親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

自立

2015年03月16日 20時32分08秒 | 教育全般(非分類)
自分で立つ。
これが自立だ。



…じゃあ、何ができたら自分で立つことになるのか。


…われわれは、少なくともこのページを見ることができる人であるなら、自分で立つ経験をしてきている。
それができない体の状態があっても、親と自分が全く同じでないことぐらいは、まあ大体気づいている。




それじゃあ本当に、

『自分』と『誰か』を切り離せているのか。


いま自分が考えていることは、誰かの受け売りじゃないのか。それを考えると、いつでも自分が不安になる。

そんな人が多いと思う。かくいう私は間違いなく、今までずっとそうだった。つい2・3ヶ月前までそうだった。(今でもやっぱり、そういう気持ちはどこかにある)

自分は自分、人は人。そう思って自己実現を目指しつつ、どこかで誰かに認められることを求めてきた。

そこから、離れるきっかけは去年の4月からだと思う。

自分が望まない仕事をし続けることで、「なんでこんなことをしなきゃならないんだ。俺のせいなのか」と、嫌でも自分に原因を求め、苦しみ抜いた約一年。やっと自分と他人の、求めていることは違うんだ、考えていることは違うんだと思えてきた。



そんな経験を、皆さんはしたことがあるだろうか。


どこかで自分の大切な選択を「皆が選んでいるから」と、誰かの言いなりになっていないだろうか。

誰かは少数かもしれない。でも、選ぶ理由が「あいつもそうだから」だったのなら、「あいつの意見」を参考にしていたのなら、結局その『誰か』に、どこかで流されている可能性はある。

その『誰か』さえ疑って、本当の自分に光を当てられたのなら、それこそが『自立』だと、私は思うのだ。

ゴールデンエイジ

2015年03月15日 16時46分10秒 | 子育て
スポーツする人は知っているかもしれないこの言葉。実は誰もが中学校の保健体育で、習ったことと関連している。

…スキャモンの発育曲線というデータがある。

体を ①内臓などの一般型
   ②リンパ管などのリンパ型
   ③生殖器などの生殖型
   ④脳や神経などの神経型

…にわけて、それぞれが大人になるまでの、“いつ”に成長しやすいのかを示したものだ。

その中の神経型、これがゴールデンエイジに関連している。脳や神経は、この発育曲線によると、12歳くらいまでに90%が出来上がってしまう。

よく、音楽的な力を育てるのは早ければ早いほどいいというけど、それと同様に、感覚的なものは小さい頃(運動面は6~10歳くらい)によく身に付くらしい。特に距離感とか。

例えば私は小3からサッカーをやっていたけど、あまり空中戦をしなかったので、野球をするとフライが捕れなかった。

…なかなか悲しい思い出だ。

6~10歳くらいのうちにいろんなスポーツに慣れさせてあげることは、親が子にしてあげられるの『将来のためその一』だと思う。



…ただ。

フライの捕れなかった私も、練習すればできるようになった。なかなかおもしろい実例だと思う。
発育しやすい時期、伸びやすい時期があるのは確かなんだろうけど、人間いくつになっても成長できる証拠なんじゃないだろうか。

そう考えると、“努力”って無意味じゃないと感じる…。

口調

2015年03月15日 09時37分22秒 | 教育全般(非分類)
人と話す時は意識的に口調を変えている。生徒と話す時はなおさらそうだ。

優しさというか、愛情というか、ただきれいな言葉を使っただけでは表せない、感情を感じてもらえると思うから。


…でも、文を書くと途端に堅くなる。

子どもや、若者にも読んでほしいこのブログ。
なかなか上手に書けないもんだ。


つぶやくように、染み入るように…。


文字で伝えるには、そんな感じがいいのかな。

どんな人にも受け入れられるよう、うまく書いてみたいもんだ。

子どもと大人

2015年03月14日 20時25分58秒 | 教育全般(非分類)
この、一見対立する二つの言葉に、明確な境界線は存在しない。

法律でさえ、18歳だったり、20歳だったり、14歳だったり…。子どもと大人をはっきりと分けるさかい目が、見当たらないのだ。


子どものような大人に、大人を気取った子ども。


自分は大人になれただろうか。

そんな疑問が、この歳になっても、いつでも頭の片隅をよぎる。



〇〇ができたから『大人』、できないから『子ども』。そんな答えを与えてもらえれば、どれだけ楽だろう。


そういう『答えがないこと』に、立ち向かい、勝てなくても負けないからこそ、大人なのかなと思う。


『自分』で答えを見つけられたら、『自分』だけで前に進めたなら。

それこそが大人なのだと思う。

何から卒業するのか

2015年03月14日 16時02分08秒 | 教育全般(非分類)
県内の中学校で卒業式があった。

いろいろな子どもたちがいて、いろいろな卒業式がある。

涙涙の卒業式。先輩たちを見送っても、なかなか別れられない卒業式。しらけムードのドライな卒業式。笑顔いっぱいの卒業式…。


卒業式は、お祝いの日で、記念の日だ。


…それでも、卒業したからといって、何かが変わるわじゃない。


子どもたちも親たちも、区切りとしての気持ちの変化や、中学生から高校生へ変化があっても、『卒業した』から、何かが身につくわけじゃない。


私は教師として、卒業までに何を身につけさせられるか、どう成長させられるか、中学校の3年間だけで何ができるのか、それを強く意識するようになった。


勉強ができて、良い高校に入る学力がある。部活動で活躍し、将来もその分野で活躍する。立派なことだと思う。


…でも、それだけが子どもを育てたことじゃない。
勉強と部活が、大きなウェートを占めているのはわかるし、それは子どもたちもわかっている。でも、そこで活躍できない子どもたちは学校全体の半分を超えている。


“全て”の子どもたちに、中学校生活を経て自信や自分の価値を与えたい。

それがいまの子どもたちに、とても大事なことだと思う。

衣食足りて礼節を知る

2015年03月13日 20時02分35秒 | 教育全般(非分類)
確か、古代中国のことわざだったと思う。

…でもこれが、なかなか的を射ている。
人間、自分の身の回りのことが満足されないと、なかなか前を向けないもんだ。

車が、ゲームがほしいからと、金に目がくらんだり…。
あの子が振り向いてくれないからと、勉強が手につかなかったり…。

最近のおじさんは、剣道の防具が買えないからと、指をくわえていたりする…。



震災の時のように、生死の問題が間近にあったとき、今までそれに直面してこなかった子どもたちは、身じろぎ、固まってしまうのだと思う。
大人でさえ直視できない状況だったのだから、経験の少ない子どもたちであればなおさらだ。



…それでも。

津波ですべてが流された地域で、子どもたちが復興に向けた町作りの計画を立てる学習をしているという。


…こういうとき、やっぱり大人よりも、子どもの方が、未来に目を向けて、前に進めていると思う。


…大人がもつ、未来を予測する経験。子どもがもつ、未来へ立ち向かっていく勇気…。

そのどちらもが、等しく尊いと思える。そこに、良い悪いはないんじゃないかと思う。

生存欲求

2015年03月12日 20時23分13秒 | 教育全般(非分類)
震災の追悼式で、宮城県の遺族代表として話した菅原さんの話が、話題になっているようだ。

助けられない母が「行かないで」と言うのに対し、「ありがとう、大好きだよ」と言葉を残し、逃げたという。


表面上は誰もが、母も、菅原さんも肯定的に受け止めているが、心の中は賛否両論なんだと思う。

だれもが本当に「仕方ないよな」と思っていたなら、それは素晴らしいことだ。生死を身近なものとして感じているのだと思えるから。


人間には、生存欲求がある。

しかし、今の日本で命の危機を感じることは少ない。
だから、命に関わる教育は、忘れられてしまうことが多い。


…しかし、生命の安全をいい加減に扱って、それ以上のことを考えさせることはできないのだ!
…と、私は思っている。

…自分の命が安全だと感じて初めて、人は成長できるとも思っている。


…震災は、風化させてはならない教訓、教育的題材だ。

しかし、いま現在。震災に関わらず、命をおびやかされている人々がこの日本にもいるのだと、忘れてはならないと思う。

そして、そういう人々がいることこそが、いまの日本の教育問題に根本的につながっているのだ。

いつの時代でも

2015年03月11日 20時36分40秒 | 教育全般(非分類)
子どもの様々な問題が挙げられる。いじめや少年犯罪。学力低下、無気力、脱ゆとり…。

きっと挙げればキリがない。

…でも、ちょっと思い出してみたい。いまの大人が子どもだった頃だって、「いまの子どもたちは…」と、既に大人だった人達に、有形無形の圧力をかけられていたんだと思う。
(私の時は、キレる子どもたち、だった)


…そしてそれが疎ましくて、反発したり、無視したり…。

…反発する元気があるうちは良かった。
…いまはそんなエネルギーすらも、根こそぎ奪われてしまった子どもたちが、多いように感じる。


昔、子どもだった我々は、立派な大人になれたんだろうか。それとも今も、なるために努力を続けているんだろうか。


なれてなくても、そして、なれてるなら尚更、なぜ我々は、今の子どもたちがロクな大人になれないと『心配』しているんだろうか。


我々だってそれなりにやってるじゃないか。それなら今の子どもたちだって、そうじゃないのか?


どうしてこうなったのか。そして我々は、どうすればいいのか。

…そんなことを、これから明らかにしていきたいと思っている。

復興へ ~1

2015年03月11日 14時46分18秒 | 世の中
東日本大震災から4年。
あのとき私は、確か体調不良で横になっていた。

幸い家族全員の無事をすぐに確認できたし、その後一定の物資確保も行えた。

次に考えたのは、生徒たちのことだった。

明くる12日、車を飛ばして各家々を回った。

信号も止まって、ガソリンも心許なかったが、それでもあの日、目の前にいられなかった罪の意識もあって、全家庭を回って、最後に学校にたどりついた。

14時46分。この時間をさして止まっていた時計。原爆投下で止まったあの時計の写真がフラッシュバックした。

しかし、原爆とは違うのは、時計がまた動き出せたってことだ。

少なくとも、いまの住処で、震災の影響を感じることは少ない。また動き出すということは、こういうことなんだとも思う。


…多くの方々が亡くなった。未だ苦しい生活を余儀なくされている方も大勢いる。
そんな方々にできることは、目の前のことを精一杯することでしかないのだと、申し訳なくも感じつつやっている。

それでも今やっていることが、多くの人の手助けになればと、必死にやっていこうと思う。

被災された方々の不安や苦しさが少しでも減らせるよう努力することを改めて誓うとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする。

信念

2015年03月10日 20時50分47秒 | このブログについて
東日本大震災から4年…。


あのとき確かに多くの人々の心が揺れ動かされたと感じた。

人々の気持ちがつながり、助け合い、支え合い、子どもたちを健やかに育てていく未来が見えた気がした。

もちろん、被災地の子どもたちの、苦しい様子も知らされた。



あれから4年。

教育現場に立ち続けて、多くを学び、感じてきたことを、まとめたくなった。
目の前で苦しんでいる大人、親、子どもを、少しでも手助けできればと思うようになった。

いまも教師をしている。だから、大きなことはできないかもしれない。でも、ここからでもできることがあるんじゃないかと、始めることにした。

誰かの助けになればと、願いを込めながらまとめていきたい。記事を読んで、共感の声や悩みを寄せていただければと思う。