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岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

【特別編】やながもんの唄 「あの曲がり角から」

2016-06-27 13:36:36 | やながもん

【特別編】やながもんの唄 「あの曲がり角から」
~恐怖の細道・第四章に寄せて~

夕暮れの帰り道で
君たちに出会った
僕はいつまでも ここにいるから
必ず帰ってこいよ

 昨年のお化け屋敷が終わる頃、僕が作った歌だ。
「必ず帰ってこいよ」それは、あの素晴らしい51日間の狂騒に関わってくれた仲間たちに向けたメッセージでもあるが、何よりお化け屋敷を愛してくれた、あの子どもたちに対する約束の意味を込めた歌詞だ。

 口裂け女たちを、柳ケ瀬の黒い偶像(アイドル)にする!昨年の今頃、僕はそんな野望を抱いていた。
「柳ケ瀬で口裂け女に会った!」
子どもたちの胸にそんな思い出を残したかったのだ。菓子まきや路上ライブといった、彼女たちと触れ合える機会を多く設けたのも、それが理由だった。

その結果、口裂け女たちは恐れられるだけの存在から「怖いけど、大好き!」「口裂け女に会いたい!」と言われる存在へと昇華した。
中には、彼女たちに会いたくて、毎日のようにお化け屋敷に足を運ぶ少女たちもいたほどだ。


昨年のお化け屋敷最終日のこと。
最後の路上ライブと撮影会が終わり、お化け屋敷の中に戻っていく口裂け女たち。
ファンの少女たちが、彼女たちとの別れを惜しむ姿はとても切なく、いじらしく、僕の胸をしめつけた。

『また会えるよね?』

と、涙を浮かべて語りかけていたあの少女たち・・・あの子たちは今頃、どうしているのだろう?僕は昨年の夏からずっと、その事が気になっている。

『約束を守れるのかな?』

過去三回の開催でお世話になった会場・旧豊富座はもう使えない。建物の老朽化で解体が決まっている。僕自身の環境も、年々大変になっていく。そして、今年52才になる・・・もう決して若くない。むしろ、「初老」と言われてもおかしくない年代だ。

やるべきかやめるべきか?
行くべきか戻るべきか?

人生の曲がり角…?僕は…?

自問自答の中、僕の脳裏に浮かんだのは、あの日柳ケ瀬の街角で垣間見た光だった。
子どもたちの輝くような笑顔。キラキラと輝く涙。

あの光が僕を呼んでいる!
あの少女たちが待っている!
仲間たちが僕の背中を押している!
そして僕は決めた!
「夕暮れの帰り道」を更に進むことを。

今年のお化け屋敷のタイトルを決めることに、躊躇はなかった。

「あの曲がり角から」

何がその先に待っていても、僕は、やながもんは行くことにした!
昨年このコラムを書き始めた時、僕は冒頭にこう書いた。
「何かに突き飛ばされたように前に出た」と。

今になって、僕の背中を押したものが何だったのか、それが分かったような気がしている。
ありがとう。そして、今年も君たちに、待っていてくれた皆さんに会えることを楽しみにしています。四回目の「恐怖の細道」を、どうぞ宜しくお願いします。

「やながもん」柳ケ瀬お化け屋敷製作委員会代表
吉村 輝昭


恐怖の細道』2015-2016テーマ曲 the G Street Band「夕暮れの帰り道」


【特別寄稿】山口 敏太郎 「やながもんの唄」に寄せて

2015-08-18 23:52:30 | やながもん

 しかし、運命とはわからないものだ。
 この空前のブームをまき越した『柳ケ瀬お化け屋敷』は偶然から生まれている。

 福島で原発が破壊されたあの日。
 首都圏では電力会社の計画停電が噂された。

「このままでは、書籍のデザイン業務が納期に間に合わない」

 焦る社員たち。僕はある決断をする。

「東京電力の営業エリアから離脱しよう」

 昨今、我々のような編集・デザイン会社はパソコンとネット環境さえあれば何処でも業務が可能なのだ。僕は七人乗りの車にパソコン四台と社員3名、かみさん、愛犬四匹
を積んで深夜の道を爆走した。
 西へ西へ向かう途中で、かみさんが僕に聞いてきた。

「どうするの?故郷の四国に行くの?」

「それとも、関西なの?」

 この質問に対し僕はなんとなく答えてしまった。

「岐阜に行こう」

「岐阜って?一度だけ講演会をやっただけじゃない?」

「うん、でも吉村さんならなんとかしてくれる。そんな気がするんだよ」

 なんの確証もなく僕はそう思ってしまった。オカルトめいた話をするわけじゃないが、遠い昔にもこんなことがあったような気がしていた。
 そして早朝、僕たちタートルカンパニーは岐阜市内で吉村さんに再会した。

「おはようございます。吉村さん」

 必死に笑顔を作ってみたつもりだったが、そのときの僕の顔というのが酷かった。まるで戦に破れた落ち武者みたいな惨状であったらしい。
 これの再会から『口裂け女』を使った町おこしが始まり、『口裂け女祭』を経て『柳ケ瀬お化け屋敷』と進化していくのだ。
 あの時僕が吉村さんを頼らなかったら、吉村さんが受け入れてくれなかったら、『柳ケ瀬お化け屋敷』は生まれなかった。
 友情から生まれたお化け屋敷、それが『柳ケ瀬お化け屋敷』だ。

 だから、僕は仕事抜きでこの町おこしに協力している。

 見返りを求めない無償の気持ちが人から人に伝わり、その輪が大きくなっていく。

 だから、この『柳ケ瀬お化け屋敷』が多くの人々から支持されるのだろう。

 町おこしとは、経済効果だけではない。人間の思いやりを”ゆり起こす”効果もあるのだ。

 まだまだ日本は捨てたもんじゃない。我が良き友・吉村代表に感謝したい。
 

【連載・最終回】やながもんの唄 第六章「夕暮れの帰り道(下)」

2015-08-13 22:51:13 | やながもん
第六章 夕暮れの帰り道(下)


2014年の夏を僕は穏やかに迎えた。
2012年2013年と『彼女』との熱い夏を過ごした僕にとっては、拍子抜けするほどにカラッポの夏・・・僕は虚しさと悔しさを心の奥にしまい込み、会社の仕事に精を出し、生活を見つめ直して忙しく毎日を過ごしていた。
僕は考えないようにしていた・・・「失われた夏」のことを。

そんな夏のある日、小学校高学年と思われる少年3人が僕を訪ねて来てくれた。
彼らは思いつめた表情で僕の目を見据え、ゆっくりと話し始めた。
「おじさん!僕らは柳ヶ瀬のお化け屋敷が日本一やと思っとるんやよ、お願いやから、またやって下さい」
――予想もしなかった彼らの言葉に、僕は「ごめんなぁ・・・」と返すのが精一杯だった。

その夜、僕は彼らの表情と言葉が頭にへばりついたように離れなかった。


『日本一』――僕たちのお化け屋敷は、柳ヶ瀬の町おこしの手段として作ったものであり、ビジネスとして考えているわけでもないし、お化け屋敷業界に参入したつもりもない。正直言って、『日本一』なんて意識したことすら無かった。きっと彼らは、富士急や台場の怪奇学校に行ったことも無いだろう。調子のいいこと言いやがって・・・
だが、そんな自問自答を繰り返すうちに、僕は気がついていた。

『心に火が灯った』ことに。


小さな心に萌芽した地域愛、そしてそれは柳ヶ瀬を日本一だと思ってくれている・・・
なんだ?このデジャブ感は? ああ・・・5歳の僕か?迷子の僕がみた・・・
僕らのチャレンジは街の子どもたちに、そんな幻想を抱かせたのか?
『日本一』というワードが頭に引っかかったまま、2014年の夏の終わり、僕は彼らのことを思い浮かべてこう誓った。「ごめんな・・・来年はやるから・・・」と。

そして、僕はゆっくりと考え始めた、2015年のお化け屋敷のことを。
もうサブタイトルは決めていた。
『夕暮れの帰り道』


誰しもが子どもの時に感じた夕暮れ時の切ない、そして不安な気持ち。それでも帰らなければいけない帰り道を、そして辿りついた『家』の温もりを題材にしたお化け屋敷を作ろう!こうなると僕の得意分野だ。『ああしよう!ふむふむ・・ガキどもの悲鳴が聞こえるぜっ』妄想、空想がとめどなく頭の中で膨れ上がっていく・・・まだ「やながもん」の仲間にも2015年の復活を伝えてはいなかったが、僕の頭のなかでは着々と青写真が出来上がりつつあった。

そんな秋の日のこと。僕は一人の映画監督と出会った。


井坂 聡 さん
1960 年東京生まれ。
大学卒業後、フリーの助監督として瀬川昌治監督、東陽一監督に師事。
1992 年テレビドラマで監督デビュー後、数本のドラマ作品を経て、1996 年 『Focus』で劇場用映画初監督、その後、コンスタントに映画・テレビドラマ作 品を発表している。最近は舞台演出にも進出。
主な映画作品は『破線のマリス』『ミスター・ルーキー』『g@me.』『象の背中』


この年、山口さん主催の「柳ヶ瀬ホラーナイト」というイベントが開催され、僕はそこで「アンフィニ」「同居人」という彼が撮ったホラームービーを観る機会に恵まれた。
著名な俳優が出演している訳では無く、おそらく低予算の短編映画なのだが、短編ならではのスピード感と焦点を絞った構成は、観るものの集中力を研ぎ澄ませていく・・・
これがプロの本物の映画監督の仕事か!そして、目の前に、その井坂監督がいる・・・チャンスだ・・・話そう!

井坂さんは、良識と礼節があり、何よりも優しい人だった・・・
憧れを仕事にしている故の少年っぽい雰囲気と一途に突き進んだ故の求道者の凄みを兼ね備えた男、それが井坂さんだった。

彼はおそらく挨拶程度の気持ちで「吉村さん、今度東京で飲みましょうね」と言ってくれた。僕は爽やかに「はいっ!是非」と答えたが内心『よ~し言ったなぁ井坂さん、絶対行くからなぁ~!』と思っていた。

低予算 ショートムービー ホラー 井坂さん・・・夕暮れの帰り道


再び僕の頭の中で『何か』が繋がった!
『そうだ!夕暮れの帰り道というタイトルのショートホラームービーを低予算(すみません)で井坂さんに撮ってもらおう!』・・・

日本を代表する映画監督に対して無謀で失礼極まりない思いつきだ。分かっている、分かってはいるが僕の気持ちは止まらなかった。まだ寒い翌年3月20日の夕方、僕は品川の居酒屋で井坂さんと待ち合わせた。そして酒を酌み交わしながら、僕の思いを語らせてもらった。お化け屋敷のこと、コラボムービーのこと・・・こんな田舎のバカな人間の分かりにくい話を彼は真剣に聞いてくれた。

成った!!承諾してくれた!


僕は、その日の夜、心地よく酔った夢見心地の気分で最終の新幹線に乗って岐阜に帰った。




全ての準備は整った。5月22日、僕たち「やながもん」は「恐怖の細道~夕暮れの帰り道」の開催を正式に発表した。



記者会見の席上で、僕はこう宣言した。「柳ヶ瀬に『日本一』の価値を作る」と。日本一面白く、怖いお化け屋敷を目指すのはもちろんだが、「柳ヶ瀬が日本一だ!」と思ってくれる子どもたち、地域に誇りを持ってくれる若者たちを増やしたい!という思いから、あえて『日本一』というキーワードを使わせていただいた。会見には、山口さんも、井坂さんも、再び共催してくれた柳商連さんも集まってくれた。あの少年たちが僕の心に灯した炎は、どんどん大きくなっていた。

井坂さんは、6月12日に撮影の為に、再び岐阜に来てくれた。さのてつろうさんという腕利きのカメラマンを伴って。この時のエピソードについては別の機会に譲るが、撮影最終日にみんなで見た夕焼けのことは、僕は一生忘れないだろう。ずっと曇っていた空が奇跡のように晴れ、今まで見たことが無いような綺麗な夕焼けが広がったあの時・・・とにかく完成した『夕暮れの帰り道』という映画を多くの人に観てもらいたい、岐阜という場所を舞台にした少年の心に映る夕暮れの帰り道の恐怖を映した傑作である。

そして7月19日、岐阜 柳ヶ瀬お化け屋敷 恐怖の細道~夕暮れの帰り道~は無事オープンを迎えることが出来た。この『やながもんの唄』というブログは、本当はオープンまでに書き終える予定だったのだが・・・執筆中の今は8月12日・・・駄文の上に遅筆・・・誠に申し訳ない。
されど、今年のお化け屋敷は2012年・2013年、そして失われた2014年を経た「恐怖の細道」の集大成であり最高傑作と自信を持って言える!過去の良い部分の踏襲と新しい試みが融合している。何より、誰しもが持っている「記憶」に襲いかかるお化け屋敷というコンセプトを余すところ無く表現できたと感じている。

「怖いけれど、楽しい」それが「恐怖の細道」の目指すところだ。お化け屋敷の出口から、悲鳴をあげながらも笑顔で出てくるお客さんたち――僕の心は幸せに満ちている。
再び、僕の柳ヶ瀬はキラキラした子どもたちの笑顔に溢れた街になった!




「行き道」と「帰り道」。僕の帰り道はどこから始まったのだろう・・・多分それは45歳の時、山口さんと出会ってからだと思う。燻り続けた「行き道」。それでも僕は心を滾らせて生きてきたつもりだ。そして今「帰り道」。この5年間で色んな人に出会った・・・

今、僕はその人たちを思いだしている。
表情や言葉、仕草の全てを思い出している。
僕の内で起きた歓喜や失望、怒り、希望が『やながもん』たちの中に溶け込んで美しく反射している。

おかげさまだぁ・・・みんなのおかげだ・・・

魂コガシテ生きてきてよかった!

(完)

the G Street Band「魂コガシテが聞こえる」


【連載】やながもんの唄・第六章「夕暮れの帰り道(上)」

2015-08-07 10:33:26 | やながもん
第6章 夕暮れの帰り道 上


僕は生まれつきの方向音痴で、よく道に迷ってしまう。

子どもの頃に母の在所で昼過ぎから無軌道な散策に出掛けた時のことだ。
牧歌的な田舎の風景はみずみずしく、とても新鮮だった・・・村を流れる洗濯場を兼ねた川に下りると、ザリガニやメダカやフナ・・・その他にも名前を知らない生き物が沢山いて、幼い僕の好奇心は大いにくすぐられた。少し進むと牛とか馬もいて、驚きと喜びがどんどん加速していったのを覚えている。神社で地元の子どもたちが缶ケリをしていたので仲間にいれてもらった、ルールの違いに戸惑いながらも僕は時間を忘れて遊んでいた・・・だが5時か?5時半か?ウルトラマンの再放送の時間になると、彼らはそれぞれの家に帰っていってしまった。

僕も帰らなければ・・・『ここは何処?』・・・・・

方向音痴の上に土地勘が無く、楽しさのあまり無軌道に進んだ『行き道』――
どうやって帰ればいいのか?僕は心細さを押し殺し、不安な『帰り道』を歩き始めた。
田舎には街灯も無く、家も少ない・・・なのに神社や墓場は多い。

日が暮れてしまえば漆黒の世界が待っている。もうすぐ夜がくる、夕焼けが赤く染める田んぼ道を僕は走ったり立ち止まったりしながら『帰り道』を探した・・・昼間はあんなに優しかった田舎の風景は、日没に向かって刻一刻と風景と僕の心に恐怖の闇を増幅させていった。

いつの間にか僕は『行き道』には無かった雑木林に迷い込んでいた。
カラスの鳴き声や犬の遠吠えが聞こえてきたり、
ポツンとある茅葺屋根の民家からはお経が聞こえてきたり、
突然「ゴワ~ン」というお寺の鐘の音が鳴ったり、
人か?と思えば案山子だったり・・・
僕は夕暮れの恐怖に慄きながら無我夢中で帰り道を探していた。

――夜の帳が下りて僕の心を絶望が覆った時・・・「おい、テルアキどこ行ってたんや?」という柔らかい関西弁が聞こえた、オジサンが僕を見つけてくれたのだ。
僕は助かった・・・優しいオジサンと僕はカケッコで競争しながら家に帰った。
これが僕の怖いけど懐かしい少年時代の想い出。
「夕暮れの帰り道」。

【連載】やながもんの唄・第五章「一人飲みの夜」

2015-07-31 23:45:01 | やながもん
第五章 一人飲みの夜



2013年の岐阜 柳ヶ瀬お化け屋敷 恐怖の細道『あの夏の忘れ物』は、最終的に2万2千人を越える動員を果たし、収益も上がり成功の内に幕を閉じた。

僕は、この「恐怖の細道」という『女』に悩み苦しみ、随分と酷い目にもあったが、彼女が僕にくれた2年に渡る夏の体験は誰も経験した事が無い素晴らしいものだった。

間違いなく僕は彼女を愛している


2012年・2013年の経験と確かな手ごたえを感じた僕は更なる夢を描いた。

柳ヶ瀬の夏の途絶えることの無い風物詩になりたい!


その時点で僕はすでに49歳になっていた・・・もう若くない、「やながもん」の仲間たちも同様だ。事業の継続性、いや永続性を考えて主催をより「公」にシフトしていくべきだと考えた。「やながもん」は創業の誇りを持って後方支援に廻り、文字通りバックアップする形を取り、主催を柳ケ瀬商店街に移す。いつか美川憲一さんに言われた「10年続けないとダメよ、10年続いてやっと本物なんだから」という言葉。その最適解が「公」へのシフトだった。

僕は先方の迷惑を承知の上で柳商連(柳ヶ瀬商店業連合)にお願いした。
「私たちのお化け屋敷を引き継いで下さい」と。
果たして、僕の無理なお願いを柳商連は承諾してくれた!・・・感激した!
収益金も全部渡すことにした、感謝状までいただいた、うれしかった・・・
何よりも僕が2年間背負った実行委員長という重責から開放されたことが、そして2013年~2014年へお化け屋敷のタスキが繋がった事が!

安堵と達成感に満ちた僕は2014年の夏に一人の市民として3年目のより公にシフトされた形で開催されているお化け屋敷に参加している自分を思い浮かべていた・・・幸せだ。

しかし結果として2014年のお化け屋敷は開催されなかった。


・・・僕は本当は分かっていた。薄ボンヤリとだけど知っていたのだ・・・2014年が休催になる事を。三年目のシフトが時期尚早である事を。何より「彼女」は僕じゃなきゃ無理だって知っていたんだ・・・
『運命』――上手く言えないけれど、5歳の時に迷子になって途方に暮れた柳ケ瀬、中二の時に都市伝説の彼女と出会ったこと、45歳の時に山口 敏太郎さんと出会い「やながもん」たちと出会ったこと・・・運命など信じてはいない僕だけど、これまでの道のりは「必然」と言えるものだった。僕は何かに導かれるようにココまで来たんだ・・・
このブログの冒頭に、僕はこう書いた。『何かに突き飛ばされるように前に出た』って。

幼少の時にみた日本一の賑わいも、ゴジラもポルノ映画館のポスターも柳ヶ瀬を舞台にした青春の思い出も、大人になって見た残念な柳ヶ瀬も真鶴でみた月も・・・・
僕を「彼女」に会わせる為に綿密に仕組まれた「運命の罠」だってことを。
僕じゃなきゃ無理だって知っていたんだ・・・・・

本当はあまりにも重い「彼女」から、自由になりたかっただけだったんだ。
僕はズルい男だ。

柳商連には悪いことをした。
2013年の閉幕時の興奮から時が過ぎ、熱が引き現実が顕になって行く。彼らは柳ヶ瀬という個人商店主を主とする商店街のリーダーであり、その人たちの為に複雑な意見調整をする役、一年を通して様々なイベントを企画していく役、他にも僕が知らない沢山の仕事をこなしている。そこに加えて、「恐怖の細道」の運営で夏を忙殺される、いや企画から整理までを含めると春から秋まで掛かる事業を平行してこなす・・・「やっぱり無理だ」そんな意見が出ることは、無理からぬ事だった。

年が変わり、徐々に休催が濃厚になっていく。自然と仲良かった柳ヶ瀬の仲間たちともギスギスしたやり取りが多くなっていく・・・「やるって言ったやんか?」僕のそんな言葉がどれ程彼らを苦しめただろうか。本当にゴメン、悪いのはズルイ僕なのに・・・
でも「僕は彼女を愛していたんだ、彼女のいない夏なんて考えられないんだ!」

春が過ぎていこうとしている5月だったか・・・
2014年のお化け屋敷の開催を僕は諦めた。

僕は辛い時、苦しい時、何故か一人になろうとする、この時の心情を歌った歌が
「一人飲みの夜」だ・・・

the G Street Band×野々田万照 「一人飲みの夜」


次章完結6章 『夕暮れの帰り道』