日本艦隊司令部

小説、アニメ、特撮、刑事ドラマ、映画などの語り

再開宣言

2014-06-26 12:24:00 | ひとこと
 皆様お久しぶりでございます。管理人のyamato1年3ヶ月の長いブランクを経てここにブログ再開を宣言いたします。
 まずは長い間の休養となり皆様にはご心配などおかけしたことをお詫び申し上げます。昨年海上保安学校に合格し、4月から入校し訓練に励んでおりましたが、人間関係や不器用・悪い要領などでトラブルが絶えず9月にノイローゼなどを理由に退職致しました。
 その後は家事手伝いをしながらカウンセリングと治療を続けて11月に地元の食品加工会社に就職することができました。
 そして今日に至りだいぶ生活面が落ち着いたところでブログを再開させていただくことになりました。
 とりあえずSSを来週中に一本、映画紹介を来週までに二本と予定しております。
 あらためまして皆様のご来訪お待ちしておりますとともにこれからもよろしくお願い致します。

2013年明けましておめでとうございます!

2013-01-01 09:17:04 | ひとこと
2013年、明けましておめでとうございます!

長い間雲隠れしたためにご心配おかけしたことをお詫びします。

2012も無事終えて気持ちを新たに今年も試験を始め頑張っていきたいと思います。

また、昨年は自作の小説があまり進めなかったので、今年はペースアップさせて、終盤へと持ち込みたく思います。
予定では今月中にも第四部を終わらせるつもりです。

昨年お世話になった方々の健康とご活躍、ご多幸をお祈りしております。
どうか今年もこのブログをよろしくお願いいたします。

1995・1・17

2012-01-17 22:39:44 | ひとこと
 こんばんわ。今日は1月17日について書かせていただきます。

 今から17年前に私の住んでいる兵庫県南部を中心とした地域に直下型地震が襲い掛かりました。阪神淡路大震災です。この地震については以前書かせていただきましたので今日は神戸で行われた慰霊祭について書かせていただきます。

 場所は神戸市中央区三宮、神戸市役所の隣にある東遊園地という公園で行われました。ここには慰霊と復興のモニュメント・1・17希望の灯りといった阪神・淡路大震災関連のモニュメントも、公園内にある。毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている。また、毎年12月におこなわれる光の祭典「神戸ルミナリエ」では、東遊園地のグラウンドが終端の会場となっています。

 昼ごろに学校を出て15分ほど歩いて到着するとすでに多くの方がおられました。

                        
                        

 公園の中心には竹の筒が置かれています。これは高いところから見れば1・17となっています。

                        

 竹の中には水が入っていてろうそくを浮かべます。こうして亡くなった方を弔うのだそうです。私も一つ火をつけさせていただきました。

 そしてグラウンドと反対側には雪地蔵というものが置かれています。これは亡くなられた方々を追悼する為に鳥取県の大山(だいせん)から運ばれた雪で作られたお地蔵様だそうです。
                        

 また記帳所なども設けられており名前を書くと菊の花を渡されました。
                        

 その他にも昨年三月の東日本大震災における被災地支援のための募金やメッセージ記入なども行われており、以前このブログの記事でも紹介した「はるかのひまわり」も配られておりました。
                        

 今日ここへ訪れて今一度振り返り、この恐ろしい自然の猛威を風化させることなく未来へと語り継がなければなりません。
 そして東日本大震災で被災された方々もいつかこの神戸の町のように復興をとげ、同じく語り継いでいくような日が一日も早く来ることを祈っております。

 皆様も寒い時期ですがお体などお大事に。なお小説の投稿は来週中を予定しております。

明けましておめでとうございます

2012-01-01 00:33:11 | ひとこと
 2012年、新年明けましておめでとうございます。

 昨年は大変お世話になりました。

 理沙様をはじめブログをされている先輩方、コメントを下さる読者の方々、通りすがりの方々、新しくいらっしゃってくださった方々、そして今もどこかで見ていらっしゃっているはずの桜陰堂様、smb様、ありがとうございました。

 昨年は3月の東日本大震災に始まり大変な一年となりましたが生きている限り明日という日が来ます。前を向いて一歩一歩踏み出して明るく生きていくことで乗り越えていきましょう。

 2012年も皆様よろしくお願いしますと共に良いお正月をお過ごし下さい。

はるかちゃんのひまわり

2011-03-21 23:15:59 | ひとこと
 先日発生した東日本太平洋沖地震と東海地震によって各地に大きな被害が出ております。不幸にして犠牲となってしまった方々のご冥福をお祈りすると共に被災者の方々のご無事をお祈りしております。
 
 さて、私の住むこの兵庫県でもかつて大きな地震が起こり町が一つ消えてしまうような被害を受けました。
 1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部阪神地方を直下型地震が襲いかかりました。後の「阪神淡路大震災」です。もともと大きな地震の少ない関西地方でしたがこれはかつてない大地震でマグ二チュ-ド7.3、死者行方不明者6000名以上を出しました。都市部直下型地震としては1944年の東南海地震以来の規模でした。
 これが後にハイパーレスキュー隊結成や、これ以後の建物の耐震設計や地震などによる災害への教訓ともなり、今日に至ります。
 自分の住む丹波地方も震度3~4の揺れを受けました。かつて無い揺れに自分はしばし布団の中で唖然としており、親父があわてて自分の部屋に飛び込んできて「布団をかぶれ!!頭をかばえ!!」と言ってきました。近くに住む母方の祖父は離れで一人眠っていて地震を受けて離れを飛び出して裏山を見たとき山がうなるような音と共に震えていたと言いました。また、隣町に一人平屋建ての家に住んでいた母方の伯父は揺れるやベッドから投げ出されてあまりの揺れにこの世の終わりと感じたそうです。
 この地震は神戸の町に壊滅的大打撃を与えました。建物や道路が崩れ、所々で火災が起こり、多くの人々が傷つきました。自分の親戚の家も、家の一階が崩れて二階が落ちてきました。幸い家族全員二階で眠っていた為無傷でしたが多くの友人を失ったそうです。

 そんな中、一人の少女がこの町に希望というものを教えました。
 神戸市の岡本という所に加藤はるかちゃんという小学校6年生の女の子が住んでいました。しかし、はるかちゃんは阪神淡路大震災によって天井の下敷きになり亡くなられました。残されたご家族は仮設住宅の避難所で深い悲しみにくれました。
 しかし、それから数ヶ月後、近所の方が崩れたはるかちゃんの家の瓦礫の隙間からある物を見つけました。それはひまわりの花でした。そのひまわりははるかちゃんが大事にしていたハムスターと隣の仲良しだったオウムのためにはるかちゃんが用意していた種から育ったひまわりでした。ご家族や震災で町が痛めつけられ絶望にかられた人々は明るく咲き誇るひまわりがはるかちゃんの生まれ変わった姿に見えました。そしてそのひまわりの花はご家族と近所の人々に「はるかちゃんのひまわり」と名づけられました。そしてそのひまわりから生まれた種は翌年神戸市の岡本を中心に神戸中に蒔かれ多くの花を咲かせ、いつしか神戸の震災復興の希望のシンボルとなりました。このひまわりは毎年ご家族をはじめ多くの人々によってその花を咲かせました。また2004年に起こったインドネシアスマトラ島沖地震の被災地にも届けられ多くの人に希望を与えました。
 そして近年ひまわりはエコなバイオ燃料の研究やチェルノブイリにおける放射能浄化などにも利用されております。きっと今回の東北地方の地震、放射能汚染の現場にも近い将来、平穏と希望のシンボルとしてこの「はるかちゃんのひまわり」が咲き誇ることでしょう。

 今回の地震によって多くの尊い人命が失われ、多くの人が被害に遭いました。これからも多くの苦難が待ち構えていることでしょう。しかし、日本人はその歴史の中で幾度もの危機を乗り越え今日に至りました。神戸もかつての震災から立ち直り今はその教訓を数多く伝えました。必ず平穏な明日は帰ってくるはずです。自分はそう信じております。
 長々とすいませんでした。皆様のご無事をお祈りすると共に犠牲となってしまった方々のご冥福をお祈りいたします。
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