親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

生理的欲求段階

2015年03月19日 22時54分33秒 | 教育全般(非分類)
記事の題名だけ入れて、後で書こうと思ってたら油断した。中身無いのにタイマーアップされちゃった、しかも二件も…。笑

大変失礼致しました。


さて本題…。


人間だれしも、しなきゃ生きられないことがある。

食うことと、出すこと。
あとはもちろん、呼吸すること。


意外とこれが、忘れさられている。

かつては日本にも、この一番基本的な欲がおびやかされる、そんな時があった。

例えば、羅生門。芥川の小説だけど、人を殺して平気でいるような、そんな昔話はいくらでも転がっている。場合によっては人を食っていたりもしている。


…こんな時、人は、自分の、他人の命を省みない。

だって、食わなきゃどうせ死ぬんだから…。


…今の日本人のほとんどに、こういう危機感はないと思う。
本当にすばらしい国だ。
だって世界中を見渡せば、今この時でさえ、苦しんでいる人々は、いくらでもいるんだから…。

…しかし、そんな苦しい時期が、ちょっと前の日本にも、確かにあった。
大きな戦争があって、それに伴って苦しい時期があったこと。これはけっして忘れてはいけないことだと思う。


それとはまた別に、自殺してしまう人々がいる。このすばらしい日本で暮らしているのに、本当に悲しいことだ。

おそらくちょっと先の未来に希望がないことが、読めてしまっているのだろう。


だからこそ教師として、せめて今の子どもたちに、どう生きるべきかを伝えたい。

だから大人としてせめて、今の子どもたちに希望ある社会を譲り渡せるようにしていきたい。そう強く思う…。

子どもをコントロールする

2015年03月19日 22時08分35秒 | 学校
子どもたちをどうコントロールするか。もっと言えば、どう言うことをきかせるか。

そんな話が、しばしば教育現場で語られる。

親御さんも、『言うこときかなければ、叩いてやってください!』なんて言ったりするもんだから、ますますどう言うことをきかせるか、それを考えるのに躍起になる。


かつての私もそうだった。
体罰をしたことがないのが自慢だけれど、教卓ぶっ倒して、恐怖でもって言うこときかせる研究していた。


…こう書くと、相当異常に感じるな。改めて見てそう思う。


子どもにも意志がある。子どもは大人の付属品ではない。
そう感じるようになったのは、いつだったろうか…。

…でも、そう考えることができるようになって、初めて教壇に立つ恐怖を感じなくなった。

だって、子ども一人一人が人間なんだもの。
大人と変わらず、それぞれに理屈をもって、生きているんだもの。

それを無理矢理言うこときかせようなんて、なんておこがましい考えだったか…。

もちろん子どもだから、判断に迷う時もある。間違いを犯す時もある。
それを受け止めて、支えたり、尊重したり、正したり、時には必死で止めたりするのが、教師の、もっと言えば大人の役割なんだと思う。

多くの子どもたちが、そういう大人たちと一緒に育っていける社会だったら、そういう日本だったら、心からすばらしい国だと、そう思う。
今の日本は、どんななんだろうか…。