岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

【連載】やながもんの唄・第三章 もう振り返れない(下)

2015-07-17 09:27:50 | やながもん
第三章 もう振り返れない(下)


お化け屋敷の製作が始まった。
かつて豊富座という大衆演芸場があり、その前は映画館だった空きビルが僕らの舞台だ。
最高の素材だ!柳ヶ瀬本通りの入り口の真近に立地し、レトロな雰囲気ある佇まいと十分な床面積とスケルトン状態の内部、何よりもジメジメと湿度の高いヒンヤリした妖気漂う内部は恍惚感すら感じるほどに気持ち悪く僕たちを不敵に微笑みながら出迎えてくれた。

意気揚々と楽しく始まった製作作業・・・だが、すぐに行き詰った。
アイディアはあっても、ノウハウがない。「お化け屋敷を作る」ことはこんなにも難しいのか!果ての無い作業に、仲間も疲労困憊の状態で会話も少なくなり笑顔は消滅した・・・
ここからの話を書き進めるには相当の苦痛が伴う・・・

そうだ!嬉しかった事を書こう!

ある時、電話が掛かってきた。
「新聞で読みましたが町おこしのお化け屋敷を柳ヶ瀬でやるって本当ですか?」
僕は『またクレームっすか?』っと少しゲンナリしながら「はい本当です」と答えると、
返ってきたのはこんな言葉だった。
「迷惑かもしれんけど柳ヶ瀬に空いてる土地があるから期間中、駐車場として使ってくれんか? いや、お金は要らないから」
・・・僕は少し怖くなって「なんでですか?」と聞くと
「いや、補助金とか何もなく柳ヶ瀬の為に、ありがとうやわ・・・お金無いんやろ?」
と・・・あまりにも唐突な申し出に、しばし呆然としたが、間もなく激しい感動が沸いてきた。

そう、僕らにはお金が無かった。手元にあったのは息子の学資保険の100万円のみ、あとは前売りチケットを買ってもらっての資金調達が頼りだった。
そんなある日、僥倖は突然やってきた。ホワイトナイトが現れたのだ!
岐阜県遊技業組合の理事長が助成金をくれるというのだ。それも100万円の大金だ!このお金で僕たちがどれだけ救われたことか。遊技業さんは翌年も同額の助成金を戴いた。

さらに、あの美川憲一さんが僕たちを応援してくれた!
美川さんが岐阜でディナーショウを開くことを聞き、僕らは控室に訪問させていただいた。その日のMCで、美川さんは15分くらい使って僕らの事を紹介してくれたのだ。


「ね~みなさんン~ この夏にヤナガセで町おこしの お化け屋敷やろうっていう人たちがいるのよ~ 応援してあげてよ~ お願いよ~ えっ?わたしがお化けみたいなものだってぇ? おだまり!!・・・・」

なんと勿体無い・・・なんとありがたい!客席にいた僕は、思わずビールグラスを握り潰しそうになったので、あわてて隣に座っていた副代表の平井さんの手を握った・・・涙が出た!しばらく顔を上げられなかった・・・今でも美川さんは僕たちを応援してくれている、控え室で「アナタ頑張るのよ」と言ってくれた時の深い優しい瞳は忘れられない・・・・・

徒手空拳の僕たちを救ってくれた人たちへの感謝、得体のしれない僕らを助けてくれた方々への感謝は決して忘れてはいけない。

気持ちが明るくなった!書き進めよう!

製作は続く・・・そして予期しない様々なトラブルも発生しながら時は過ぎていく・・・
そして7月13日(金)のオープンを迎えた!今だから言えるが、この時お化け屋敷はまだ製作途中の状態だったのだ。その朝は夜半から降っていた雨が上がった薄曇りだった。僕は徹夜の作業を続ける仲間に「おい、もう朝やぞ・・・」と声をかけて見上げた空に映った朝焼けの事を印象深く記憶している。

ともかく僕たちのお化け屋敷はオープンした!オープンしてしまった!
この不安だらけの2ヶ月半のチャレンジが始まった!みんな必死だった。

通りで恐怖の細道の旗を狂ったように叫びながら振り続けるヤツ・・
口裂け女役たちを叱咤激励しながら支えてくれた牛抱さん、
時に自らお化けを演じて奮闘してくれた山口さん、
受付業務を進んで引き受けてくれた山口さんの奥さん、
黙々と重い鵜飼舟を引き続けるプロレスラーの刃駈、
過酷すぎる仕事に10キロも体重が落ちた屋敷長・巨椋さん、
店内美術を担当してくれた戌一君、ひとみちゃん、
そして岐阜の仲間たちも、みんな必死だった・・・・
僕は『こいつらの為なら寿命の5、6年要らないな』って本当に感じた。

そして快進撃が始まった!
「恐怖の細道」がYahoo!のトップニュースに掲載された事を皮切りに、連日連夜マスコミの取材攻勢!週末には待ち時間が4時間を超えるパニック状態の盛況ぶり!これは夢か?奇跡か?



そして、メッチャクチャだった夏が終わった。
最終的にこの年の来場者は17,900人を数えた。目標としていた数をはるかに超える、信じられない数字が残った。

9月23日。最終日を迎えた僕は『やながもんの唄』という歌をつくった。
決して出来が良い訳ではない歌だが、僕のめんどくさく素晴らしい仲間たち…
「やながもん」の事を思ってつくった歌だ。

the G Street Band 「やながもんの唄」


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