岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

Go!Go!憲ちゃん!おめでとうデビュー55周年

2019-06-28 23:30:09 | 日記

 

 私たち「やながもん」の名誉顧問であると同時に、柳ヶ瀬というまちの象徴的な存在である美川憲一さん。私たちと美川さんとの関わりについては過去の記事(→やながもんの唄~美川憲一さん編~)をご一読いただきたいですが、2012年の「恐怖の細道」初回開催時からずっと、私たちの活動を応援していただいています。これまで、美川憲一さんのデビュー50周年である2014年に「お帰り、憲ちゃん!お帰り、柳ケ瀬ブルース!」として、柳ヶ瀬ブルース発売50周年となる2016年には「憲ちゃんまつり」として美川さんを柳ケ瀬にお招きしてきました。

 そして、今年は美川さんのデビュー55周年であると同時に、新年号「令和」の始まりの年。昭和の名曲「柳ヶ瀬ブルース」がこれからも歌い継がれていくことを願い、「GO!GO!憲ちゃん!おめでとうデビュー55周年」を去る6月23日(日)に開催させていただきました。

 今回のイベントには、は葵一門 劇団舞姫の座長・葵好太郎さんのご協力をいただき、今年の「恐怖の細道」の舞台となるドン・キホーテ柳ケ瀬店と同じビルに存在する「ぎふ葵劇場」での開催となりました。会場は満員に膨れ上がり、補助席を出すほどの大盛況となりました。誠にありがとうございます。

 まずは劇団舞姫によるステージからスタート。伝統と現代的センスが入り交じるエンターテイメントとしての大衆演劇で、会場を大いに盛り上げていただきました。大衆演劇の醍醐味とも言える「早替え」も随所で披露。このイベントの前に行われた「口裂け女オーディション」を含めると、いったい葵好太郎さんはこの日何度着替えたのでしょう…。

 そして午後6時、いよいよ美川憲一さんのステージがスタート。名曲「おんなの朝」からスタートしたステージは、新曲「愛染橋を渡ります」、そしてヒットナンバー「さそり座の女」と続き、会場のテンションは最高潮に。

 「さそり座の女」では葵好太郎さんの舞踊とのコラボレーションも実現。共演するのはこの日が初めてとのことですが、見事なステージを披露いただきました。


 岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会の松田様、岐阜市商店街振興組合連合会の古川様より、美川憲一さんに感謝の花束が送られました。美川さん本人は「この『柳ヶ瀬ブルース』がなければ、歌手を続けることは出来なかった」と言われますが、「柳ヶ瀬ブルース」のヒットによって柳ケ瀬商店街に注目が集まったのもまた事実です。

 続いては、やながもん吉村代表・葵好太郎さんを交えてのトークコーナー。「柳ヶ瀬ブルース」ヒット当時のこぼれ話に加え、美川さんからは「商店街は『人の温かみ』があるのが良いところ。これからも「柳ヶ瀬ブルース」を歌い続けられるように、頑張ってちょうだい」と熱いエールもいただきました。

 いよいよステージはクライマックスへ。「新潟ブルース」、そして「柳ヶ瀬ブルース」をご披露いただいたあとは、越路吹雪さんの「愛の讃歌」をしっとりと歌い上げた美川さん。ラストナンバーであるシャンソンの名曲「歌い続けて」まで1時間強、合計9曲をご披露いただきました。

 そして、見事に柳ケ瀬凱旋ステージを終えた美川さんのもとに現れたのは、岐阜市の柴橋正直市長でした。美川さんに会うために、この日の公務を終えてすぐに駆けつけたという市長と美川さんの握手をもって、「Go!Go!憲ちゃん」は幕となりました。

 

 イベント終了後、バックステージで美川さん・柴橋市長・吉村代表の3ショット。美川さん、そして柴橋市長の力強い後押しをいただき、我々「やながもん」は3年ぶりの「恐怖の細道」のオープンに向けて魂を焦がしてまいります。いよいよお化け屋敷開幕まで一月を切りました!どうぞご期待ください。


「やながもんの唄」~口裂け女のブルース~

2019-06-24 19:43:03 | 日記

 ブルースという音楽はアフリカから奴隷として連れてこられた人たちが過酷な労働の間に日々の悲しみや僅かな歓び(blue)を歌や音楽にして自分たちを慰める為に発生したものだそうです。

 口裂け女という存在・・・彼女は妖怪なのでしょうか?私は違うと感じています。

 彼女は悲しい事故にあったことによって変わり果てた自らの姿に苦しみ、悲しみ、魂の救いを求めて彷徨い彼女は呟く・・・・・「アタシ・・・・キレイ?」と。彼女のblueは果てしなく深くそして悲しい。

 

 私たちのお化け屋敷「恐怖の細道」にも沢山の口裂け女がいました。彼女たちはお化け屋敷のある夏には「恐怖の細道」にいてくれますが、普段は人間の社会の中でそれぞれの生活を送っています。その姿は様々で主婦や学生、シングルマザーや女優や歌手、会社員やフリーター・・・そこにはそれぞれの営みがあり、それぞれのblueがあります。

 

 「サチ」という口裂け女がいます。

 彼女は、2012年の初年度から口裂け女をしています。役者やもちろんお化けの経験もなく、全くの素人でありました、私の荒唐無稽な『お化け屋敷計画』にシガラミの中で協力してくれていました。当初は普通のスタッフとして、会場のペンキを塗ったり、チラシを配ったりそういった協力をしてくれていました。

 しかしオープンが近づくにしたがって決定的に不足しているものがありました。

 それは「口裂け女」です。

 私の「なあ、さっちゃん・・・・口裂け女やってくれへん?」というお願いの返事も無いままに、東京から来た初代口裂け女に口を裂かれ、あわれ、さっちゃんは「口裂け女サチ」と成り果ててしまいました。彼女の大活躍がはじまりました、色んなTVやメディアが彼女の勇姿を伝えてくれました。

 もちろん問題が沢山起きました・・・・そこについて詳しく触れることは控えたいですが、私たちは共に困難、苦しみ(blue)を乗り越え歓喜の有終を迎えることができました。

 その後も2013年、2015年、2016年、2017年の夏祭りの全てに参加してくれました。

 魂が共鳴する同志というべき人の一人であります。

 

 

 そんな彼女に、言葉に出来ない悲しい出来事がありました。

 彼女を悲しみ苦しみから救いたいと願いますが力が足りません。

 

 8年という歳月の中で、私は彼女たちの様々なblueを見てきました。他愛の無いものから深く悲しいものまで・・・不甲斐ない思いばかりの我が身でありますが、僅かでも彼女たちに澄み渡る青空のblueを見せてあげることが出来たらと思っています。

 今年も先日『口裂け女オーディション』が開催されました。私たちのお化け屋敷に希望を持って参加を望んでくれた、新しい仲間が増えてくれそうです。

 また、今年もそれぞれのblueを抱えた口裂け女たちと一緒に悩み、苦しみながらも最後に一緒に青空のblueが見られるような夏にしたいと思います。

  頑張ろうね!

 「やながもん」代表 吉村 輝昭

「口裂け女のブルース」~彼女のblue~

 


第4回口裂け女オーディションを開催しました

2019-06-24 18:27:25 | 日記

 昨日6月23日(日)に、ぎふ葵劇場にて「恐怖の細道」の顔たる口裂け女役を決定する「第4回 口裂け女オーディション」を開催致しました。
「恐怖の細道」プロデューサーである山口敏太郎氏、そして葵一門 劇団舞姫の葵好太郎座長を審査員に迎えて開催した今回の「口裂け女オーディション」には、7名がエントリーしました。




左から「やながもん」吉村代表、山口敏太郎氏、葵 好太郎氏

 毎回、「口裂け女オーディション」では既定の演技をしていただくのではなく、エントリーしていただいた皆様に思い思いのパフォーマンスをしていただく方式を取っているのですが、今回も皆さんの個性が爆発!

 アカペラで唄を歌う方、自分の考える口裂け女を演じていただいた方、「恐怖の細道」のテーマソング「口裂け女のブルース」を覚えてきていただいた方、そして観覧席の一般のお客様を脅かしに行く方も。皆様の本気度を感じることができました。何より嬉しかったのは、「まちおこし」を目指している我々の考えに共鳴して応募いただいた方が多かったことでした。高校生の時にお化け屋敷に訪れて以来、いつか演じてみたいと思っていた、という方。名古屋に住んでいるが、かつて柳ケ瀬で働いていたことがあり、第2の故郷だと言ってくれた方。人を驚かせるのは苦手だけど、柳ケ瀬のまちのために力になりたい、と応募してくれた方もいました。私たちの活動が、若い世代にも届いていることを実感でき、胸が熱くなる思いでありました。

 そして、審査の時間を利用して先輩口裂け女たちによる「口裂け女の歌謡ショー」も開催!


 久々の登場となる口裂け女たちは大いに歌い、暴れまわりました!そして、この日より発売となった「恐怖の細道」の前売券をご購入いただいた方を対象に撮影会も実施。まるでアイドルのようですが、これが「恐怖の細道」の口裂け女たちのスタイルなのです。

 いよいよ審査結果の発表です。今回栄えあるグランプリに輝いたのは…

 大学生の小島麻梨亜さんでした。ダンスが得意だという彼女は、首が落ちたように見えるアイソレーションを披露。そして、「瞬きをせずに相手を見つめ続けることが出来ます」と審査員に強烈な目ヂカラをアピール。その際立った個性が評価点となり、グランプリ獲得となりました。そんな彼女に、前回のオーディションでグランプリを獲得した「口裂け女りこ」がコートをプレゼント。新たな「恐怖の細道」の顔として活躍してくれることでしょう。


 そして、準グランプリに輝いたのは、怪談師として東海地区で活躍している芳燈れい(ほうとう・れい)さんでした。普段は金髪で活動しているという彼女ですが、口裂け女になりきるために黒髪に染めたという本気度、そして怪談仕込みの呟くような、静かな怖さが評価点となりました。れいさんには、前回の準グランプリ、”青い目の口裂け女”こと口裂けメーガンからコートをプレゼント。

 そして、髪で顔を隠して登場し、名前も年齢も答えず一言志望動機を「ヤリタカッタカラ…」とだけ喋り、貞子→エクソシスト→キョンシーを演じるという独自の世界観を見せた「アユミ」さんに、葵好太郎座長から葵好太郎賞としてTシャツがプレゼントされました。

 受賞選考に漏れた方も、いずれ劣らぬパフォーマンスを見せていただきました。何より、まちおこしという私たちの理念に共鳴して応募してくれた方を落とすわけにはいかない!という吉村代表の意向により、エントリーした7名は全員合格となりました。これから彼女たちがどんな口裂け女に変貌していくのか、どうぞお楽しみに。

 「恐怖の細道」開幕まで、いよいよ1ヶ月を切りました!どうぞ新たな力が加わったお化け屋敷に、口裂け女たちに逢いに来てくださいね。


やながもんの唄~コワイはタノシイ~

2019-06-18 00:24:12 | 日記

 いよいよ開幕まで残り1ヶ月!3年ぶりに「恐怖の細道」が柳ケ瀬に帰ってきます。 これまでの良い部分は継承しつつ、より進化したお化け屋敷を皆様にお届けするべく、現在準備を進めております。どうぞお楽しみに。


 復活を機に、私たちは「恐怖の細道」というお化け屋敷をもう一度見つめ直してみました。本年、私たちは『岐阜発!アミューズメントの地産地消』というスローガンを掲げています。

分かりやすく言えば、お化け屋敷は「恐怖を楽しむ」というアミューズメントであると考えています。


 かつての賑わいを失ってしまった柳ケ瀬商店街を盛り上げるために、町おこしお化け屋敷を行うというのはどうだろうか?そう考え始めたのは今から8年前、2011年のことでした。とはいえ、それまでお化け屋敷を作ったこともない私たち。何より、私自身がホラー映画もお化け屋敷も大の苦手…。それでも、まずは自分自身が体験しなければ!そう思った私は、一念発起して全国お化け屋敷巡りツアーを敢行したのでした。


 まず体験したのが、私が「縁日型」と呼んでいるタイプのお化け屋敷でした。いわゆる、ロクロ首やのっぺらぼう、雪女などの妖怪たちが登場する、遊園地や縁日にある昔ながらのお化け屋敷。雰囲気など、参考になる部分はもちろんありましたが、正直なところ、それほど恐怖は感じませんでした。


 その次に体験したのが、近年に発生した「ストーリー+ミッション型」と呼ばれるお化け屋敷でした。これは陰惨ないじめにあって自殺した少年や、生前に男性からひどい裏切りを受けて死んでしまった女性、といったストーリーが用意されていて、来場者は例えば非業の死を遂げた主人公の怨念を慰める術(ミッション)を行うという、それまで私が体験したことの無いタイプのものでした。


 これには驚きました、本当に恐怖しました…。特に、東京にある「台場怪奇学校」では漂う恐怖のオーラに一人で入ることが出来ず、近くにいた女性に「お金は出させていただきますので一緒に入ってくれませんか?」と、まあ情けないお願いをしたものでした。(結果的にその女性は途中リタイアしてしまいましたが…)


 この強烈な恐怖体験が決定打となり、私たちは後者、つまり「ストーリー+ミッション型」の方向性を選択しました。しかし課題は残りました。まず、私たちのお化け屋敷は当時、刻々と閉まりゆくシャッター商店街であった柳ケ瀬商店街に、かつての賑わいを取り戻すことを目的とした町おこし事業です。そこに陰惨な物語は似つかわしくないのではないか?という疑問。そして、東京や大阪のような大都市でもなく、遊園地などのアミューズメント施設に存在するわけでもない、お化け屋敷のみでお客様を集めるしかない「恐怖の細道」にとって、この「ストーリー+ミッション型」という選択は果たして適切なのかという疑問もありました。さりとて、ミッション型お化け屋敷の持つ特有の没入感は捨てがたい。


 悩んだ末に私たちが導き出した答え、それは「陰惨では無い、ポジティブなストーリー」そして「誰もが知るような、圧倒的なスターの存在」でした。

 幸い、私たちには「圧倒的なスター」が居ました。昭和最大にして、最後の都市伝説、「口裂け女」です。昭和39年生まれの私は、少年時代まさに口裂け女騒動の渦中にいました。岐阜じゅうを駆け巡る彼女の噂に、夜間の外出もままならないほどに恐怖した、強烈な記憶が残っています。ですが、好奇心が強い子どものことです。中には彼女を探して出歩く者もいました。

 考えてみれば、口裂け女とは不思議な存在です。口が裂けているという一点を除けば美しい女性であり、事故によって口が裂けてしまった、という悲しい過去を背負っています。マスクをしたまま「私キレイ?」と問いかけ、「キレイです」と答えると、「これでもキレイ?」とマスクを外して裂けた口を見せてくる、という恐怖譚にも、「キレイと言ってほしい」という人間的な感情が見て取れます。もちろん、対応を誤れば襲われてしまうわけですが、その本質は決して邪悪ではなく、人間の感情を忘れられないでいる悲しみを背負った存在だと思えてなりません。

 話を戻しましょう。2012年の夏、私たちが手がけた最初の「恐怖の細道」のストーリーは、以下のようなものでした。

 何者か(口裂け女か?)に連れ去られてしまった、柳ヶ瀬の少年『やなお』。勇気のある皆さんにお願いがあります。姿を消してしまった『やなお』を、平成~昭和へと時空を越える鵜飼船に乗って、平成の柳ヶ瀬に連れ戻して欲しいのです。恐怖の細道を超えて…

 消えてしまった少年『やなお』とは、柳ケ瀬のことです。このストーリーには、残念な現在(平成)の柳ケ瀬に、口裂け女がいた昭和の柳ケ瀬の賑わいを皆さんの力で取り戻してください!という私たちのポジティブなメッセージが込められています。また、口裂け女は「輝いていた昭和の柳ケ瀬」を象徴する存在と定義しています。彼女は『やなお』を昭和時代に連れ去りこそしますが、彼に危害を加えるわけではありません。あたかも「良い時代を忘れないで」と伝えているように…。

 こうして「ストーリー」と「スター」が決定し、「恐怖の細道」の基礎が出来ました。

 その上で、私たちはいくつかの制作上のポイントを設定しました。

① グロテスクさ、マニアックさを控える
② 良き日の(昭和)の柳ケ瀬を感じてもらえる設えをしよう
③ 恐怖を楽しんでもらえるお化け屋敷をつくろう

 まず①について。私が恐怖した「ミッション型」のお化け屋敷の多くは、「リング」「らせん」など、日本が誇るジャパニーズホラーを愛する制作者が、ジャパニーズホラーを愛する人たちに向けて制作した、どこかアーティスティックな趣のあるものでしたが、元々ホラー嫌いの私にとっては、いささかマニアックな面が強すぎるようにも感じられました。
 「恐怖の細道」の目的はまちおこしです。その場所に人が溢れるような「ハレ」の空気を作りたい。より多くの人に柳ケ瀬を訪れてもらいたい。そう考えて、グロテスクさや、マニア受けする要素を出来るだけ控えた形でお化け屋敷を制作することを心がけました。

 そして②。私たちが柳ケ瀬商店街のまちおこしに立ち上がったのは、少年時代に柳ケ瀬に憧れ、柳ケ瀬で遊んだ思い出があるからです。思い出は、場所と紐付いて心に積み重なっていくもの。今の柳ケ瀬を知らない世代に、「柳ケ瀬のお化け屋敷で遊んだ」という思い出を持って帰ってもらいたい、そう考えて「恐怖の細道」には昭和の柳ケ瀬をモチーフにしたエリアを設けることにしました。

 難しいのは③です。言ってしまえば、お化け屋敷とは「わざわざお金を払って怖い思いをしに行く」場所です。それだけに、「恐怖」と「楽しい」という一見対極にあるもののバランスには毎回頭を悩ませています。これはある意味永遠の課題と言えますが、「語り合えるような恐怖」というものが一つの答えであるように思います。

 一

 例を挙げれば、お客様を乗り物に乗っていただくこと(鵜飼舟、路面電車、バスなど)だったり、吊り橋を渡っていただく、雨の降るトンネルをくぐる…など、さまざまな演出を取り入れてきました。第3回以降、定期的に開催している「口裂け女の歌謡ショー」も、こういった思いから生まれたものです。普段はお化け屋敷の中でしか会えない口裂け女が柳ケ瀬の街に飛び出して行き、テーマソング「口裂け女のブルース」を歌う、という一風変わったアトラクションですが、すっかり定着し、口裂け女たちにアイドル的人気が生まれるまでになりました。

 こうして、さまざまな取組みを試行錯誤しながら実践するうちに、私たちは一つの気づきを得ることがで来ました。
 
 それは『これは、アミューズメントだ!』ということ。

 「怖い」と「楽しい」は対極にあるのではなく、時にはイコールにもなります。そのことに気づいたのは「恐怖の細道」をくぐり抜けて、出口から出てきたお客様の表情を見た時でした。お化け屋敷で怖い思いをしたはずなのに、笑顔で出てくる方が多いのです。そして、出口で「あそこが怖かった」とか「お前、真っ先に逃げてたな!」と楽しそうに語り合う姿がそこにありました。

 その様子を見て、思い出したことがありました。かつて口裂け女の噂が岐阜を席巻していた時も、私たちは「鶯谷トンネルに居たらしいぞ」とか、「赤い車に乗っていた」とか噂話を言い合いながら、「口裂け女」という「恐怖を楽しんで」いたのでは無かったかと。

 「恐怖を追求する」マニア向けのお化け屋敷ではなく、より多くの人たちに「恐怖を楽しんでいただくアミューズメント」としてのお化け屋敷。それが私たちが望み、目指していく形であると、今は確信しております。いよいよ開催が迫ってまいりました。今回も様々な新しいアイデアを用意して、『恐怖を楽しむ』アミューズメントお化け屋敷に向かってチャレンジして参ります。

 どうか3年ぶりの復活となります「恐怖の細道」にご期待ください。
 

「やながもん」柳ケ瀬お化け屋敷製作委員会 代表 吉村 輝昭


「やながもんの唄」~消えた子どもたち~

2019-06-03 16:11:19 | 日記

やながもんの唄

「消えた子どもたち」開催によせて

 

 皆様、ご無沙汰しております。柳ケ瀬お化け屋敷製作委員会「やながもん」代表の吉村でございます。この度、岐阜柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」を、3年ぶりに復活開催させていただくことになりました。まずは、復活希望の声をお寄せいただいた皆様、ご支援いただいた皆様に心よりお礼を申し上げます。

 

 

 

 さて、まずは私たちがどうして2年のブランクを経て、復活開催を決意したのかについてお話しさせていただきたいと思います。

 

 少し、思い出話をさせてください。

 

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 私が生まれて初めてライオンを見たのは岐阜公園でありました。

 テレビと動物図鑑でしか見たことのないその大きさに驚きながらも、その気だるげな野性のない姿にいささかガッカリしたことを覚えています。

 

岐阜公園に居たライオン「金ボタン」


 ロマンスリフトに乗って、水道山の遊園地にも登りました。

 山頂にある遊園地には、お化け屋敷がありました。生まれて初めて入ったお化け屋敷。私はあまりの恐怖に、それ以来お化け屋敷は苦手になりました。

 

 

水道山の遊園地

 

 また、長良川交通公園にジャンプ滑り台と流れるプールが出来た時のことです。

 テレビCMで、テレビを囲む家族に向かって、水着姿の女性が滑り台から水しぶきもろとも飛び込んでくるという内容に、少年の私は血沸き肉踊り、心ときめかせ母に「連れてって!」とお願いしました。

 

長良川交通公園のジャンプすべり台

 

 今の名鉄岐阜駅の場所にはかつて百貨店があり、その屋上には「新岐阜プレーランド」という遊園地があり、ローラースケート場やスケート場もありました。

 

新岐阜駅百貨店屋上にあった「新岐阜プレーランド」

 

 私たち昭和の岐阜の少年は、そういった場所で家族や友だちと沢山の楽しい思い出を育んだものです。それは今でも楽しく美しい心象風景としてキラキラとした思い出とともに残っています。

 

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 昭和から平成を経て、令和という新時代を迎えた今。残念ながら、ライオンも、ロマンスリフトも、水道山の遊園地も、流水プールもジャンプすべり台も過去のものになってしまいました。

 

 もちろん、施設の老朽化や時代の変化など、原因は色々とあるでしょう。ですが、かつてこういった地域の遊び場に夢を見た一人としては、この現状を寂しく思うと同時に、「このままで良いのだろうか?」という思いが湧き上がってくるのです。
 現在、アミューズメントといえばディズニーランドやUSJといった巨大アミューズメントに集約されてしまった感があります。もちろん、ディズニーもUSJも、素晴らしいアミューズメントであることは間違いないのですが、岐阜の子どもたちにとっては、そうそう気軽に行ける場所ではありません。

 地域に根ざしたアミューズメントが減少、消滅してしまった街で、少年たち、少女たちが「地域で遊んだ」という思い出を作れないという現状。これは岐阜だけでなく地方都市において同じような状態であると思います。まして、今は公園にも遊具があまり置かれなくなり、ボール遊びも禁止されているところが多いと聞きます。現代の子どもたちの「遊び場」は、いったい何処にあるのでしょう?

 

 「アミューズメント」とは何かといえば、それは「非日常」の体験と言えるのではないでしょうか。私たちは2012年より開催していますお化け屋敷の運営を通して、子どもたちが泣き、笑い、叫ぶ姿を見て、「これがアミューズメントだ!」という気付きに至りました。

 お化け屋敷は、言ってしまえば「お金を払って怖い思いをしに行く場所」であります。どうしてわざわざそこに足を運ぶのかと言えば、それはやはり、「非日常」に出会いたいから、「非日常」を楽しみたいからではないでしょうか。

 かつて私たちが体験した、遊園地の門をくぐる時のドキドキした気持ち。日常では出会えない動物を見た時の驚き。それと同じ「アミューズメント」の火を、地域から消すわけにはいかない。それが、今回私たちを3年ぶりのお化け屋敷開催に駆り立てた思いであります。

 

 

 

 今回、私たちは新たに「岐阜発!アミューズメントの地産地消」という活動ビジョンを掲げました。大都市、巨大アミューズメントの向こうを張って、小資本、手弁当であってもアイディアとガッツ、何よりも地域愛があれば、地域の子供たちが楽しめるアミューズメントを創造できるということを証明し、それを岐阜発!!として同じようにアミューズメントが消滅しつつある地域に活力を与えたい。そう考えています。

 

 これまでの「恐怖の細道」は、口裂け女と一人の少年「やなお」君の物語でした。ですが、今回のサブタイトルは「消えた子ども“たち”」と複数形になっています。このサブタイトルには、「柳ケ瀬」の象徴として名付けた「やなお」だけでなく、遊び場を失ってしまった多くの子どもたちへの思いが込められています。

 この3年ぶりの「恐怖の細道」が、岐阜市民のみならず日本中の魂に響く事業となるべく、開催準備を進めてまいりたいと思います。

 皆様、よろしくお願い致します。そして新たな「恐怖の細道」の開幕を、楽しみにお待ちいただければと思います。

 

「やながもん」岐阜柳ケ瀬お化け屋敷製作委員会 代表 吉村 輝昭