東日本大震災から4年。
あのとき私は、確か体調不良で横になっていた。
幸い家族全員の無事をすぐに確認できたし、その後一定の物資確保も行えた。
次に考えたのは、生徒たちのことだった。
明くる12日、車を飛ばして各家々を回った。
信号も止まって、ガソリンも心許なかったが、それでもあの日、目の前にいられなかった罪の意識もあって、全家庭を回って、最後に学校にたどりついた。
14時46分。この時間をさして止まっていた時計。原爆投下で止まったあの時計の写真がフラッシュバックした。
しかし、原爆とは違うのは、時計がまた動き出せたってことだ。
少なくとも、いまの住処で、震災の影響を感じることは少ない。また動き出すということは、こういうことなんだとも思う。
…多くの方々が亡くなった。未だ苦しい生活を余儀なくされている方も大勢いる。
そんな方々にできることは、目の前のことを精一杯することでしかないのだと、申し訳なくも感じつつやっている。
それでも今やっていることが、多くの人の手助けになればと、必死にやっていこうと思う。
被災された方々の不安や苦しさが少しでも減らせるよう努力することを改めて誓うとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする。
あのとき私は、確か体調不良で横になっていた。
幸い家族全員の無事をすぐに確認できたし、その後一定の物資確保も行えた。
次に考えたのは、生徒たちのことだった。
明くる12日、車を飛ばして各家々を回った。
信号も止まって、ガソリンも心許なかったが、それでもあの日、目の前にいられなかった罪の意識もあって、全家庭を回って、最後に学校にたどりついた。
14時46分。この時間をさして止まっていた時計。原爆投下で止まったあの時計の写真がフラッシュバックした。
しかし、原爆とは違うのは、時計がまた動き出せたってことだ。
少なくとも、いまの住処で、震災の影響を感じることは少ない。また動き出すということは、こういうことなんだとも思う。
…多くの方々が亡くなった。未だ苦しい生活を余儀なくされている方も大勢いる。
そんな方々にできることは、目の前のことを精一杯することでしかないのだと、申し訳なくも感じつつやっている。
それでも今やっていることが、多くの人の手助けになればと、必死にやっていこうと思う。
被災された方々の不安や苦しさが少しでも減らせるよう努力することを改めて誓うとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする。
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