日本艦隊司令部

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はるかちゃんのひまわり

2011-03-21 23:15:59 | ひとこと
 先日発生した東日本太平洋沖地震と東海地震によって各地に大きな被害が出ております。不幸にして犠牲となってしまった方々のご冥福をお祈りすると共に被災者の方々のご無事をお祈りしております。
 
 さて、私の住むこの兵庫県でもかつて大きな地震が起こり町が一つ消えてしまうような被害を受けました。
 1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部阪神地方を直下型地震が襲いかかりました。後の「阪神淡路大震災」です。もともと大きな地震の少ない関西地方でしたがこれはかつてない大地震でマグ二チュ-ド7.3、死者行方不明者6000名以上を出しました。都市部直下型地震としては1944年の東南海地震以来の規模でした。
 これが後にハイパーレスキュー隊結成や、これ以後の建物の耐震設計や地震などによる災害への教訓ともなり、今日に至ります。
 自分の住む丹波地方も震度3~4の揺れを受けました。かつて無い揺れに自分はしばし布団の中で唖然としており、親父があわてて自分の部屋に飛び込んできて「布団をかぶれ!!頭をかばえ!!」と言ってきました。近くに住む母方の祖父は離れで一人眠っていて地震を受けて離れを飛び出して裏山を見たとき山がうなるような音と共に震えていたと言いました。また、隣町に一人平屋建ての家に住んでいた母方の伯父は揺れるやベッドから投げ出されてあまりの揺れにこの世の終わりと感じたそうです。
 この地震は神戸の町に壊滅的大打撃を与えました。建物や道路が崩れ、所々で火災が起こり、多くの人々が傷つきました。自分の親戚の家も、家の一階が崩れて二階が落ちてきました。幸い家族全員二階で眠っていた為無傷でしたが多くの友人を失ったそうです。

 そんな中、一人の少女がこの町に希望というものを教えました。
 神戸市の岡本という所に加藤はるかちゃんという小学校6年生の女の子が住んでいました。しかし、はるかちゃんは阪神淡路大震災によって天井の下敷きになり亡くなられました。残されたご家族は仮設住宅の避難所で深い悲しみにくれました。
 しかし、それから数ヶ月後、近所の方が崩れたはるかちゃんの家の瓦礫の隙間からある物を見つけました。それはひまわりの花でした。そのひまわりははるかちゃんが大事にしていたハムスターと隣の仲良しだったオウムのためにはるかちゃんが用意していた種から育ったひまわりでした。ご家族や震災で町が痛めつけられ絶望にかられた人々は明るく咲き誇るひまわりがはるかちゃんの生まれ変わった姿に見えました。そしてそのひまわりの花はご家族と近所の人々に「はるかちゃんのひまわり」と名づけられました。そしてそのひまわりから生まれた種は翌年神戸市の岡本を中心に神戸中に蒔かれ多くの花を咲かせ、いつしか神戸の震災復興の希望のシンボルとなりました。このひまわりは毎年ご家族をはじめ多くの人々によってその花を咲かせました。また2004年に起こったインドネシアスマトラ島沖地震の被災地にも届けられ多くの人に希望を与えました。
 そして近年ひまわりはエコなバイオ燃料の研究やチェルノブイリにおける放射能浄化などにも利用されております。きっと今回の東北地方の地震、放射能汚染の現場にも近い将来、平穏と希望のシンボルとしてこの「はるかちゃんのひまわり」が咲き誇ることでしょう。

 今回の地震によって多くの尊い人命が失われ、多くの人が被害に遭いました。これからも多くの苦難が待ち構えていることでしょう。しかし、日本人はその歴史の中で幾度もの危機を乗り越え今日に至りました。神戸もかつての震災から立ち直り今はその教訓を数多く伝えました。必ず平穏な明日は帰ってくるはずです。自分はそう信じております。
 長々とすいませんでした。皆様のご無事をお祈りすると共に犠牲となってしまった方々のご冥福をお祈りいたします。
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