しかし、運命とはわからないものだ。
この空前のブームをまき越した『柳ケ瀬お化け屋敷』は偶然から生まれている。
福島で原発が破壊されたあの日。
首都圏では電力会社の計画停電が噂された。
「このままでは、書籍のデザイン業務が納期に間に合わない」
焦る社員たち。僕はある決断をする。
「東京電力の営業エリアから離脱しよう」
昨今、我々のような編集・デザイン会社はパソコンとネット環境さえあれば何処でも業務が可能なのだ。僕は七人乗りの車にパソコン四台と社員3名、かみさん、愛犬四匹
を積んで深夜の道を爆走した。
西へ西へ向かう途中で、かみさんが僕に聞いてきた。
「どうするの?故郷の四国に行くの?」
「それとも、関西なの?」
この質問に対し僕はなんとなく答えてしまった。
「岐阜に行こう」
「岐阜って?一度だけ講演会をやっただけじゃない?」
「うん、でも吉村さんならなんとかしてくれる。そんな気がするんだよ」
なんの確証もなく僕はそう思ってしまった。オカルトめいた話をするわけじゃないが、遠い昔にもこんなことがあったような気がしていた。
そして早朝、僕たちタートルカンパニーは岐阜市内で吉村さんに再会した。
「おはようございます。吉村さん」
必死に笑顔を作ってみたつもりだったが、そのときの僕の顔というのが酷かった。まるで戦に破れた落ち武者みたいな惨状であったらしい。
これの再会から『口裂け女』を使った町おこしが始まり、『口裂け女祭』を経て『柳ケ瀬お化け屋敷』と進化していくのだ。
あの時僕が吉村さんを頼らなかったら、吉村さんが受け入れてくれなかったら、『柳ケ瀬お化け屋敷』は生まれなかった。
友情から生まれたお化け屋敷、それが『柳ケ瀬お化け屋敷』だ。
だから、僕は仕事抜きでこの町おこしに協力している。
見返りを求めない無償の気持ちが人から人に伝わり、その輪が大きくなっていく。
だから、この『柳ケ瀬お化け屋敷』が多くの人々から支持されるのだろう。
町おこしとは、経済効果だけではない。人間の思いやりを”ゆり起こす”効果もあるのだ。
まだまだ日本は捨てたもんじゃない。我が良き友・吉村代表に感謝したい。