岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

口裂け女軍団大暴れ!「ナニコレ珍百景」撮影

2015-08-29 01:28:47 | 日記

8月26日、「恐怖の細道」にてテレビ朝日系「ナニコレ珍百景」の撮影がありました。



2012年、第一回の「恐怖の細道」開催時に珍百景認定をいただいた当お化け屋敷ですが、何と!毎回この番組に取り上げていただいており、今回が同番組3度目の登場となります。投稿いただいた方、誠にありがとうございます!

どんな収録内容だったか、それはぜひオンエアをお待ちいただきたいと思いますが、撮影の様子を一枚だけご紹介。

口裂け女さんに詰め寄られているのは、今回番組に投稿いただいたカップルの彼女さん。
あれ?何だか口裂け女の数多くない?


何と、今回の撮影には合計8人もの口裂け女さんが大集合したのでした!ちなみに、ここに登場しなかった口裂け女もあと2人います。「恐怖の細道」には何度も訪れていただくリピーターさんが多いのですが、それは個性的な彼女たちの誰に出逢えるか、その時によって変わるから、なのかも知れません。


番組収録を記念して、普段は休日のみ行っている「口裂け女の歌謡ショー」も開催!
この日は平日にもかかわらず多くのお客様にご来場いただき、口裂け女さんのテンションもいつも以上!
ちなみにこの歌謡ショーも、どの口裂け女が登場するかはその時々で違います。ぜひ入場待ちのひとときにお楽しみいただければと思います。



続いては、「恐怖の細道」開幕日以来の「口裂け女のお菓子まき」!
すっかりお馴染みとなったこの「お菓子まき」ですが、口裂け女が行うそれは一味違います。

全力で投げる!

投げる!

投げつける!
(もちろん、安全には配慮しています)

「お菓子まき」というより「菓子ぶつけ」という表現が似合いそうな感じですが、毎回大変好評をいただいております。この「口裂け女のお菓子まき」は、9月23日のグランドフィナーレ日にも開催予定ですので、皆さんお楽しみに!

というわけで、お祭り感あふれるテレビ収録となりました!お集まりの皆様、誠にありがとうございました。
放映日につきましては、決定次第お知らせいたします。

あ、そうそう!好評につき品切れとなっておりました「口裂け女のブロマイド」「口裂け女飴」が再入荷しております。

ブロマイドは全て口裂け女さんのサイン入り!
枚数に限りがございますので、ぜひ早めにお買い求めください。

いよいよ「恐怖の細道~夕暮れの帰り道~」も通常営業は残すところ2日間。
(9月は土日祝日のみの営業となります)夏の最後の思い出に、ぜひ柳ヶ瀬お化け屋敷にお越しください。


「夕暮れの帰り道」上映会&やながもんナイト2、開催しました!

2015-08-25 10:11:33 | 日記
 8月16日(日)、「恐怖の細道」ではスペシャルイベントとしてコラボムービー「夕暮れの帰り道」上映会、そして座談会、怪談ライブ、トークショーと盛り沢山の「やながもんナイト2」を開催いたしました。

■「夕暮れの帰り道」上映会
 今回の「恐怖の細道」の目玉企画であるコラボムービー「夕暮れの帰り道」。監督・脚本・編集を担当していただいた井坂聡さん、撮影のさのてつろうさん、そして双子の妹である口裂け女が主演したという牛抱せん夏さんをお迎えし、柳ヶ瀬CINEXにて開催された上映会。でも、その前に…



 お三方にはお化け屋敷にご入場いただきました!井坂監督、さのさんはこれが「恐怖の細道」初体験(お化け屋敷に入ること自体が数十年ぶりだったそうです)。写真は入場直後、暗闇で流れる映像を見ているシーン。既にご入場いただいた方はご存知かと思いますが、今回の「恐怖の細道」では入場直後に映像が流れる仕掛けとなっています。この映像も井坂監督の手によるもの。こちらの映像は、コラボムービー「夕暮れの帰り道」の内容をギュッと凝縮したものになっています。



 そうこうしているうちに、お化け屋敷店頭には牛抱さんの双子の妹、口裂け女さんが出現!すっかりおなじみの持ち歌、「口裂け女のブルース」を熱唱しました。恐怖の細道では、週末に不定期でゲリラライブ「口裂け女歌謡ショー」を開催しております。普段はお化け屋敷内にいる口裂け女たちと屋外で触れ合うことができ、写真撮影も可能なこのイベント、毎回多くのお客様に訪れていただいております。



 そして18時から開催の「夕暮れの帰り道」上映会には、プロデューサーの山口敏太郎さんも合流!この日は「夕暮れの帰り道」に加え、牛抱せん夏さん原作、山口プロデューサー監修、そして井坂聡さんが監督を務めたショートムービー「同居人」も上映され、それぞれの撮影エピソードを交えて、舞台挨拶を行いました。
そして、この場で吉村代表から「恐怖の細道~夕暮れの帰り道~」の開催期間延長決定が発表されました。

「恐怖の細道~夕暮れの帰り道~」は、9月23日まで、土日祝日限定でアンコール営業を行います!

皆様のご来場をお待ちしています。



 なお、この上映会の模様は、映画情報サイト「シネマカラーズ」様にご取材いただきました。
こちらの記事も、ぜひご覧になってください!
【→柳ケ瀬が お化け屋敷の 怖い理由(ワケ) 『夕暮れの帰り道』上映会 潜入記】

 コラボムービー「夕暮れの帰り道」は、お化け屋敷会場にて1枚1,000円(税込)にて販売中です。まだ見ていない方、上映会or前夜祭で見たけれど、もう一度見てみたいという貴方、ぜひお買い求めください。

■「やながもんナイト2」

 19時30分からは、場所をエムズカフェに移して「やながもんナイト2」を開催しました。上映会からそのままご参加いただいた方も多くいらっしゃいました。誠にありがとうございます。

 
 まずは井坂監督、さのカメラマン、「やながもん」吉村代表による座談会からスタート。井坂監督の音頭で、参加者全員での乾杯からイベントスタートとなりました。少しお酒も入ったということで、上映会での舞台あいさつでは語りきれなかった数々の撮影エピソードが披露されました。映画冒頭の印象的な夕陽のシーンを捉えるため、スタッフ全員が全力疾走したこと、迷路のようなアーケードに迷い込んだシーンは早回しを使わず、さのカメラマンが全力疾走して撮影した画であるなどなど、とにかく「走った」この映画の撮影でありました。


 続いては、牛抱せん夏さんによる怪談ライブ。上映会にて「夕暮れの帰り道」と同時上映された「同居人」の元ネタとなったという、牛抱さん自身が住んでいたアパートで起きた怪奇現象の数々が語られました。ちなみに「同居人」に登場した、部屋に現れた謎の女の子は、先日数年ぶりに姿を現して、またスーッと消えていったそうです・・・


 まだまだ続く「やながもんナイト2」は、山口敏太郎プロデューサーによる「世界の陰謀」トークショーに突入。世に言う「陰謀論」の中に潜む真実とは何か、現在の世界情勢で次に動く国はどこか・・・などなど、都市伝説から国際政治に至るまで、さまざまな切り口でズバリと斬り込む山口敏太郎節を十分に堪能した時間となりました。どんな事が語られたかは、訪れていただいた方のみが知っている・・・


 そしてイベントの最後には、「口裂け女のブルース」に呼び込まれて、口裂け女軍団が乱入!訪れていただいた皆様とのフォトセッションタイムでイベントは幕を閉じました。

 「恐怖の細道~夕暮れの帰り道~」レギュラー営業終了まで、残り1週間(~8月30日まで)!
グランドフィナーレとなる9月23日には、また皆様に楽しんでいただけるイベントを企画しておりますので、皆様またぜひお越し下さい。
 

【特別寄稿】山口 敏太郎 「やながもんの唄」に寄せて

2015-08-18 23:52:30 | やながもん

 しかし、運命とはわからないものだ。
 この空前のブームをまき越した『柳ケ瀬お化け屋敷』は偶然から生まれている。

 福島で原発が破壊されたあの日。
 首都圏では電力会社の計画停電が噂された。

「このままでは、書籍のデザイン業務が納期に間に合わない」

 焦る社員たち。僕はある決断をする。

「東京電力の営業エリアから離脱しよう」

 昨今、我々のような編集・デザイン会社はパソコンとネット環境さえあれば何処でも業務が可能なのだ。僕は七人乗りの車にパソコン四台と社員3名、かみさん、愛犬四匹
を積んで深夜の道を爆走した。
 西へ西へ向かう途中で、かみさんが僕に聞いてきた。

「どうするの?故郷の四国に行くの?」

「それとも、関西なの?」

 この質問に対し僕はなんとなく答えてしまった。

「岐阜に行こう」

「岐阜って?一度だけ講演会をやっただけじゃない?」

「うん、でも吉村さんならなんとかしてくれる。そんな気がするんだよ」

 なんの確証もなく僕はそう思ってしまった。オカルトめいた話をするわけじゃないが、遠い昔にもこんなことがあったような気がしていた。
 そして早朝、僕たちタートルカンパニーは岐阜市内で吉村さんに再会した。

「おはようございます。吉村さん」

 必死に笑顔を作ってみたつもりだったが、そのときの僕の顔というのが酷かった。まるで戦に破れた落ち武者みたいな惨状であったらしい。
 これの再会から『口裂け女』を使った町おこしが始まり、『口裂け女祭』を経て『柳ケ瀬お化け屋敷』と進化していくのだ。
 あの時僕が吉村さんを頼らなかったら、吉村さんが受け入れてくれなかったら、『柳ケ瀬お化け屋敷』は生まれなかった。
 友情から生まれたお化け屋敷、それが『柳ケ瀬お化け屋敷』だ。

 だから、僕は仕事抜きでこの町おこしに協力している。

 見返りを求めない無償の気持ちが人から人に伝わり、その輪が大きくなっていく。

 だから、この『柳ケ瀬お化け屋敷』が多くの人々から支持されるのだろう。

 町おこしとは、経済効果だけではない。人間の思いやりを”ゆり起こす”効果もあるのだ。

 まだまだ日本は捨てたもんじゃない。我が良き友・吉村代表に感謝したい。
 

【連載・最終回】やながもんの唄 第六章「夕暮れの帰り道(下)」

2015-08-13 22:51:13 | やながもん
第六章 夕暮れの帰り道(下)


2014年の夏を僕は穏やかに迎えた。
2012年2013年と『彼女』との熱い夏を過ごした僕にとっては、拍子抜けするほどにカラッポの夏・・・僕は虚しさと悔しさを心の奥にしまい込み、会社の仕事に精を出し、生活を見つめ直して忙しく毎日を過ごしていた。
僕は考えないようにしていた・・・「失われた夏」のことを。

そんな夏のある日、小学校高学年と思われる少年3人が僕を訪ねて来てくれた。
彼らは思いつめた表情で僕の目を見据え、ゆっくりと話し始めた。
「おじさん!僕らは柳ヶ瀬のお化け屋敷が日本一やと思っとるんやよ、お願いやから、またやって下さい」
――予想もしなかった彼らの言葉に、僕は「ごめんなぁ・・・」と返すのが精一杯だった。

その夜、僕は彼らの表情と言葉が頭にへばりついたように離れなかった。


『日本一』――僕たちのお化け屋敷は、柳ヶ瀬の町おこしの手段として作ったものであり、ビジネスとして考えているわけでもないし、お化け屋敷業界に参入したつもりもない。正直言って、『日本一』なんて意識したことすら無かった。きっと彼らは、富士急や台場の怪奇学校に行ったことも無いだろう。調子のいいこと言いやがって・・・
だが、そんな自問自答を繰り返すうちに、僕は気がついていた。

『心に火が灯った』ことに。


小さな心に萌芽した地域愛、そしてそれは柳ヶ瀬を日本一だと思ってくれている・・・
なんだ?このデジャブ感は? ああ・・・5歳の僕か?迷子の僕がみた・・・
僕らのチャレンジは街の子どもたちに、そんな幻想を抱かせたのか?
『日本一』というワードが頭に引っかかったまま、2014年の夏の終わり、僕は彼らのことを思い浮かべてこう誓った。「ごめんな・・・来年はやるから・・・」と。

そして、僕はゆっくりと考え始めた、2015年のお化け屋敷のことを。
もうサブタイトルは決めていた。
『夕暮れの帰り道』


誰しもが子どもの時に感じた夕暮れ時の切ない、そして不安な気持ち。それでも帰らなければいけない帰り道を、そして辿りついた『家』の温もりを題材にしたお化け屋敷を作ろう!こうなると僕の得意分野だ。『ああしよう!ふむふむ・・ガキどもの悲鳴が聞こえるぜっ』妄想、空想がとめどなく頭の中で膨れ上がっていく・・・まだ「やながもん」の仲間にも2015年の復活を伝えてはいなかったが、僕の頭のなかでは着々と青写真が出来上がりつつあった。

そんな秋の日のこと。僕は一人の映画監督と出会った。


井坂 聡 さん
1960 年東京生まれ。
大学卒業後、フリーの助監督として瀬川昌治監督、東陽一監督に師事。
1992 年テレビドラマで監督デビュー後、数本のドラマ作品を経て、1996 年 『Focus』で劇場用映画初監督、その後、コンスタントに映画・テレビドラマ作 品を発表している。最近は舞台演出にも進出。
主な映画作品は『破線のマリス』『ミスター・ルーキー』『g@me.』『象の背中』


この年、山口さん主催の「柳ヶ瀬ホラーナイト」というイベントが開催され、僕はそこで「アンフィニ」「同居人」という彼が撮ったホラームービーを観る機会に恵まれた。
著名な俳優が出演している訳では無く、おそらく低予算の短編映画なのだが、短編ならではのスピード感と焦点を絞った構成は、観るものの集中力を研ぎ澄ませていく・・・
これがプロの本物の映画監督の仕事か!そして、目の前に、その井坂監督がいる・・・チャンスだ・・・話そう!

井坂さんは、良識と礼節があり、何よりも優しい人だった・・・
憧れを仕事にしている故の少年っぽい雰囲気と一途に突き進んだ故の求道者の凄みを兼ね備えた男、それが井坂さんだった。

彼はおそらく挨拶程度の気持ちで「吉村さん、今度東京で飲みましょうね」と言ってくれた。僕は爽やかに「はいっ!是非」と答えたが内心『よ~し言ったなぁ井坂さん、絶対行くからなぁ~!』と思っていた。

低予算 ショートムービー ホラー 井坂さん・・・夕暮れの帰り道


再び僕の頭の中で『何か』が繋がった!
『そうだ!夕暮れの帰り道というタイトルのショートホラームービーを低予算(すみません)で井坂さんに撮ってもらおう!』・・・

日本を代表する映画監督に対して無謀で失礼極まりない思いつきだ。分かっている、分かってはいるが僕の気持ちは止まらなかった。まだ寒い翌年3月20日の夕方、僕は品川の居酒屋で井坂さんと待ち合わせた。そして酒を酌み交わしながら、僕の思いを語らせてもらった。お化け屋敷のこと、コラボムービーのこと・・・こんな田舎のバカな人間の分かりにくい話を彼は真剣に聞いてくれた。

成った!!承諾してくれた!


僕は、その日の夜、心地よく酔った夢見心地の気分で最終の新幹線に乗って岐阜に帰った。




全ての準備は整った。5月22日、僕たち「やながもん」は「恐怖の細道~夕暮れの帰り道」の開催を正式に発表した。



記者会見の席上で、僕はこう宣言した。「柳ヶ瀬に『日本一』の価値を作る」と。日本一面白く、怖いお化け屋敷を目指すのはもちろんだが、「柳ヶ瀬が日本一だ!」と思ってくれる子どもたち、地域に誇りを持ってくれる若者たちを増やしたい!という思いから、あえて『日本一』というキーワードを使わせていただいた。会見には、山口さんも、井坂さんも、再び共催してくれた柳商連さんも集まってくれた。あの少年たちが僕の心に灯した炎は、どんどん大きくなっていた。

井坂さんは、6月12日に撮影の為に、再び岐阜に来てくれた。さのてつろうさんという腕利きのカメラマンを伴って。この時のエピソードについては別の機会に譲るが、撮影最終日にみんなで見た夕焼けのことは、僕は一生忘れないだろう。ずっと曇っていた空が奇跡のように晴れ、今まで見たことが無いような綺麗な夕焼けが広がったあの時・・・とにかく完成した『夕暮れの帰り道』という映画を多くの人に観てもらいたい、岐阜という場所を舞台にした少年の心に映る夕暮れの帰り道の恐怖を映した傑作である。

そして7月19日、岐阜 柳ヶ瀬お化け屋敷 恐怖の細道~夕暮れの帰り道~は無事オープンを迎えることが出来た。この『やながもんの唄』というブログは、本当はオープンまでに書き終える予定だったのだが・・・執筆中の今は8月12日・・・駄文の上に遅筆・・・誠に申し訳ない。
されど、今年のお化け屋敷は2012年・2013年、そして失われた2014年を経た「恐怖の細道」の集大成であり最高傑作と自信を持って言える!過去の良い部分の踏襲と新しい試みが融合している。何より、誰しもが持っている「記憶」に襲いかかるお化け屋敷というコンセプトを余すところ無く表現できたと感じている。

「怖いけれど、楽しい」それが「恐怖の細道」の目指すところだ。お化け屋敷の出口から、悲鳴をあげながらも笑顔で出てくるお客さんたち――僕の心は幸せに満ちている。
再び、僕の柳ヶ瀬はキラキラした子どもたちの笑顔に溢れた街になった!




「行き道」と「帰り道」。僕の帰り道はどこから始まったのだろう・・・多分それは45歳の時、山口さんと出会ってからだと思う。燻り続けた「行き道」。それでも僕は心を滾らせて生きてきたつもりだ。そして今「帰り道」。この5年間で色んな人に出会った・・・

今、僕はその人たちを思いだしている。
表情や言葉、仕草の全てを思い出している。
僕の内で起きた歓喜や失望、怒り、希望が『やながもん』たちの中に溶け込んで美しく反射している。

おかげさまだぁ・・・みんなのおかげだ・・・

魂コガシテ生きてきてよかった!

(完)

the G Street Band「魂コガシテが聞こえる」


【連載】やながもんの唄・第六章「夕暮れの帰り道(上)」

2015-08-07 10:33:26 | やながもん
第6章 夕暮れの帰り道 上


僕は生まれつきの方向音痴で、よく道に迷ってしまう。

子どもの頃に母の在所で昼過ぎから無軌道な散策に出掛けた時のことだ。
牧歌的な田舎の風景はみずみずしく、とても新鮮だった・・・村を流れる洗濯場を兼ねた川に下りると、ザリガニやメダカやフナ・・・その他にも名前を知らない生き物が沢山いて、幼い僕の好奇心は大いにくすぐられた。少し進むと牛とか馬もいて、驚きと喜びがどんどん加速していったのを覚えている。神社で地元の子どもたちが缶ケリをしていたので仲間にいれてもらった、ルールの違いに戸惑いながらも僕は時間を忘れて遊んでいた・・・だが5時か?5時半か?ウルトラマンの再放送の時間になると、彼らはそれぞれの家に帰っていってしまった。

僕も帰らなければ・・・『ここは何処?』・・・・・

方向音痴の上に土地勘が無く、楽しさのあまり無軌道に進んだ『行き道』――
どうやって帰ればいいのか?僕は心細さを押し殺し、不安な『帰り道』を歩き始めた。
田舎には街灯も無く、家も少ない・・・なのに神社や墓場は多い。

日が暮れてしまえば漆黒の世界が待っている。もうすぐ夜がくる、夕焼けが赤く染める田んぼ道を僕は走ったり立ち止まったりしながら『帰り道』を探した・・・昼間はあんなに優しかった田舎の風景は、日没に向かって刻一刻と風景と僕の心に恐怖の闇を増幅させていった。

いつの間にか僕は『行き道』には無かった雑木林に迷い込んでいた。
カラスの鳴き声や犬の遠吠えが聞こえてきたり、
ポツンとある茅葺屋根の民家からはお経が聞こえてきたり、
突然「ゴワ~ン」というお寺の鐘の音が鳴ったり、
人か?と思えば案山子だったり・・・
僕は夕暮れの恐怖に慄きながら無我夢中で帰り道を探していた。

――夜の帳が下りて僕の心を絶望が覆った時・・・「おい、テルアキどこ行ってたんや?」という柔らかい関西弁が聞こえた、オジサンが僕を見つけてくれたのだ。
僕は助かった・・・優しいオジサンと僕はカケッコで競争しながら家に帰った。
これが僕の怖いけど懐かしい少年時代の想い出。
「夕暮れの帰り道」。