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正しさの判断-は窮屈

2021-11-06 08:09:01 | 社会・平和

 老獪な対応は難しそうだ

 テレビ番組に「雲霧仁左衛門」という番組がある。江戸時代の盗賊の頭領だ。この盗賊は、盗みはするが、被害者宅の住人を傷つけない。鮮やかな技術に政府側も盗賊検め方という役所を作って対応している。

 ある日の盗みに、まんまと盗みは成功したが、盗み仲間の古い知人を検め方が知り、知人の彼女を捉える。彼女は一人の盗賊の幼なじみ。検め方は「助けに来い。助けなければ、張り付けに処す」と立札を立てる。

 幼なじみの盗賊は、心が騒ぎ「身代わる」と自首。盗賊団には仲間を見捨てない暗黙のルールがある。一方検め方の事情を知る若い同心は「彼女の張り付けは正しい処刑ではない」と心を迷わせる。先輩に疑問をぶつけるも、「他のことは考えるな。考えるとすき間ができる」と。若い同心は勤め帰りに一杯飲み、その際一人の盗賊と出会う。

 盗賊団は身代わった仲間を救った際にけが人を出すが、出会った若い同心は見ぬふりをし、逃げることができた。若い同心は「正しい」処刑ではないと迷う。この迷いが彼に働いて結果、彼は自分の判断の罪で切腹する。私は、気の毒だと感ずるのだが、どうも「正しさ」の判断は彼の役割ではないとの結末だ。窮屈を背負ったものである。この正しさの判断は、先年に政治の世界であった公文書を書換えた大阪の国家公務員の事件、と似ている。

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