だ(行かなかったけど)。シーギリヤロックの往復や帰路のバス停までは車も出してくれる(ダンブッラに買い出しに行く際に乗せてもらった人もいるようだ)。

 

これまでいろんな宿に泊まってきたけれど、指折りの快適な宿だった。

1泊して次の目的地へ行く予定を変更したほど。

 

宿から特に何を言われているわけでもないけれど、快適な宿だったのでおすすめ記事を書いてしまった。

もし自分が長旅だったら、もう数日のんびりしたかもしれない。ドミトリーなどはなさそうだった。

 

 

(つづく)

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スリランカ酔夢行(7)トゥクトゥク考

2020年09月26日 | スリランカ2019
ダンブッラで黄金寺院の観光を終えた後、僕にはやることがあった。
 
それはビールを飲むこと。
そしてシーギリヤでの滞在中に飲む酒をまとめて買っておくこと。
 
シーギリヤでは2泊する予定のため、その分の酒が必要なのだ。
昨夜飲めなかった分も飲まなければ、気が済まないのだ。
なんのために、酒が一般的に飲めるスリランカに来たと思っているんだ、まったく。
 
 
 
黄金寺院から町へ戻ろうとしたら、一台のトゥクトゥクが声をかけてきた。
「ハロー、ミスタル、どこ行くんだい?」
タイヤまわりにボブ・マーリーを飾る、イカしたダンブッラ・ガイだった。
 
 
町に戻ると言うと、相場の3倍くらいをふっかけてきた。
いつものことながら、このやりとりは非常に面倒くさい。
このやりとりを避けるためだけに、時間をかけてバスに乗ることもあるくらいだ。
 
 
いつもならイライラする僕も、今回の旅では違う。
スマホにPick Meをダウンロードしている。
「じゃあ、50Rs.でどうだ?」
と、こちらから提案すると、さらに金額交渉を続けようとしてくるが、そんなときはスマホをかざしてPick Meの画面を見せる。
そして今回もスムーズに交渉がまとまるのだった。
 
町に戻る途中、ドライバーは「次はどこに行くんだ? キャンディか? コロンボか? シーギリヤか?」と聞いてきた。
「シーギリヤだけど」と言うと、バスで行くより、「俺のトゥクトゥクで行かないか、安くしとくぜ」と言い始めた。
スリランカを旅している中で、トゥクトゥクのドライバーからこのように貸し切りしないかと言われることがよくあった。実際に数日間貸し切って一緒に旅した人もいるようだ。
彼らとしても身入りがいいんだろう。
 
この兄ちゃんにはダンブッラの町まで運んでもらえるだけでよかったのだが、ここから町で食事をして、酒を(多めに)購入して、さらに20km程度離れたシーギリヤまでバスに乗って、宿の最寄りで降りて、宿まで歩いて、という工程が急に面倒臭くなってきた。
今晩の宿はすでに予約しており、どうやら現地のバス停からは少々不便なところにあるらしい。
この兄ちゃんのトゥクトゥクですべてがまかなえればと思った。
 
「ここからダンブッラの町に戻って、数時間後に改めて俺を迎えにきて、その後シーギリヤのホテルに連れて行ってくれ」
「もちろんだ、ミスタル」
 
ちなみに、どうでもいいことだが、ミスタルというのは、Mr.のこと。インド発音だと「r」を「ル」って言う。
 
「いくらで行ってくれる?」
「1000Rs.」
600円くらいだ。
非常に安いけれど、意地悪く、もう少し絞ってやろうと思った。
「800Rs.ならいいよ。即決する」
「おー、ミスタル!」
「Pick Meで調べることもできるけど…」
「OK、わかった。800Rs.でシーギリヤまで行こう」
 
交渉成立だ。
ということで、まずは町で一番のスーパーマーケットまで連れていってもらうことにした。
もちろん、酒が買えるところとリクエストすると、お前も好きだねぇと、ニヤリと兄ちゃんは笑った。
 
ここだ、と降ろされたのは、町の少しはずれにあるスーパーマーケットの前。
「じゃあ、酒を買ってこい。ここで待っているから」
と言ってきたので、
「いやいや、俺たちはこれからランチをとって、その後にこの店で買い物をして、それがすべて終わったらシーギリヤに向かうんだ。最初に言っただろ?」
「じゃあ、いつ出発するんだ」
 
実はこのとき猛烈にのどが乾いていてビールを飲む気満々だった。
飲み屋にこの兄ちゃんを連れて行ったら、飲み始めて飲酒運転…ということになりかねないので、ここでいったんサヨナラをしたかった。
そしてゆっくり飲みたかったので、2時間後の15時にここで再集合ということにした。
 
「約束は守れよ」
「日本人は約束守る民族だ」
「俺の顔は覚えたか、車のナンバーを控えろ」
「覚えてるし。っていうか、お前、来いよ。何かの用事を作って15時にいなかったらほかのドライバーに声かけるからな」
といって、まずは前金で、当初の乗車だった、町までの50Rs.を払った。
これで兄ちゃんは損をしないし、もし来なくても、僕らも損失なくシーギリヤに向かうことができる。
 
 
 
 
このあと、一軒の居酒屋を見つけ、初めてのライオンビールを飲んだのだが、あまりに勢いよく飲みすぎて、写真を撮ることをまったく忘れていた。
確かにビールはうまかった。
本当にうまかった。
 
 
 
そして2時間後、スーパーで買い物を終えた僕たちの前には、ダンブッラのナイス・ガイがトゥクトゥクを背に立っていた。
 
 
 
 
 
 
約束を守るとは、スリランカ人、なかなかやるな。
国は違うが、インド人とは大違いだ。
 
スリランカとインドの違い。
旅の時間が増えるにつれ、この差異が大きくなっていくのだった。
 
 
「待ってたぞ。さあ、シーギリヤへ行こうぜ!」
 
 
(つづく)
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スリランカ酔夢行(6)ダンブッラ、こりゃええわ

2020年09月25日 | スリランカ2019
スリランカには世界遺産に指定された遺跡や寺院がいくつかあるが、この歳になると&特に興味のない嫁さんを連れての旅行となると、そうした見どころを隈なく見てやろうという元気はなかった。
 
今回の旅の最大の観光スポットはシーギリヤロックで、ぶっちゃけそれを見ることができたら万々歳だったのだが、時間があって、少し足を延ばせば世界遺産があると知ったら、そりゃまあ、暇つぶしがてら行こうと思うよね。
 
 
ダンブッラという町には「黄金寺院」と呼ばれる寺がある。
wikipediaによると、
 
スリランカで最も保存状態がよい石窟寺院として知られている。黄金寺院の周辺には、確認されているだけで80以上の洞窟がある。黄金寺院において重要な寺院は5つであり、そのそれぞれに聖像や絵画がある。これらの聖像や絵画は、釈迦とその生涯に関連したものである。153の釈迦像、3つのスリランカ王の像、4つのヒンドゥー教の神像が祀られている。壁画の面積は2,100平方メートルに達し、絵画には、釈迦が最初に説教を行ったマーラへの説教も含まれている。 
 
ということだそうだ。
 
町にたむろするトゥクトゥクと交渉し、荷物を置いて身軽になった我々は寺へ向かった。
 
 
 
 
確かに岩を掘って石窟が作られている。
そして、この気候。
とても晴れていていいのだが、非常に暑い。
寺院内は裸足にならないといけないので、陽が当たっている部分は暑くて歩けやしない。スリランカ人は顔色一つ変えずに歩いているが、仏様のご加護あるゆえか?
 
 
 
内部は、圧巻。
岩の至るところに曼荼羅のように仏画が描かれている。
これはすごい。
そして、本当に保存状態がいい。
 
 
 
 
 
仏でビッシリ。
スリランカでは仏様にお尻を向けちゃいけないので、石窟内は蟹歩きで移動するしかないので要注意(うそ)。
 
 
 
 
上座部仏教の国で、あまり壁画を見てすごいと思ったことなかったけれど、ここは本当にすごい。
さすが、仏教初期からずっと信仰が続いてきた国だぜ。
 
 
 
 
一つひとつ拝んでいたんじゃ、日が暮れちまうよ!
まとめて南無南無しちゃっても、仏様は許してくれるはず。
 
 
 
 
 
涅槃像だけど、お目々はパッチリ。
 
 
 
 
 
仏像前には、色鮮やかな生花が捧げられていた。
ここは観光地ではあるが、現役バリバリの信仰の場だ。
 
 
 
 
 
参拝している人と比べると、仏像の大きさや壁画の緻密さが分かる。
 
 
 
 
5つの石窟寺院はほぼほぼ繋がっていて、連続して見ることが可能。
ここは本当に見応えがあった。
遺跡に来て満足することが少なくなった観光インポな僕だけど、ここは二重丸。
シーギリヤに行く途中で、ぜひ訪れてほしいスポットだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また来いよ、と仏様から言われている気がした。
 
 
 
(つづく)
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スリランカ酔夢行(5)バスでダンブッラへ

2020年09月24日 | スリランカ2019
深夜までペラヘラを見て、空腹の限界を迎えていたが、結局祭りが終わる時間帯にキャンディの街はほとんどが眠ってしまっていた。
かろうじて開いていたレストランで大盛りのフライドライスを胃に詰め込んで、ビールを飲むことなく、この日はホテルでバタンキュー。
スリランカといえばライオンビールを飲みにきたようなものなのに、初日は飲むことができなかった…。



翌朝、ホテルの朝食を食べ終わって、すぐに移動することにした。
キャンディの街は見どころも多いのだろうが、ペラヘラ期間中は完全に祭りモードになっているため、通常の観光はできなそうだったからだ。




さっさとバスターミナルに移動。
並んでいるのは長距離バスなのだが、車体は街の中を走るバスと同じタイプ。
市バスが長距離を走る感じなので、人数は詰め込めるが、窮屈だ。



大きな街へ行く場合は、ワゴンタイプのバスもあり。
値段は高くなるが、おそらく圧倒的に早い。
そもそもスリランカの交通費は非常に安い。
社会主義ということも関係しているのだろうか。
数時間乗っても百数十円なんてこともあるので、VIPバス的なものがあったら積極的に乗りたいところだ。
ただ、このワゴンタイプのバスは、時刻表があってないようなものなので、だいたい満員近くにならないと発車しなかった。



バスに乗り込んだはいいが、なかなか発車しないので、ターミナル内の果物屋で買い物。
色鮮やかな果物が並ぶのは南国ならでは。




バスが発車して数時間、ダンブッラの街に到着。



ダンブッラはスリランカの中でも交通の要衝となる町の一つで、いろいろな方面からバスがひっきりなしに走ってくる。
バスは市バスタイプのものが走っていると前述したが、バスのフロントにはルート番号が記されており、これも市バスっぽい。
長い距離になると丸一日走り続けるルートもあるようだ。

ダンブッラの町にはバスターミナルもあるのだが、ターミナルは近郊行きのバスの発着がほとんどで、長距離を走るバス、旅行者の利用率が高いバスは、幹線道路沿いに一時停車するだけで、次々と走り去っていく。

上の写真は、ただの路上だが、ダンブッラのバスターミナルである。
ここから世界遺産のシーギリヤロックや首都のコロンボなどに行くバスに乗ることができる。

スリランカのバスは路線バスを乗り継いでいく、太川・蛭子のバス旅と同じスタイルなので、方向が一緒だったらとりあえず乗って、途中で乗り換えてということが簡単にできるようだった。


僕らはこの日はシーギリヤに宿泊予定だったが、時間があったので、昼間の間にダンブッラ遺跡を見学することにした。

善良そうな店を選んで、数時間荷物を預かってもらうことを交渉(もちろんお礼は払った)。
身を軽くして、いざトゥクトゥクで、世界遺産の寺院へ。


(つづく)
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